番外編

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発情したオメガに流されただけだろうか? だったら、いまなおオレの中に渦巻くこの思いはなんだろう? オレは自分の身に起きたことがなんであるかは分からなかったが、それでもこの人を手放す気にはならなかった。 いずれはオメガと結婚しなければならないのだ。だったらこの人でもいいではないか。 たとえ周囲が反対しても、そしてこの人自身がオレを拒んだとしても、オレは必ずこの人を自分のものにする。 そう強く思っていると、腕の中のこの人がわずかに動いた。目を覚ましたのだ。 きっとオレに驚き、怯えるだろう。 自分がしたことは分かっている。 それがどんなに酷いことか。 だからこの人が完全に目覚める前に身を離そうとしたその時、背中に信じられない感触が・・・。 その人の両腕がオレの背に回り、抱きしめるように力が込められたのだ。 驚いてそのうなじから顔を上げようとしたオレの耳に、その人の声が流れ込む。 「いい香り」 そしてふふふと吐息のような笑い声。 「僕たち、番になっちゃったね」 その人はそう言うと、むぎゅっとさらに抱きついてきた。 予想もしなかったその人の反応に固まるオレに、一度その身を離したその人はオレと向き合い頭を下げた。 「不束者ですがですが、よろしくお願いします」 そう言って笑ったその人は、眠っている時よりもさらにキレイだった。それはまるで森の妖精のよう。 都会から離れた森の中で、ここはまるで別世界の様だ。その現実味のないところでおよそ現実とは思えないことが起こった。 にこにこ笑うその人が、本当に妖精のように思えた。けれどそんなことある訳もなく、その人もここに避暑に来ている一人だった。オレがこの夏一人で過ごすと言うと自分もそうだと言い、どうせ大人に怒られるのならいっぱい楽しんでからにしよう、といたずらっ子のように笑った。だからオレたちは、この夏休みが終わるまで誰にも言わないことにした。 そしてその人はうちの別荘にやって来た。 どこに泊まっているのか、荷物も持たずそのままうちに来たその人は、その日から一緒に住み始め、当たり前のようにオレのそばにいた。 一緒に話して、一緒に食事して、一緒にベッドに入った。当然、夜の触れ合いもした。 初めて会ってあんなことをしてしまったオレと、なんで一緒にいられるのか。だけどその疑問を口にできなかった。それを言ったら、その人が消えてしまうような気がしたから。実際、オレたちは色々な話はしても、お互いの話はしなかった。だけどそれで十分だった。世間から隔離されたこの家で、まるでこの世に二人だけしかいないような生活が、オレにはとても幸せだったから。そしてその幸せを、その人も感じている事が分かったから、オレはそれ以上何も言わなかった。 趣味は寝ること。 そう言って笑ったその人は、本当によく眠った。午後のお昼寝は毎日していたし、午前中から寝ていることもあった。 寝るのが好きなんだ。 そう言ってふわふわ笑ったその人の顔が大好きだった。 眠っている時以外はオレのそばにいたその人は、いつも言葉を惜しまず好きだと言ってくれた。そして触れ合いを求めた。同じ気持ちだったオレもそれに応え、オレたちはこの夏、誰もいないこの家でずっと二人で寄り添っていた。 生まれてから、いや生まれる前から全てを決められていたオレは、初めて生きているということを実感をした。 好きな人をこの腕に抱き、思いの全てを言葉に乗せ、そして同じ気持ちが返ってくる。 本当に幸せだった。 けれどそんな幸せな時間も永遠では無い。 夏休みもあと一週間で終わるといったある朝、その人は起きなかった。 いくら寝るのが好きだと言って午前中から寝ることはあっても、朝起きなかったことは無かった。けれど、寝てる姿を常に見ていたオレはそのうち起きるだろうと思った。それよりも、夏休みが明けてからのこと方が心配だった。 でも答えは決まっている。 この人と離れることなんて考えられない。
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