分厚い壁は何もなかった

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分厚い壁は何もなかった

   ◇ ◇ ◇ 「永峰君……まだ誰も来ていないのか?」  乏しい表情だが、それでも相坂さんが戸惑っているのがよく分かる。  俺は怯えて逃げそうになる目に力を込め、相坂さんと視線を合わせる。 「今日呼んだのは相坂さんだけです。スタジオは貸し切りで、ここには俺たちしかいません」 「なぜ、こんなことを?」 「……隣、一緒に来てくれませんか? 少しだけ俺に付き合って下さい」  相坂さんは目を瞬くばかりで何も応えてくれない。  どこか呆けているような彼の手を掴み、そっと引いてみると、抵抗なく足が前に出てくれる。  どうやら相坂さんはサプライズに弱いらしい。何事も動じない人だと思っていただけに、意外な様子に思わず俺は小さく笑ってしまう。  驚きが収まらぬままの彼を導きながら、ともに録音部屋であるブースに足を踏み入れる。  俺は相川さんと向き合った後、距離を取ってから告げた。 「この間は俺の拙い歌詞を見てくれて、ありがとうございます。相坂さんの助言に従って、俺の特別な人だけを招いて歌を聴いてもらうことにしました」 「特別な人だけ……しかし、私しか呼んでいないと――いや、そんな……あり得ない」 「貴方の答えは分かっています。俺を苦手に思っていることも……それでも、どうか聴いて下さい」  困惑で唇を震わせ、目を見開いたまま、相坂さんは短く頷いてくれる。  ふぅ、と俺の中から一旦息をすべて抜き、大きく吸い込む。  そうして肺と腹に力を溜めてから、俺は歌を発した。  ブースに俺の声が響き渡る。  序盤は静かに、語るように旋律を歌詞でなぞり、徐々に盛り上がっていく王道の構成。  サビは何度も繰り返される『歌は君だけに届かない』。  歌いながら、膨大に盛り込まれた恨みがましさに、俺自身の本音を思い知る。
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