ひとめぼれ

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16、2010/5/5(日)  翌朝、大樹は早くに目覚めた。《大樹!起きてきいや!学校やろ!》智子の大きな声が頭の中に響いたのだ。あれは夢だったのか。体を起こしぼんやりと部屋を見回した大樹。千恵子の家だった。これこそ夢なのでは..背後で誰かのいびきが聞こえた。振り向いた大樹。ベッドの上で千恵子が寝ていた。仰向けのまま足を掛け布団の上に出している。枕元に外して置いていた腕時計をちらっと見る大樹。6時を少し回ったところだった。  みんなはどうしてるだろう?遠く離れた地で彼はふと家族や友人に対する思いをはせた。今日は日曜日。明日から学校が始まる。自分がどうして学校へ来ないのかみんなは気にするはずだ。  テーブルの足を見つめる大樹。警察が動き始めているかもしれない。このまま帰らずにいればきっと見つかるだろうなぁ。大樹自身、既に多くの人に心配と迷惑をかけているのだ。少なくともそれは分かっていることだった。だけど俺は千恵が好きだ。誰が何を言おうともそれは変えられない。  立ち上がった大樹。食器棚のほうへと歩いていきドアを開けるとコップを一つ掴んだ。シンクの蛇口を回し水をいっぱい注ぐとゴクゴク飲む。人間の体は寝ている間にかなりの水分を奪われているらしい。だからこそ起きた時に水を飲むのはいい習慣なのだ。「たっくん?」千恵子の眠そうな声がした。ベッドのほうへと顔を向ける大樹。「起きてるの?」「あ、うん。」「何時?」彼女の身動きする音が聞こえた。大樹は壁のアメリカ国旗をちらりと見ていた。「まだ早いじゃん。もうちょっと寝~てよ。」欠伸をしながら言った千恵子。ぐぅ~。彼はとっさにお腹を押さえた。朝ごはんが食べたかったのだ。「ごめんお腹空いた。」出し抜けに言った大樹。「何か言った?」「お腹空いてさ。」「あ~ごはん食べたいの?ちょっと待ってね。」言ってゆっくり起き上がる千恵子。  靴を履き、部屋の照明を付けた。「ごめん。早く起きちゃったから。」頭をぼさぼさ撫でる千恵子に大樹は言った。「いいよ。慣れないとこだし仕方ない。千恵にも分かるからさそういうの。」冷蔵庫を開けた彼女。牛乳を取り出しテーブルの上に置いた。食器棚の横にある小さな扉を開けると手を伸ばし、奥にあったシリアルの箱を取り出す。「何見てんの?」大樹が聞いた。「シリアル。好き?」「何それ?」「知らないの?コーンフレークみたいな食べ物。千恵の毎日の朝ごはん。」袋を開けた千恵子。「たっくん二段目に入ってるお皿二つ持ってきて。」「えっあ、あぁ。」食器棚を開ける大樹。コップの入っている段の上に小さなボウルがあった。「落とさないでね。割ったら弁償・・な~んて冗談冗談。」小声で笑う千恵子。  テーブルの上にボウルを置いた大樹。彼女はバラバラと中身を入れ始めた。「穀物がいっぱい入ってて体にいいんだよ。ビタミンとかミネラル豊富でさ。」牛乳を注ぎ入れながらにっこりしている。「そうなんや。あんまりこういうの食べへんからな~。」スプーンを受け取りながら言った大樹。「何食べてるの?いつも。」千恵子は聞いた。「白ご飯とか。」「日本人だね。」言いながら顔を洗いにバスルームへと入っていった彼女。「食べてていいよ~」  テレビを付けた大樹。日曜なのでニュースはやっていない。代わりに旅グルメの番組がやっていた。牛乳をスプーンですくった彼。朝に飲む牛乳も珍しい。「美味しい?」出てきた千恵子が聞いた。「歯ごたえがいい。」「よく噛むことって大事なの。歯にも顎にも頭にも。」大樹と向かい合う形で座った彼女。「初めてだね。たっくんと二人で朝ごはん。誰かと食べるのっていいよね。」「そうやな。あ~何かこんな朝が来るなんて思ってもいなかった。」穀物をバリバリ噛む大樹。「ほんとほんと。」テレビに視線を向ける千恵子。東京界隈の町を歩いているタレントがパンを片手に談笑している。  「食べ歩きもいいよね~。そうだ!礼拝行ってからミナミの町ぶらぶらしない?」千恵子が提案した。「礼拝?」「うん。..ってそうだ教えてなかった。毎週日曜日は朝から教会へ行くの。お祈りしにね。よかったら来る?」「俺はキリスト教じゃないけどいいん?」気後れしたように大樹が言った。「いいよ。神父さんが歓迎してくれると思うし。あっ勧誘とかないから大丈夫だよ。」大樹の表情に気付いた千恵子が最後に付け加えた。「よかった。じゃそれ行ってから街歩こ。ただ..」大樹は言いにくそうに口をつぐんだ。「どしたの?」「見つかったらどうしよって思って。警察が」「何でそんなこと気にするの?悪いことしてないのにおかしいじゃん。」食べ終えた食器を片づける千恵子。「それは分かってる。ただ俺家族に何も言わずに来たからさ。心配してると思うしそれに」「帰りたいの?もしかして」テレビを切った彼女。その声は少々苛立っている感じだった。「そんなことない。ただ」「ただ何?たっくんは千恵のものだよ。誰のものでもない。分かってる?」声を上げる千恵子。  「話を聞いてくれよ。いい?俺は千恵が好きだしずっと一緒にいたいって思ってる。だけど家族に心配だけは掛けたらあかんしちゃんと話もしないとって思うねん。分かる?」懸命な顔の大樹。何でこう独りよがりになるんや?千恵子は顔をぬっと大樹に近づけた。「どうやって帰るつもり?電車にもタクシーにも乗れないじゃん。経済力ゼロの君じゃ何もできないよね。」恐ろし気な笑みを浮かべる彼女。大樹の髪をぐいと引っ張った。「あっ痛い。」「大人しくしろ。さもないとどうなるか。」脅すような声を出した千恵子。まずい。大樹は逃げようとした。が追いかけてきた彼女に体をむんずと掴まれた。「男の子でも子供なら弱いな。」「やめろ。」慌てふためく大樹。だが次の瞬間千恵子は激しい蹴りを彼の膝にかました。大樹はその場で倒れた。  こ、こいつ。千恵子が悪魔に変わった瞬間だった。
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