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……どのくらいそうしていたのだろう。
楊卓の脚が現れる頃には、俺は返り血と肉片まみれになっていた。
化け物はもう静かに痙攣するだけで、息絶える直前のようにも見えた。
ただほんの一部を抉られただけなのに、どうしてこんなに衰弱しているのだろう。楊卓といい勝負だ。
「楊卓」
彼は地面に額をつけたまま泣いていた。白かった太腿は赤く腫れ上がり、ところどころ焦げ茶色や剥き出しの皮膚みたいな桃色になって、肉片を貼りつけたまま痙攣している。
溶けて、服や肉片と融合しかかっているのだ。こんなにひどい火傷では、もう元の綺麗な脚には戻れないのだろう。
「楊卓。帰ろう。今のうちだ。早く」
あまりのことに我を失っている楊卓を抱き上げながら、俺はふと考えた。
喧嘩どころか立って歩くこともできず、醜く爛れた脚をもった貧しい男を、向こうの家は受け入れてくれるのだろうか、と。
見目麗しい箱入り娘が、この無残な火傷の痕を見て、気絶せずにいられるだろうか。果たしてふたりの純愛はどこまで本物なのだろう。それ以前に、大事な結婚を控えていながら馬鹿なことをしたこいつを、家族は許せるだろうか。
いつのまにか化け物の姿は遠ざかり、淡い木漏れ日が出口への道を照らしていた。ざらついた灰色の岩壁に、朝陽が金色の円を描いている。
木々が途絶えて岩壁の前に立ったその瞬間、爽やかな秋の風が吹き抜けた。それが、すっと俺の胸の中に答えをもたらした。
楊卓は泣き疲れて、眠ったのか気を失ったのか、今にも消えてしまいそうなほど小さな寝息を立てている。
すっぽりと腕の中におさまるその姿に、どうしようもなく満たされるのは何故なんだろう。
楊卓を喰らおうとする化け物をぐちゃぐちゃにした、あの感触が甘く指先に溶け込んでいる。
『──俺、遠くの町へ婿養子に行くことになったんだ。七日後に出ていかなきゃならない。……黙ってて、本当にごめん』
楊卓に別れを告げられたときの、重なるように響いた銅鑼の音が、ずっと鼓膜を離れてくれないのはどうしてだろう。
傍に小屋があるのが見えた。もう何十年と誰も訪れていないような、古びた空き家。歩けない楊卓を、誰にも発見されないよう隠しておくのにぴったりの場所だ。
扉へ向かって歩き出しながら、笑みが浮かぶのを止められなかった。
俺は化け物に、殺してくれと呼ばれたのだ。あの化け物よりもっと怖ろしい、ニンゲンの姿で中身は化け物の俺と、楊卓は誓いを交わしてしまった。
目を覚ましたらなんて声をかけよう。この森から永遠に還ることはできないのだと聞かされて、楊卓はどんな顔をするだろう。あの虎みたいな丸っこい吊り目に、戸惑いと恐怖が浮かぶところを想像してみる。
──楊卓、あぁ、だって、ずっと一緒だと誓ったじゃないか。誰より優しくて、嘘をつけないお前が、ずっと俺を助けてくれる。俺も化け物からお前を救っただろう? だから、今さら誰にも奪わせないよ。
楊卓の睫毛がわずかに揺れた。目覚めるのを楽しみにして、俺はその額を撫でる。外の光を遮るように、小屋の扉は閉ざされた。
──今日から俺は、化け物として生きていく。
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