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最後の一段を登って、思わず膝に手をついた。
上がった息を整えながら、湿った頬を袖口で拭った。
そして、顔を上げた先に人影があった。
廊下の奥、壁に寄りかかった1人の男子生徒。
情けないくらい息が上がっているわたしに気づいた彼は、小さく笑った気がした。
「わりぃ、図書室開いてなかったわ」
図書室しかないこのフロアは、驚くほどシンっと静まり返っていた。
開かれた窓からは楽しそうな笑い声が聞こえてきたけれど、ずっと遠くの世界から聞こえてくるようだった。
「卒アル、見てくれてよかった」
首の後ろを掻きながら、桜介は笑った。
少し気まずそうでいて、照れているかのような笑み。
頬にさす赤がうつってしまいそうだった。
「咲良、めっちゃ顔赤いぞ」
「なっ……!? そ、それは! 走ってきたからであって……!」
慌てて自分の手で頬を押さえれば手も同じ温度なのか、熱くなっているのかいないのか、よくわからなかった。
桜介はまた、小さく笑った。
「来てくれてありがとう」
桜介は言った。
怖いくらい、わたしの目を真っ直ぐに見て言った。
足元を通り過ぎる冷たい風。
まだ寒くて桜が咲かない今日の日を、春と呼ぶのはなぜだろう。
冷たい風が頬を撫でていくのに、不思議と体温は上がった気がした。
未だ熱を持ったままの頬と手。
静かな空間とは対照的にうるさいくらい動くわたしの心臓の音。
こちらを見ていた桜介の目が一瞬足元へと逸らされて、でも、また戻ってくる。
思わず頬に当てていた手をぎゅっと、握りしめた。
「ずっと好きだった。俺と付き合ってほしい」
一瞬、すべての音が遠のいた。
外から聞こえる話し声も、笑い声も、木々が揺れる音さえも。あれだけうるさかった自分の心臓の音だって、なにもかも聞こえなくなった。
じわりと視界が歪んで、揺れて、熱いものが込み上げる。
夢か現か。
ずっと言いたかった言葉。
同じ気持ちだったらいいなって、ずっと欲しかった言葉。
わたしもだよ。
わたしもずっと好きだったよ。
迷うことなく言葉はすぐそこまで出かかっているのに、喉が熱くて、震えてしまって、うまく声にならない。
目に溜まっていたものが、ぼたぼたと頬を滑り落ちていく。
気づいたら好きだった。
ただのクラスメイトだったはずなのに。いつの間にかいいなって、今日も話せたら嬉しいなんて思うようになっていた。
笑った時に目元がクシャってなることを知って、教室で友達とバカやって笑う子どもっぽいところを知った。
授業中寝てるくせに成績が良いイヤミなところも嫌いになれなくて。
球技大会でボールが顔に当たったとき、平気だと言ったのに保健室に連れてってくれる強引な優しさに胸がぎゅっとなった。
全部、全部好き。
他の誰でもない、桜介が好き。
「す、き……」
嘘なんかついてごめんね。
「わたしも……」
もう一度言おうとした好きの2文字は声にならなかった。
自分のじゃない熱に包まれて、自分のよりずっと速い心臓の音がすぐ近くで聞こえてきた。
今までで一番、近い距離。
「あー、よかった……」
耳のすぐ近くで聞こえてくる声は、少し震えていた。
「他校の奴が好きなのかと思ってたわ」
少し腕に力が込められて、また距離が縮まった。
「……わたしが塾なんて行ってないの知ってるくせに」
桜介のシャツに涙が吸い込まれて、消えてゆく。
「まぁ、知ってたけど……。でも、自信なかったんだよ」
「……」
「情けねぇよな」
「……そんなこと、ないよ」
だってわたしは今日が理由もなく会える最後だからって、告白する勇気は持てなかった。
あの時だって噂を事実にしちゃおう、なんて思える強さもなかった。
「嘘ついて、ごめん」
「……ん」
「わたしも、ずっと、好きだった」
もし、あの時わたしが告白していたらもっと違う今があったんだと思う。
とても遠回りをしてしまった気がするけど、今に行き着けたのは間違いなく桜介のおかげ。
「今も、好き」
ありがとう、の気持ちを込めて背中に回した手に力を込めた。
すると、それに答えるようにさらに強く抱きしめられた。
思わず「潰れちゃうよ」と笑ったわたしに、桜介は何も言わなかった。
ちらりと見えた首元は真っ赤で、また一つ、好きが募った。
fin.
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