喧嘩をした日

3/3
前へ
/8ページ
次へ
そう考えると、あれだけ醜く言い合った喧嘩ですら、何だか良い思い出に見えてきて、少しだけ笑えてくる私。 実際は、全く笑える様な状況ではなかったのだが。 駆け付ける消防車、絶えず黒煙を上げ続ける高層ビル。 地獄の釜の蓋が一気に開いたかの様な光景に、何時しか私は逃げる足を止め、じっと見入ってしまっていた。 人間、自分の処理能力の限界を超える様な出来事を目の前にすると、最早どうしたら良いか分からなくなってしまうらしい。 口々に絶望や恐怖の叫びを上げる人々。 中には泣きながら誰かの名前を必死に呼んでいる人もいる。 きっと……家族か恋人が、あの場所にいたのだろう。 沢山の人の苦しみや悲しみ、絶望の叫びを聞きながら――私は何時しか、縫い付けられた様に其処から動けなくなってしまっていた。 溢れんばかりの絶望の声が、天をつく様な悲哀の魂の叫びが、あちらこちらで上がり、私の耳の中で絶えず木霊する。 地獄なんて生易しいものじゃない――この世の終わりの様な光景が、其処には広がっていた。 (虐待やいじめからも、何とか生き抜いて来たけれど……流石に、これは……私も終わりかな) 筆舌に尽くしがたい光景を前に、『死』を覚悟する私。 けれど―― 「優!!!!!」 聞こえる筈のない声が、耳に届いたその瞬間――動かなかった筈の体が動き、私は反射的にそちらを振り返った。 「優!!!いるなら返事しろ!!!優!!!おい、いるんだろ!!!」 其処にあったのは……本来この場にいる筈のない幼馴染みの姿だった。 (……まさか、私を追い掛けて来たのか……?) ワールドトレードセンターの近くから少しでも早く逃れようと押し寄せる人の波に逆らい、大声で私の名前をひたすら呼び続ける健悟。 逃げ惑う人々に揉みくちゃにされ、時には罵声を浴びせられながらも、彼は、自ら危険なあのビルの方へと近付いていく。 時折、親切な現地の人が健悟の肩を掴み、早口で英語を捲し立て、必死に彼を止めようとする。 それでも健悟は、歩みを……私の名前を呼ぶのを、決して止めようとはしなかった。 その姿に――凍り付いていた筈の私の足が、自然と動き出す。 「生きてるなら、俺の名前を呼んでくれ!!!優!!!」 泣き声に近い、悲痛な健悟の叫び。 そうして……遂に、彼はペタンとその場に座り込むと、幼子の様に声を上げて泣き出してしまった。 「何で勝手に死んじゃうんだよ!!!何でっ……!!!まだ、ごめんって言ってないのに……!」 「……謝るのは、私の方だ……」 我ながら、なんとも気の利かない第一声だと思う。 けれど、考えるより早く、言葉が口から出てしまっていたのだ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

128人が本棚に入れています
本棚に追加