化け物の誓い

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 虫の鳴き声、鳥の羽音、あらゆる生きるものの音が、この世界から失われていた。  足元もおぼつかない黒闇の中、夜風が木々を揺らす音ばかりが不気味に響く。まるで人々の囁き声のようだった。  おい、誰か来たぞ。ニンゲンだ、ニンゲンだ。旨そうなニンゲンだ。しかも、若くて硬そうなのが二匹もだ。 「ちょっ、ちょっと待ってくれよ鉱順……」  楊卓はそのたびにもたついて、震える視線をあちこちに走らせた。  生温かいのに、どこかひんやりした空気がぬるりと肌を撫でる。足元にまとわりつく。何かに後をつけられているような錯覚に陥る。背筋は寒くなるのに、手のひらには嫌な汗をかいていて、腹の底に微かな圧迫感すら感じる。  俺たちは森に呑み込まれていた。  森という化け物の胃の中にいるのだ。 「な、なぁ、やっぱりやめないか? 今日の森、なんかおかしいよ。怖いっていうか、気持ち悪いよ。胸騒ぎどころの話じゃないって」 「……」 「鉱順、帰ろうよ。きっと神様が帰れって言ってるんだよ……おい、聞いてるのか? 鉱順!」  腕を強く引っ張られて振り向いた拍子に、楊卓と目が合った。その瞳が真ん丸になり、ぱっと手を放された。不安げな声が上がる。 「……鉱順?」 「大丈夫、俺、呼ばれてるんだ。身体が向こうへ行きたがってる。自分でもよく分からないし、怖いし、帰りたいんだけどな。……帰っていいよ、楊卓。ここにいるの、気持ち悪いだろ」  引き()った顔で無理やり笑いかけると、楊卓は口をつぐんでしまった。囁き声が、徐々に鮮明になっていく。いくつもの声が重なって、反響しながら地を這うように俺の鼓膜を震わせる。  来い、ニンゲン。こっちだ、もう少しだ。お前は特別なニンゲンだ。選ばれたニンゲンだ。我々の声が聴こえただろう。我々の匂いを嗅いで、我々の足跡をたどって来たのだろう──?  ──ずるり、と、黒闇の奥から音がした。  ずるり。……ずる。……ずるっ。……ずる、ずるる、ぐちゅ……ずるり。  重い物体を引きずるようなその音は、ときおり何か、粘り気のある音を織り交ぜながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。  ずる……ずる、ずるり、ぐちゅ、ずるずるずる、  ずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずるずる──
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