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プロローグ 初めての日
私が彼らを知ったのは、小学校四年生の十二月のはじめだった。
夕飯を済ませた後、自分の部屋へと引っ込んで明日の学校の支度をした。
書き取りの宿題が日中には終わらず残っていたので、それも終えなければならないのだが、とはいえ、そこは小学四年生の女子のこと。時間割を見ながら教科書やノートをランドセルに入れた後はベッドへと寝っ転がり、手の届く場所にあった漫画本を取ると、顔の上にかざして読み始める。もう何度となく読んだそれは、すでに大半が記憶されており目新しいものもなく、ただ宿題に取り掛かるのが面倒で、食後の一服という言葉がぴったりの時間だった。
そのうち、お腹が膨れていたということもあって私はうとうとし始めた。腕が脱力し漫画が落ちたが気にもせず、視界がだんだんとぼやけていく。
暖房の効いた部屋で、ベッドに敷かれたふかふか布団にうずもれて、なんと心地のよいことか。
どのくらいの時間が過ぎたのか、きれいさっぱり意識の無くなっていた私は、乱暴に身体を揺り動かされて、億劫ながら目を開けた。
頭の上に、母のしかめっ面がある。
「風邪ひくわよ。早くお風呂、入っちゃいなさい」
それだけ言うと背中を向けて出ていく。
私はむっくりと身体を起こし、首筋をボリボリかきながらタンスから下着とパジャマを引っ張り出すと風呂場へと向かった。だいぶ寒くなってきたから、その日は常よりゆっくり湯船に浸かっていたと思う。
風呂から出て、バスタオルで髪をくしゃくしゃかき混ぜながら廊下を進むと、母は食後の後片付けを終え、奥の和室で洗濯物にアイロンをかけていた。
ダイニングへと入り、風呂上がりの火照った体で冷蔵庫から麦茶を出しコップに注ぐ。ダイニングと続きのリビングでは、父がソファーでくつろぎTVを見ながら晩酌をしている。
麦茶を口に運びながら、ちらっと眼の端に映ったTVの画面は時代劇で、そんなものに今時の小学女子は興味もない。自分の部屋に戻ろうかと思った時、画面の中からその声は聞こえた。
「おのおの方。いざ、討ち入りでござる」
それまでの人生で、聞いた覚えのない言葉。もちろん時代劇だから昔の人が使っていたものだろうけれど、その討ち入りという言葉が、まるで人の心を奥底から突き動かす魔法の呪文のように聞こえ、私はリビングに向き直ると、めずらしく父と同様に画面の中を見つめ続けた。
「あら、なつかしいわねぇ」
アイロンがけを終えた母がやってきて、父の横に腰を下ろす。
「うん。久しぶりに演るって新聞にあったからな」
父の言葉から、それは思い出の番組のようだった。
ちらほらと雪の舞う夜、同じような格好をした大勢の男たちがしずしずと進んでいく。先頭を行く男は一行のリーダーなのか、一人兜をかぶり、前方をにらみつけるような眼差しで歩いていく。
「めずらしいな。むつみも一緒に観るか?」
私に気づいた父が笑いながら言う。その時は、両親の脇に座り一緒に時代劇を観るというのがなんともこそばゆい気がして、黙ったままキッチンの椅子に腰を下ろした。
「これ、何?」
しばらくして私は訊いた。
「赤穂浪士。忠臣蔵だな」
「ちゅうしんぐら……」
音で聞いただけでは理解できないまでも、その言葉が、大人の世界では誰にでも伝わるものという印象を受けたことは確かだった。
私が見始めたその場面は、まさにクライマックスへと差し掛かる一段で、その後は誰もが知っている通り、赤穂の義士四十七人が、本所松坂町の吉良上野介の屋敷へと戦いを挑む。
昔の作品であれば、人形浄瑠璃や歌舞伎のイメージよろしく、派手な衣装の義士たちが吉良邸へと討ち入るや、大石内蔵助が叩く山鹿流の陣太鼓。迎え撃つ吉良方の侍を返り討ち、庭の炭置き小屋に隠れていた上野介を見つけ見事本懐を遂げる、という流れになっていたのだろうけれど、私が見たそれは、やはり細部は芝居じみてこそいるものの、そこそこ時代考証もされたようで、子ども心には十分リアルと見えた。
そして、それ以上に目を惹いたのが、赤穂浪士のあの揃いの装束。黒小袖に縫い留められた真っ白な晒には各人の名前。それは敵に対する挑戦の証か、死を覚悟した者の名乗りなのか、まるで自分が討ち死にした際の墓碑、戒名の替わりかと思えるほど、そこに彼らの強靭な意思、矜持が感じられて、思わずゾクッとしたことを覚えている。
ユニフォームに萌える気持ちは誰もが少なからず持っていると思うけれど、それは規律によって統制され、一つの明確な理念、信念に向けて一致団結した者たちの思いがそこに見て取れるからだろう。あえて個を捨て、全体主義的な大きな意思、目的に向けて一丸となっていることを表すそれは、たぶんに耽美的であり、そして何より戦闘的だ。それが看護師の白衣や、CAの制服や、大手企業の受付嬢や、飲食店で働くアルバイトの法被もどきであろうとも、そこには目的遂行に向けた臨戦態勢にある者としての誇りが存在する。
学校の制服も同じ。もっとも、学校の制服はヨーロッパの軍服が起源だから当たり前ともいえるけれど。
ともあれ、小学四年生の私の脳と心に、彼ら赤穂浪士の姿は強烈なインパクトを与え、最大の見せ場である吉良邸討ち入りのアクションシーンと相まって、その後の人生に大きく影響したといっても過言ではない。
後になって知ったが、あの番組は十数年前に作られた映画の地上波放送で、父と母二人にとって思い出の作品だったそうだ。
そもそも両親の出逢い自体が、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵から始まっていた。
観劇の帰りにたまたま入った喫茶店で、はす向かいの席の女性が同じ演目を見ていたと気づいた父が声をかけ、そこから話が弾んで、次回は一緒に観ることになったとか。
ナンパにしてはずいぶん古風なアイテムがきっかけと思えるが、ともあれ二人は付き合い始め、三年後に結婚するまで、デートの度の大きなテーマの一つが忠臣蔵で、久々に新作映画が作られるというので映画館に観に行ったという。
親の青春時代や新婚ホヤホヤの頃なんて、妙に生々しくて知りたくもないけれど、とにかく二人はめでたく結婚し、その二年後に私が生まれる。
そして十年後の今夜。
両親思い出の映画を家族そろってラストシーンまで見続け、十一時を過ぎて自分の部屋に戻ったものの、その晩は赤穂浪士たちの姿がちらついてなかなか眠りへと導かれず、寝ぼけた頭で翌日登校した私は、書き取りの宿題が終わっておらず担任に叱られた。
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