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(あっ……。また占領されてる)
靖彦の席には三名の女子が集まり、賑やかな雰囲気を出していた。
「未だ初恋もまだとか箱入り息子かよーって」
「マジ? 紗夜ってば、きっつー」
「当たり前のこと言っただけじゃん? 男の癖して尻込みし過ぎなんだよ」
「うわあ……。彼氏ギャン泣き案件じゃん」
腰を下ろし、友人らとお腹を抱えて笑っている。
「笠原さん、ちょっと……」
「あ、ガリ勉くんじゃん」
棒付きキャンディーを口に入れたまま、「何用ですか?」という顔をされてしまう。自分の席だから退いて欲しいのだが、あまりキツく言えない。
笠原達はクラスで中心的存在だ。顔も広く、友達も多い。自分とかけ離れた相手を前に、言葉が澱んでしまう。
(なんか、ザ・キラキラオーラで気圧されしちゃうな)
「んー、ガリ勉くんってさ。童貞?」
「……うえっ?」
予想していなかった質問に瞬きを繰り返す。
「童貞。頭良いから説明しなくてもわかると思うけどー、彼女いたことある?」
艶のある赤い飴を指示棒代わりにされ、先端が溶けかけた飴が向けられた。
なぜ今、恋愛経験を問われているのだろう。はっきり答えれば話が前進するのか?
横目で見えた時計の針が休憩時間の終わりに差しかかっている。時間が来れば笠原達は席から退くだろうが、やっと出来た友人を困らせる訳にはいかない。
(SNSじゃないから不特定多数に知れ渡らないしね)
意を決し、口を開く。
「い、いたこと……むぐ」
餅のような柔らかな手が、告げようとした言葉を遮る。
「こんな子達の冗談に付き合わなくていいから」
ハスキーな声が耳朶のすぐ側で聞こえ、今度は目を丸めた。
「うわっ出た、クラス委員長」
「てか、こんな子達って何よ。あたしらにはちゃんとした名前があるの」
「引っかかるのそこなのね。……はあ。笠原紗夜さん、榎田咲来さん、吉野愛美さん。人の恋愛事情を聞く前に、自分達の振る舞いで傷付いた相手はいなかったかしら?」
続けて「まあ、自分の胸に手を当てて聞くのもきっと無理ね」と爽やかに毒を吐く。完全に巻き込まれた靖彦は、心臓が痛くなった。
「……はあ?」
(ほら、笠原さん怒ってるよおお!)
修羅場化した現実から目を逸らす。ただ、ノートを取りたかっただけなのだが。
笠原は席を立ち、両手を自分の胸に当てる。チラッと見るとメロンを連想させるような迫力があり、靖彦は別の意味でまた目を逸らす。
「胸は日本語喋りませんけどお? 強いて言うならドクンドクン鳴くくらいでしょ、普通」
足元を風が通り過ぎ、未だ口を押さえている手がピクリと動いた。
「紗夜、天才か?」
「やっぱし? なんか馬鹿にされてるから頭良いっぽいこと言ってみた!」
ハツラツとした声からは、反感よりも無邪気さを強く感じられた。現に吉野と笠原は褒め合っている。
「笠原さん、あなたね……」
その言葉には呆れがある。首を突っ込みそうな委員長こと崎城美輪を宥めるように、休憩時間の終了を知らせるチャイムが鳴った。
「ま、目の前にいたから聞いただけだし。そもそもガリ勉くんの恋愛とか興味無いし。はーあ、順くんに後でLINEしよ」
最後のは語尾にハートマークが付いていた。絶対。
何事もなかったように立ち去られ、呆然としていた靖彦は、口元を解放されたのを機に席へ座る。やっと新鮮な空気が肺を行き来し始めた。
「やっぱり馬鹿なのかしら」
前の席へ座った崎城は消化不良な独り言を呟き、黒板を見る。チャイムと同時に教師はやって来なかった。
「あ、あの。さっきは……」
そこまで言いかけて感謝すべきか迷う。助けて貰いながら失礼だと思うが、先ほどの発言はこちらが喧嘩を仕掛けたようなものだ。上手くかわされたのはほぼ奇跡だろう。
しかし呼んだことには変わりないため、崎城が振り返ってきた。艶があってふんわりとした、ショートヘアの毛先を顎と肩で挟み、切れのある瞳が靖彦を貫く。怒られてもいないのに何故か胸がドキドキした。
「何か言われる筋合いはないわ。当然のことをしたまでよ」
「そうです……か」
「でも、気をつけなさい。誰もが彼女のような馬鹿だとは限らないし、一応馬鹿にされてたのよ?」
「はい……」
ご最もである。第三者であるクラス委員長が介入したのも、靖彦が自分で対処できなかったからだ。
炎上した時、SNS関連のアプリを消すという解決策を導いたのは両親だった。自分だけじゃ何もできなかった。
「……情けないな」
「ちょっと、そこまで言った覚えないわ」
キッと睨むように見つめられて、ごくんと生唾を飲む。
数学の担当教師が来ないのを良いことに、教師の喧騒は止む気配もない。普段ならクラス委員長の役目を優先させるはずだが、壁を背に難しい顔を天井に見せていた。
「単に嫌気が差したのよ。恋愛する時期とか価値観なんて人それぞれなんだから。尻込みとか童貞とか、決めつけられる筋合いないっての」
なるほど、崎城なりの信念があっての言動だったようだ。
(やり方は無理矢理感あったけど。いいな。強い信念持っていて)
腕を組んだままの崎城と目が合うと、そっぽを向かれる。何か気に触るような顔をしたのかと思うも、ようやく教師がやって来て会話は中断させられた。
小テスト準備のため筆記用具を用意していたら、内山とも視線が合う。教科書を持っていない方の指で丸を作られ、間に合ったのだと一安心した。
すると、榎田が視界に映り込む。向こう側の壁際だ。無の表情でじっと見つめられ、靖彦は顔を黒板へ動かす。
(全く胸の内が読めない顔だった。でもなんか……)
「はい」
「あ、ありがとう」
プリントを受け取ると、すぐさま小テストが開始される。一問一問、取りこぼさないよう気を付けながら取り掛かった。
榎田の意味深な表情のこともとっくに忘れて。
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