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──本が、読めない。
***
眠い、眠い。平日の日中なのにどうしても眠い。今日はどうしても出かけなくてはいけないのに。
父が在宅ワークの合間にコーヒーを淹れてくれた。飲みに来るようにと私を起こしに来たが、それでも起きられない。
睡眠障害のせいだろうか。それとも、それを治すための薬のせいだろうか。もう夕方になるのに眠くてたまらない。こんなことだからニートのままだ。
起きなくては、起きなくては、起きなくては……そう百回は頭の中で唱えただろうか。一時間半ほど経って、不意に眠気がおさまった。
私は飛び起きた。冷めたコーヒーを急いで飲んでから、顔を洗って眉を描いてマスクをして鞄を用意する。
今日は私の最も敬愛する作家が久々に書いた新刊が発売される日だ。
何故その作家が好きなのか、理由は色々あるが、その中でも一番は、私を「読書家」にしてくれたことだ。
小学校三年生の時に、私はその作家の本と出会った。
それまでも母は様々な本を図書館から借りては私たち兄弟に提供していたが、その頃の私はそれがだんだん面倒くさくなりはじめていた。
もちろん本は嫌いではない。だが弟のように食らいつくように読む気にはなれない。ちょっとした趣味として齧る程度でいいではないかと思っていた。
だがその作家の児童向けファンタジー本を読んだ時、私は初めて、物語に夢中になるという経験をした。読書の真の面白さを知った。
それからはあらゆる本をむさぼるようになったし、同じ本を繰り返し読むようにもなった。
本なしには私のこれまでの人生は語れないというほど、私の生活には本がつきものだった。本を読まない日は一日たりとも無かった。
──大学生になるまでは。
大学三年生の時にうつ病を発症して以降、私は本を読めなくなった。
どんなに好きな本でも、読もうとすると胸が苦しくなって、たまらない気持ちになる。すぐに本を閉じてしまう。次第に本に手を伸ばすことそのものがつらく感じられるようになった。
私は本を読まなくなった。
私は病人になると同時に、読書家ではなくなってしまった。
私はそれが残念で仕方がなかった。あの夢広がる素敵な世界へ飛んでいけなくなったことは、人生における多大な損失である。
世の中には一生かけても読みきれないほどの膨大な数の面白い物語があふれているのに、私はもう何年もそれを味わうことができていない。
お気に入りの読みやすそうな本を厳選して、読書にチャレンジしてみたこともあるが、たった一章を読み切るにも何度も休憩を挟み、読んでいる間も絶えず胸が苦痛に襲われた。息が上がり、生きていることがつらくなった。
もう私は本を楽しむことができないのか?
このまま無味な人生を送るのか?
否、そうではない。
今日が転機だ。
あの作家の本が新発売される。私を読書家の道へと導いてくれた作家の本が。
だから、眠っている場合ではないのだ。売り切れる前に買いに出かけねば。
ネットで注文しても良かったが、何となく気分的に、本屋に出かけて自分で買いに出かけたかった。ひきこもり生活からの脱出を、読書スランプからの脱出と重ね合わせていた。
だから今日、今、動き出さなければ。
私は上着を羽織った。靴を履いた。外に出た。自転車に跨って、漕ぎ出した。駅前の本屋まで。
到着。大きな本屋である。目的の本は、上下巻揃って店の一番手前に陳列されていた。装丁がきらきらと美しかった。手に取るとずっしり重かった。私の中で、ページをめくる時のあの感触が一瞬だけ蘇った。
会計をして持って帰る。無収入の身には痛い出費だったが、これは人生を渡っていく上での必要経費だ。何てことはない。
いざ、机に向かう。満を辞して、読書生活を取り戻す活動に再チャレンジだ。
ページを、開いた。
旅が、始まった。
彩り豊かな世界観が、脳内にどこまでも広く映し出される。
この高揚感。没入感。
少し、昔を思い出せた。夢中になって本を味わっていたあの頃の感覚を。
──ほんのいっときだけ。
結局、つらくなってしまって、一章を読み切るには至らなかったが、八十ページほどを読むことに成功した。ファンとしては、できれば今日中に二冊とも全て読み終えてしまいたかったが……リハビリはゆっくりやるに限る。
今日から少しずつ、私の大好きな世界を、取り戻してゆこう。
私はまあまあ満足して、回復のための眠りについた。
おわり
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