ひとめぼれ

2/29
前へ
/29ページ
次へ
2、2010/5/1(水) 世間は大型連休の最中であった。小島大樹は弟の彰とともに母方の祖父母の家へ泊まりに行くことになっていた。二人の住む橿原市から少し離れた西の香芝市までは車で30分ほど。年間を通し5回か6回訪れており、会うたびに祖父母からの温かい歓迎を受ける。香芝の中でも街はずれの小田舎にある木造二階建ての住まい。青い瓦が特徴的だった。伴壮地区の名を聞いていつも笑っていた彰。何しろ小学2年だ。大人であれば気にしないようなことに反応を示したり、レベルの低い突っ込みを入れるのが珍しくなかった。ばんそーばんそー。大樹も今年は4年生。つい先月10歳になったばかりだ。  橋本家の表札がかかった玄関の前で立ち止まり、呼び鈴を鳴らすと中から誰かの足音が聞こえてきた。「ばあちゃんか?」大樹が聞いた。「嬉しいんやで。はよ会いたいんやろ。」母の智子が言った。するとドアが勢いよく開き、外にいた三人はびっくりした。「や~来てくれたん。入り入り。」立っていた祖母の由紀子が明るく声を掛けた。「よっばあちゃん。」彰が左手を挙げた。「おかあちゃん。大樹と彰連れてきたから。」彰の頭を撫でながら智子が言う。「うん入り入り。」由紀子は上機嫌だ。玄関で靴を脱ぎ、石段を上がるとすぐ台所が見えた。どこか昔懐かしい感じのする場所である。奥の部屋からはテレビの音が聞こえた。「道混んでへんかったか~?」玄関の戸を閉めながら由紀子が聞いた。「まあまあ混んどったけどな~。早い時間やからあれでもましなほうやったんちゃう。」笑いながら言った智子。居間の戸を開けた大樹。きりきりと鈍い音がする。「おっ来たんか。」奥の間でテレビを観ていた祖父正和がこちらを見て言った。「よっじいさん。」彰が挑戦するように言いながら大樹のそばを通り過ぎた。「何がじいさんや。」けらけら笑っていた正和。  智子と由紀子が入ってきた。手前の部屋と奥の部屋合わせて12畳ほどの空間である。開け放した窓から入る風が心地よい。「おとうちゃん。」智子が声を掛けた。「智子か。」テレビ画面に戻ろうとしていた正和が声のするほうへと顔を向けた。大雑把で開けっ広げなところのある由紀子に対し、落ち着きのある正和。慎重な性格ともいえる。「よいしょっと。」由紀子はその場に膝をついた。智子と賑やかに話がしたかったのだろう。テレビの音に負けないくらいの声量で喋り始めた。「うるさいわ。」正和が軽く怒鳴った。「もう。」智子が軽く笑った。テレビゲームを持ってきていた彰。「二階でやろか?兄ちゃん。」「あ、そうやな。」部屋の様子を見、大樹は答えた。母娘の気楽な時間を大切にしてあげたかった。「ゲームやっていい?」彰が聞いた。「あ~ここでやったら?」智子が目の前のテレビを指さして言った。背後を振り返る彼。28インチのアナログテレビだった。そういえば..大樹は思い出した。あと一年ほどで地上アナログ放送が終了することを。そうなるとこのテレビも使えなくなるのか..家電量販店のテレビコーナーにも奥行のない薄っぺらな画面のテレビがたくさん置いてあるのを目にしたことのある大樹。変な形だったな。  「二階でやってき彰。」由紀子が笑いながら勧めた。「分かった~。兄ちゃん。これ持って上がってくれる?」ゲーム機を入れたバッグを見ながら言った彰。大樹は頷いた。居間を出、暗い階段を駆け足で上がっていく彰。重いゲーム機を持っていた大樹は照明の灯りを頼りにゆっくりと上がっていく。畳敷きの六畳間は明るく開放的で東西に窓がある。小型のテレビにゲーム機を接続していた彰。大樹は西側の窓から外を見ていた。田畑の広がる目の前にはパチンコ屋が一軒。客足の少ない割に駐車場が広いのだ。あれでようやっていけんねんな。以前、智子がそうこぼしているのを聞いたことのある大樹。近所の子供とあの駐車場の一角で追いかけっこし合ったことを思い出しつつ、何ともとれぬ表情をしていた。  「黄色がこれで白がこれっと。」テレビの入力端子へコードをつないでいる彰。階下からは祖母の高らかに笑う声が聞こえてきた。パチンコ屋から目を離した大樹。すぐ左側にはガソリンスタンドがあり、洗車機の案内音声が耳へと入る。そこからさらに数メートル行ったところに小さく見えたコンビニ。いつになってもこの景色は変わらない。「兄ちゃんできたで。」彰が呼びかけた。「あ、うん。」振り向いた大樹。    5時になった。家の用事があるからと帰り支度を始めていた智子。「5日の日曜に迎えに来るから頼むわ。」玄関先で由紀子にそう言っているのを聞いた大樹に彰。「じゃあ帰るわな。」息子に声を掛けた智子。「さよおなら~。」彰がふざけて言う。大樹は笑った。由紀子が外へと出、見送っている間に二人は居間のテレビを独占した。30分後に見たいアニメがあったからだ。「テレビ大阪映るからいいよなここ。うちやったら映らへんから。」笑う彰。祖父母の家がある香芝は大阪に近い上、県北部に存在する生駒山中継局から発される電波のお陰で放送を楽しめるのだった。夕方の時間帯になるとアニメが多く放映されるチャンネルなため、小学生の二人にとっては都合がよかったわけである。奥の部屋では正和がプロ野球中継をラジオで聞いていた。  「やい!かかってこい。」彰が挑発するように言った。反抗期が近いのである。中継に聞き入っていた正和は気付いていなかった。業を煮やした彰は正和の座っているこたつテーブルに近づいた。正和がじろっと彰を横目で見た。彰はラジオを引っ掴み電源を切った。「こら!」正和が怒った。彰は笑う。「しょうのないことするな。ほんまに。」言いながらラジオを付けた。「お陽さん沈んできたで。」部屋へと入ってきた由紀子が気軽に言った。窓の外を見た大樹。太陽は見えなかった。「外へ出やな分からんな。出て見てみ。」「おい!飯にしろ。」時計を見た正和が一喝した。「待ちいな。うるさいねんから。」由紀子が文句を言う。「くそじじいやでホンマに。」大樹や彰にだけ聞こえるように言った。大樹は失笑した。  口の悪い正和。日々の暮らしにおいて(由紀子に対し)わがままで厳しく当たろうとするのもワンマンで関白亭主なところがあってのゆえんだった。古い時代の男の人に見られる典型的な考え方である。大樹にとっては難しく、ただ正和が自分勝手であるとしか思えなかった。愛情表現も今一つで下手なのかソフトなのか分からない。由紀子のように心から大げさに言おうとすることがほとんどないのだから。  それでもこの家にはどこか温もりがある。目には見えない温もりが。長年に渡る暮らしがあってこそのものなのだろう。大樹は思った。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加