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※ずっと私の歌は、君だけに届かない
◆ ◆ ◆
永峰君が私の自宅に来てくれた。おそらく最初で最後だろう。
いつも彼は私によそよそしく、緊張感を漂わせている。私は彼にとって苦手な人種なのだということは初対面から分かった。
気のせいではない。出会って十年経った今も変わらないのだから……。
そんな苦手な相手のはずなのに、彼は私を頼り、歌詞を教えて欲しいと頼み込んできた。私の歌詞では想いが届かないから、自分で直に届けようとしているのだろうと察するしかなかった。
教えることなどできないと、どれだけ言いたかったことか。
デモテープで初めて永峰君の歌声を聞き、その力強さと時折混じる甘く抜けていく息に心を奪われた。
姿を見ずとも声と歌い方で、彼という人間が私の中を鮮やかに彩り、存在を色濃くした。
そして歌詞を書き上げ、初めてのレコーディングで顔を合わせた時、私は彼から目を逸らされてしまった。
私のような年上の陰気そうな男と、デビュー前でも華のある容姿の若々しい青年――十年経った今も翳りはない――では、最初から住む世界が違う。なるべく関わりたくないと考えるのは当然だと思った。
それでも幸い、彼は私の歌詞を気に入ってくれて、デビュー後も依頼し続けてくれた。
私にとってこの上ない幸せだった。
最初から想いが成就するなど考えていない。私は心を砕いて歌詞を作り、彼に捧げ、歌となってこの世に残り続ける。それだけで十分だと己に言い聞かせていた。
だが、彼はあまりに私の歌詞を素晴らしく歌いこなし続けた。
彼への想いを重ねながら書き上げた歌詞を、彼が情感を込めて歌う――私の知らぬ誰かを想いながら、その相手に訴えるよう歌う。
永峰君の歌は、いつも私に至福と絶望を与えてくれた。
毎回ツアー最終日に関係者席に招待され、真正面から聞かされる彼の歌は、特に私を苦しめた。
私の想いを、私の知らぬ誰かに向けて歌わないでくれ! と、何度大声で叫んで飛び出してしまいたかったことか。
しかし何年も経つ内に、彼の想いが相手に届いていないことに気づいてしまい、安堵と悲しみに私の胸は乱された。
彼の歌はどこまでも心に迫り、この想いに気づいてくれと縋るような切実さがあるのに、歌を向けられている誰かはそれでも応えないだなんて……。
永峰君は私と同じ報われぬ想いを抱え、相手に訴え、伝わらぬことに絶望することを繰り返していた。
本当は彼に歌詞を書いて欲しくなかった。
歌にして意中の相手に届けさせたくはなかった。
でも想いが届かない苦しさはよく分かっていたから、私は――。
『君を拒絶する人間がいるのか?』
『自ら歌詞を手掛けてまで相手に届けたいのだろ? 他人の歌詞では届かないから……もう楽になれ、永峰君』
――彼の背中を押した。
君だけはこの苦しみから抜け出して欲しいという一心で。
私はこれからも歌詞に心を砕いて、この苦しさごと愛しながら君に捧げるから。
ずっと私の歌は、君だけに届かない――それでいい。
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