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上を向いて歩け!
今日からわたしは東京に向かう。
二泊三日の慈善活動合宿だ。
2030年、日本のうつ病患者は未だ増加の一途を辿っている。
電脳空間の見えないいじめが横行するなか、就職難と能力主義に勉強を強いられる学生の世界、貧困や孤独に悩む大人の世界、それらには共通して「不安」という悪魔が潜んでいる。
わたしはそんな人たちをひとりでも多く救うため、地元の大学で社会や経済について学び、積極的にボランティア活動に参加した。
大学を卒業した現在は、アルバイトをしながら慈善活動に従事している。
今日はグループのみんなと渋谷で活動する。恥ずかしい話、これが初めての東京だった。
わたしは渋谷駅で呆気に取られた。関東の片田舎育ちには理解ができない次元の人混みだ。
しかしわたしは怯まない。負けるものか。この雑踏の中に助けを求めている人がいるかもしれないのだから。
わたしたちはティッシュを配った。そこに挟んだ紙切れには相談窓口が記載されている。
地味な活動だと思われるかもしれない。いやな話、目と鼻の先にあるビル群に気圧されたのか、心のどこかで自分の行動がちっぽけで無意味だと思ってしまう。
それでも、使命のようなものがわたしを動かした。「人を救え」という言葉が天から降ってきたような気さえする。
しばらくして、わたしはあることに気がついた。それを意外だと感じたのは、東京という大都会に対しどんよりとした雰囲気を想像していたからだろうか。
人々はみな、上を向いて歩いている。
わたしは救われた気分になった。
彼らは自分なりに生きる希望や楽しみを見出し、人生を謳歌している。眩しそうに青空を睨む人々は、ひときわ輝いて映った。
「ちょっときみ、危ないよ!」
五十代ほどのサラリーマンに声をかけられる。邪魔だったなら避ければいいものを、どうして突っかかってくるのだろうか。
せっかくのいい気分が台無しだった。我ながら子供っぽいと思うが、どうしても一言いってやりたい。
「わたし、そんなに邪魔でしたか。危ないと思ったのなら——」
突然男は後ろに退き、思いきり叫んだ。
「危ない!」
背後で鈍い衝撃音が響いた。
とっさのことで固まってしまったわたしに現実を知らしめたのは、足元をじわじわと侵食する真っ赤な液体だった。
「だからいっただろ!」
男は頭を抱えながら、わたしのほうに視線を向けまいといった様子でつづけた。
「ビルの周りでは上を向いて歩け! 飛び降りたやつの巻き添えになるぞ!」
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