あくまでも悪魔ですから(台本)

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(込み合う朝の通勤時間の駅のホーム。  飛び込み自殺をしようとする男) 男:はぁ…なんて…むなしい人生なんだ…。   もう、いっそのこと…。 セ:…!危ないですよ。 (セールスマンが後ろから男を抱え込み、自殺を止める) 男:えっ、う、うわっ…! セ:まさか飛び込むおつもりですか?   失礼ですが、何かお困りではありませんか? 男:い、いや、大丈夫だ…放してくれ。 セ:そんなことおっしゃらず。   今、強く願っていらっしゃいましたよね?   死にたい、と。   よろしければ、お時間を頂けませんか。 男:…? セ:申し遅れました。わたくし、こういうものです。 男:「株式会社ハッピーライフ――あなたの人生、やりなおせます」?   …なんだ、この胡散臭い名刺は。付き合ってられるか。 セ:まぁまぁ。そうおっしゃらず。どのみち、   駅のホームに投げ出す程度の人生、でございましょう?   お話だけでもいかがですか。 男:ふん。見ず知らずのヤツと長話をする趣味はない。 セ:命を救った恩人かもしれませんよ? 男:ははは…人助けをしたつもりか?   せいぜい電車に飛び込むのが、先送りになっただけだ。 セ:ふふ…悪い話ではございませんよ。   さあ、こちらの資料をご覧ください。 (説明が続く。しばらく間) セ:…というわけで、弊社はお客様の   「人生のやり直し」を承っております。 男:はーん?もしやり直しても、いざやってみたら   「思ってたのと違った!」ってならないか。 セ:ふふふ…さすがはお客様!   死にたくなるほどつまらない人生を送ってこられただけあって、   石橋を叩き割るほどの思慮深さ! 男:それ、褒めてないだろ。 セ:万が一、やりなおした人生にご納得いただけない場合は、   クーリングオフも可能でございます。   承れるのは、やりなおした人生が、今日に到達するまでの間。   悪い話ではございませんでしょう? 男:まぁ…そうか…。 セ:では、契約の手続きをすすめさせていただきますね。 男:えっ。 セ:お気に召さなければ、クーリングオフで元通り!   お客様が損をすることはございません。 男:…あ、あぁ…。 セ:では、お客様は、どのような人生をご希望でいらっしゃいますか? 男:えぇ…これ、本当に言っていいのか? セ:はい! 男:あ…あの…その…シンガー…。 セ:はい?恐れ入りますが、もっと大きな声で。 男:…シンガーになりたかったんだ! セ:なんと!それは素晴らしい夢でございますね! 男:あ…ありがとう。ははは…。 セ:どうかなさいましたか? 男:いや、将来の夢を迷いなく口にできたのは、   いつぶりだったか、と思ってね。   幼いころは「夢をみろ」と言われるのに、   大人になると「現実をみろ」と潰される。   親もおらず、恋人もいない。   信頼のおける友人もいない。稼ぎもない。   俺は天涯孤独のまま、夢を語ることもなく、   死んでいくだけだったかと思うと…ははは…。 セ:夢や希望で溢れている方は、大変魅力的でございます。   どうか、ご自身の夢を諦めてしまわれませんよう。 男:あぁ…本当にやり直せるのなら…。 セ:では、何年前からやりなおし致しましょうか。 男:十八歳!十八歳の春からで、お願いします。 セ:かしこまりました。   そう致しますとお客様は、天涯孤独で財産も…   えー…失礼ながら期待できませんので…   ここは、右足一本でいかがでしょうか。 男:あ…足を!? セ:はい。大変申し上げにくいのですが、   このやりなおしは、慈善事業ではございません。   あくまで契約でございますので、相応の代償を頂きます。 男:しかし…。 セ:お客様は、シンガーをご希望でいらっしゃいますので   その魅力的なお声があれば、ご活躍には差し支えないかと存じます。   少々ご不便を感じるかもしれませんが、   夢をかなえることと比べたら、痛くも痒くもございませんよ。 男:それは、そうかもしれないが…。 セ:商談成立でございますね。ではこちらにサインを。 男:…ああ。 セ:…ご契約ありがとうございました。   心ゆくまでお楽しみくださいませ。 (男は中年のサラリーマンから、  片足が不自由な青年になって、人生をやりなおす) (都会の騒がしい駅前) 男:…これは、ちょうど俺が上京した十八歳の時か?   間違いない。流れている音楽が、懐かしいヒット曲ばかりだ。   あのセールスマンの契約は、本当だったのか。 男:――天涯孤独のうえ、生まれつき片足が不自由だった俺。   元の人生では、夢を諦めて就職したが、それが間違いだった。 (公園) 男:(弾き語りで歌う) 女:(拍手)うわぁ!お上手。 男:あ、ありがとう。 女:聞いたことのない曲だけど、作曲も? 男:あ…あぁ。「今」は誰も知らない曲だ。 女:へぇーすごい!ねぇ、あなたの名前は?なんて言うの?   「片足のシンガー」さん。 男:…。   男:――もう同じ失敗はしない。   俺は手当たり次第に、芸能事務所に曲を送りつけた。   とんとん拍子に話が進み、   「片足のシンガー」は怒涛の勢いでメジャーデビュー。   俺の新曲が、次々にヒットチャートをにぎわせる。   スポットライトを浴びる日々が、あっという間に過ぎていった。   (元の「契約時の中年男性」の歳になる) (バーで酒を飲む男) 男:――今では、こうして一人の時間を楽しんでいる。   叶えた夢と、華を添える極上のアルコール。   なんて素晴らしい人生なんだ。   セ:ご無沙汰しております。   やりなおしの人生は、ご満足いただけておりますか。 男:あぁ、君か。もう何十年ぶりだ?   もちろん満足しているよ。こんなにうまくいくなんてな。 セ:さようでございますか。   なお、本日がクーリングオフの最終日となっておりますが。 男:おいおい、この今の俺を見てくれよ。   クーリングオフなんて、すると思うか?   俺は今や大人気の「片足のシンガー」様だ。   なんて言ったって、ここ数十年分のヒット曲を知っているんだからな。   次に流行る曲、プロデュース、全て俺の思い通り。   はっはっはっは。 セ:では、このまま、こちらの人生をご希望でいらっしゃいますね。 男:あぁ。よろしく頼むよ。 セ:かしこまりました。では、失礼いたします。 (ホテルの一室) 男:…ふわあぁぁ…ん?ここは…ホテル?   いたたたた…あぁ、昨夜は飲み過ぎたか。 女:…ん…ううん…。 男:えぇぇ?誰、このオバサン?どうして?全然記憶がない! 女:…ん、なぁに。 男:あの、失礼ですが、どちら様でいらっしゃいますか。 女:あはは!やーだぁ。私のこと、覚えてないの? 男:ど、どういったことでしょうか? 女:私は、あなたのことを知ってるよ。「片足のシンガー」さん。 男:あ…あぁ、嬉しいよ…ありがとう。   でも…俺、昨日の記憶もあいまいで…あ、まって、着信が…。   もしもし、マネージャー?   すまん、今、立て込んでるんだけど…え、なに?俺の曲に盗作疑惑?   あの曲は、俺の方が先に歌ってるんだから、盗作なわけがない!   男:――いや、本当にそうだったか?   俺にとっては、もう何十年も前の話だ。   記憶があやふやになっていても、おかしくはない。   女:ねぇ、そろそろチェックアウトだけど…   男:――いや、それよりも、この女と居続けるのは、まずい。 (慌てて身支度を整え部屋を出る男。  外に出たところでカメラのシャッター音が鳴る) 男:う、うわぁあ、やめろ!   (アパートの一室。泥酔する男、鼻歌) 男:…盗作疑惑に、不倫騒動。契約違約金に慰謝料。   そしてあっという間に膨らんだ借金。   せっかくやりなおしたのに…(ギター、投げつける)   あぁ…なんて…むなしい人生なんだ…。   もう、いっそのこと…。 (睡眠薬をアルコールで流し込もうとする  どこからともなくセールスマンが現れる) セ:おや、そんなに睡眠薬を服薬されると、身体によくありませんよ。   失礼ですが、何かお困りではありませんか? 男:…あぁ、困ってるよ。   「片足のシンガー」のスキャンダルは、世間を大いに賑わせた。   もう、この先、業界に返り咲くことも難しいだろう。   せっかくやりなおしたのに、俺の人生はこんなものか。 セ:それは、それは。 男:ははっ。こんなことなら、最初から願っておけばよかったんだ。   両親がいて、嫁がいて、子どもがいて   …そして五体満足な「平凡な人生」を。 セ:クックック…これは、面白いことをおっしゃる。 男:なんだ。 セ:いえ、失礼いたしました。   お客様はすでにご記憶を失っておりますゆえ、無理もありません。   ですが、最初の契約時には、元々ご両親も、ご家族も、   ご健在でいらっしゃったものですから。 男:…は? セ:この契約で、お客様の記憶はそのまま継続されますが、   代償とした人物やモノの記憶は、全て抹消されます。   そのため、やりなおし後の人生を始めた時には、   何を代償としたのかも忘れてしまうのです。 男:まさか、今までにも、俺は契約をしていたというのか? セ:さようでございます。   最初は長年ひきこもりのご子息様を代償とし、   子育てのやり直しをしたいとご契約を頂きました。   しかしお客様の厳しい教育論にストレスを溜めた奥様が   不倫に走ったため、奥様を代償にして再度ご契約。   いままでに地位や名誉を求めて、ご家族や愛情深いご両親、   信頼のおけるご友人を代償として、   何度もご契約を頂いている次第です。   しかしながら、不思議なことに、どんなに手を尽くしても、   「不慮の事故」が起きてしまうのです。 男:そんな…。 セ:直近では、お客様の片足を代償として頂きました。   そうは言っても、全くピンと来ないかもしれませんが。 男:じゃあ、今、俺が天涯孤独で、家族も友人もなく、   不自由な体で、満たされない人生を送っているのは…! セ:全て、ご契約の代償をいただいた結果でございます。   当社といたしましても、ここまでご納得いただけないとは…。   この度もご愁傷さまでございました。 男:そんな契約、無効だ!返せ!返してくれ!   俺の失った記憶を!人生を!(掴みかかる) セ:ごほっ…それは出来かねます。   クーリングオフ期間を過ぎますと、   すでにお支払いいただいた代償も人生も、返品不可でございます。   あくまでも、悪魔の契約でございますので。 男:悪魔だと? セ:…あぁ、失礼いたしました。   これは、まだお伝えしておりませんでしたね。   しかしながら何度もご契約をいただいておりますと、   お体にもすでにご負担がかかっているのではありませんか?   無気力、付きまとう不安感、虚無感…そして記憶障害。   いずれも、心当たりがございますでしょう?(指パチン) 男:…あ…あぁぁぁぁぁ…!   …誰だおまえは!どこから侵入した! セ:フフフ…これは困りましたね。どこから説明したものやら。   …では、いかがでしょう。弊社と契約いたしませんか?   もう一度、やりなおして納得のいく人生を歩むのです。 男:うぅぅ…こんな人生…俺はまだ納得してないぞ…。 セ:そうです!その意気です!   さぁ、お客様の次の人生は?   ご納得いくまで、何度でもやりなおしましょう!   夢と希望で溢れている方って、本当に魅力的でございますね。   …では、次の代償は、その腕にいたしましょうか。 男:――そうだ。俺には、夢がある。   人に何と言われようとも、諦めきれない夢がある。   …もう、それが何だったのかは思い出せないけど。
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