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「ハハッ、我慢せずにさっさと言えば良かった! 相坂さんに避けられていると思ったから、ずっと抑えてきたのに……っ。少しでも目が合ったら逸らされてたし」
「照れていただけだ。君の性格なら、悩むより当たって砕ける道を選ぶんじゃないのか? 私の時だけ借りてきた猫のように大人しくなって……苦手意識があるとしか思えないだろう」
「好きな人の前で普段通りでいられますか? 緊張していたんですよ。ただでさえ嫌われていると思っていたのに、素を見せて幻滅されたら再起不能間違いなしでしたから」
「そんなに繊細なところがあるなんて、気づくはずがないだろ。君は大御所相手でも言いにくいことを堂々とぶつけていたというのに。なぜ私なんかに恐れたんだ。言ってくれたなら、その言葉で骨抜きになってなすがままだ」
「相坂さん、それほどだったんですか!? あー、バカやらかしたぁ……っ」
話ながら笑いが止まらない。十年分の緊張感から開放されて、二人して頭も心も混乱しているようだった。
それでもさすがに疲れてくると笑いが消えていき、ようやくまともに俺は相坂さんを正面に捕らえる。
ずっとあると思っていた分厚い壁は何もなかった。
ようやく俺は勇気を出して自ら相坂さんに近づき、その背に手を回した。
肩幅のある硬い男の体。明らかに柔らかな女性とは抱き心地が違う。
俺と同じものを有している体。それが今はたまらなく嬉しい。
ギュウッ、と強く抱き締めれば、より腕の中で相坂さんの存在感が鮮やかになる。
ああ、夢じゃない……っ。
信じられなくてさらに腕の締め付けを強くすると――ボキッ。相坂さんの背中が鳴った。
「あ……っ、すみません、つい……」
「いや、これはいい。背中がスッキリする。それに私を現実に戻してくれる」
なんとも格好のつかない抱擁に、どちらともなく笑ってしまう。
延々と遠回りし続けた俺たちが、いきなりスマートなやり取りなんてできるはずもない。
二人して三十を超え、場数を踏んできたはずの男なのに……。
だから首を伸ばして交わし合う口付けも、唇の先が触れ合う程度のささやかなものだった。
これが今の俺たちの精一杯。
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