第四話

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第四話

 学校の帰り道、千秋の足取りは重かった。母親は今日も病院で、帰ってくるのは七時頃だ。  帰り道の桜は全部散ってしまったし、初夏にもまだ早い。  本当は心地よいはずの柔らかな風が、余計に千秋を不安な気持ちにさせた。 (どうすれば、よかったのかな)  好きになった人に、好きになってもらいたい。  そんな気持ちが先走り、初めての恋心に浮かれて失敗してしまった。  もう少しで家に着いてしまう。外は薄暗く、ちょうど街灯の電気がついたところだった。  家にまっすぐ帰る気にもならなくて、誰もいない公園の前で足をとめた。 「あれ、千秋、いま帰り?」 「――田島」  振り返ると田島がジャージ姿で立っていた。肩には大きな部活のボストンバッグをかけている。 「田島、バスケ部入ったのか?」 「いや、バレー部。人数少ないんだよね。千秋もどう?」 「うーん。球技は苦手かな」 「そっか残念。バレー楽しいのに」 「田島、なんか高校生活エンジョイしてんな」 「ただの部活帰りじゃん」  もう部活やってるんだって驚いていた。千秋が家のことや先生のことで、頭がいっぱいになっている間に、クラスメイトは高校生活をスタートしている。  すっかり出遅れていた。  運動自体は好きなんだし、部活とか入った方がいいんだろうか。特別有名な進学校でもないし、勉強以外だって、もっと色々出来るだろう。  目下の目標が、カレー作るだった。 (あとは、先生に健康でいて欲しい、かな)  元気なのが、唯一の取り柄だと思っている。けど、元気が出ない。らしくなく、ため息を吐いた。 「なぁ、田島、普通の高校生って、毎日、何してる?」 「えー部活とか、バイト?」 「……ふーん」 「おーい、どうした姫、大丈夫か? また、倒れる?」 「倒れないって。てか、姫言うなよなぁ」  貧血どころか、さっき夕飯を食べたところだった。全然、味を覚えていないけど。 「ごめんって、でも心配だなぁ。あ、そうだ。俺、喉渇いたし、ついでだから、ジュース奢るよ」 「別に、いいよ」 「いいから、いいから」  いたって健康体なのに、田島の中では、すでに病弱認定されているようだった。世話焼きな性格なのか、本気で喉が渇いていたのか、田島は近くの自販機でジュースを二本買って戻ってきた。そのうち、一本を手渡された。 「なぁ、これ、野菜ジュース」 「ついに九十円になってた! どこまで値引きされんだろうな」 「あ、ありがとう」  一応、お礼を言ったが、あまり飲みたいとは思わない。 「すげー不味そうだろ、どんな味するんかなぁって、毎日気になってて」 「人を実験台にするなよ」  なんだか野菜ジュースのイラストがやけにリアルで毒々しい。これなら、いっそのこと写真の方がマシだったんじゃないだろうか。 「まぁまぁ、味の感想教えて」  どう考えても人気がなくて売れてないから値引きされた商品だった。  街灯が近く明るかったので、公園のブランコに二人並んで座る。 「なんか、あった?」 「なんで」 「元気ねーから」 「――俺の友達の話なんだけど」 「それ、ツッコミした方がいい?」 「最後まで聞いて欲しい」 「よし、分かった。続けろ」  気分を明るくしたかっただけだ。ノリが分かる友達でよかった。 「好きな人に嫌われた。それで、振られて落ち込んでいるらしい」 「お前の悩み分かりやす! つか、千秋の方が高校生活エンジョイ勢じゃん」  田島はブランコから落ちて地面で笑い転げている。 「で、なんで喧嘩したんだよ」 「喧嘩じゃ、なくて」  最初から、相手が先生なこと以外は隠すつもりはなかったので話を続けた。 「好きな人が、よくないこと……してて」 「なに、タバコでもやってたのか」 「いや、タバコじゃなくて」  違うと言ったが、自分が知らないだけで生徒に隠れて吸っている気がした。――吸ってるなら、やめて欲しいけど、似合ってる気がした。  あの綺麗な顔でタバコ吸いながら微笑まれたら、落ち着かなくて、そわそわすると思う。 「その……健康に、気をつけて欲しいって、言ったんだけど、怒られた」  隣のブランコに座っている田島の顔をまっすぐに見た。 「千秋……不良と付き合いたいの?」 「違うけど、まぁ、遠からず」  昼間の怒り方を見るに、昔は相当悪かったんじゃないか、なんて思い始めた。 「友達だから言うけどさぁ、やめとけよ。酒かタバコか知らねぇけど、その子悪いことしてんだろ」 「うーん、法的には別に」 「じゃあ年上……まさか」 「いや、違う違う、高校生だって。他校の……」  これ以上言うと、先生だと気づかれそうだったので、それは否定した。 「へぇ、他校生。つか、そんな面倒臭い奴より、いい子なんていくらでもいるよ。お前性格いいしさぁ」 「俺、性格いいか?」  まだ田島と一ヶ月も付き合いがない。教室で机を並べて、休憩時間に話すくらいだ。 「え、いいんじゃねーの? 今日、先生怒ってたとき、なんか言おうとしてたじゃん」  一番後ろの席だし、教室で立ち上がったのを知っているのは、先生だけだと思っていたが、田島は見ていたらしい。よくよく考えてみれば、狭い教室なんだし、自分が先生しか見てなかっただけで、実際は千秋もクラスメイトから注目を浴びていたのかも。 「だ、だって、先生相手だからって悪口は、よくないじゃん」 「な、やっぱ、お前、いい奴じゃん」  ニカッと歯を見せて笑われる。知り合ったばかりの友達のつまらない悩みを聞いてくれる友達の方がよっぽどいい奴だろう。 「……俺が、守って上げたいんだよなぁ」 「え、その子、命狙われてるの」 「いや、け、健康を?」 「健康って、なんか、お前ズレてるけど、それが千秋なりの愛情なのか」 「愛情っていうと、違う気がするけど」  好きな人が健やかであって欲しい。  先生は先生の仕事をしただけかもしれない。それでも、自分は体のことを気にかけてくれて嬉しかった。  自分が嬉しかったことと同じことを先生にしたいと思った。単純だけど、それだけだ。 「じゃ、やっぱり、カレーだな、千秋、カレー作ればいいよ」 「え、なんで、いきなりカレー。俺の好きな人、別に食いしん坊じゃないけど」 「そうなん? だって、なんか、カレー作りたいんだろう。今日の家庭科のときカレーのページ、ずっと読んでたじゃん」 「俺さ、全然、ダメなんだよなぁ。料理」 「ダメなら練習すればよくね?」  当たり前のことのように言われた。スポーツをやっている奴は違うなって思った。課題に対して向き合うことに迷いがない。 「練習かぁ」 「で、もう一回告白する。そんな不健康なことはやめろ、俺の作ったカレーの方が美味しいぜ、って」 「それ、絶対無理だって、思ってるだろ」 「無理でも、伝わるまで一生懸命伝えたらいいんじゃん。俺は心配してるって。やめろって頭ごなしにいうより、気持ちは伝わると思う」 「そうだな、ありがとう」 「けど、俺は不良女と付き合うのはやめた方がいいと思う」 「――うん」  結局、話に夢中でもらった野菜ジュースは飲まなかった。そのまま持って帰ろうとしたら、その場で田島に無理やり飲まされた。  甘くて、しょっぱくて、苦い。  帰り道、ずっと、口の中で人参の味がしていた。  先生が買ってくれた野菜ジュースの方が美味しかったって思っていた。  * * *  このまま、もやもやした気持ちでゴールデンウィークの長期休みに入るのが嫌だった。  翌日、千秋は意を決して家庭科準備室に向かった。また、呆れられたり、怒られるかもしれないけど。自分の今の気持ちだけは伝えたいと思った。  放課後は、家庭科準備室で仕事をしているのを知っていたので、まっすぐに向かった。 「なんだ、千秋か。今日も一緒に飯とか言うなよ」 「先生、タバコ吸うんだ」  ちょうど口にくわえたところだった。悪いことをして見つかった男子高校生みたいだ。学校は禁煙だし、喫煙所はない。多分悪いことをしている自覚はあるのだろう。  そのくわえタバコの姿は、千秋の想像した通りだった。  似合ってるし、さまになっている。にやり、と悪い笑みを浮かべられると、そわそわして落ち着かない気持ちになった。  放課後で外からはサッカー部の練習の声が聞こえている。窓からさす夕日で、花妻の前髪がキラキラと光っていた。  花妻はシガレットケースを机の引き出しにしまって、椅子に座ったまま千秋と向き合った。 「内緒にしてよ」 「俺が、嫌って言ったら、どうなるの」 「困るなぁ」  その声は、あまり困ってない声だった。 「口寂しいから、くわえてただけで吸っていません」  花妻は両手を上げて、無罪を主張した。自分が入ってこなかったら、絶対に吸っていたはずだ。 「じゃあ花妻先生、チョコ食べる?」 「チョコぉ、学校にお菓子を持ってきてはいけませんね。没収してやろ」  千秋は花妻の手のひらにチョコの包みを置いた。 「先生って、先生みたいなこと言うよね」 「先生だからね」 「あのね、花妻先生、俺、先生を困らせたい訳じゃないよ」 「うん。千秋は、いい生徒だしね」 「昨日のこと、ごめんなさい。その、謝りたくて」  そう言って千秋は勢いよく頭を下げていた。顔をあげると、花妻は、なぜか目を丸くしてた。千秋が頭を下げたのが意外だったらしい。少し固まっていたあと、ばつの悪い顔をしていた。 「先生の名前の由来、聞いて、ごめん。先生にだって聞かれたくないことあるのに。だから」 「ああ、そっちか。――別に、それは、別に大したことじゃないよ。あきは、元々先生のお姉ちゃんの名前なんだよ」 「え、お姉ちゃんって」 「よくある話じゃないかな。生まれてこられなかった子の名前を次の子に付けるって」 「それは、大した、ことだよ」 「まぁ、子供だった頃は、大したことだったよ。でも先生は、もう大人だからね。気にしてない」 「でも先生は、嫌だったんでしょう」 「うん」 「だったら、大人になっても、それは同じだから、気にしていいと思う。先生の嫌だった気持ちは、なしにならない」  千秋はまっすぐに花妻の顔を見ていた。 「千秋は、本当……いい子だよなぁ。素直で優しいし。ご両親が大事に育ててくれたのがよくわかる。――だから、先生は、今から卑怯なこと言うよ。先生も、お前が可愛いし、大事だから」 「大事って」 「な、生徒と先生が、付き合うメリットってあんの?」  凍るような冷たい目をされた。昨日と同じだった。 「……ッ、だって」  好きになった人に、同じように好きになってもらえたら、一番、幸せだと思っている。  それが、千秋が花妻と付き合う、一番のメリットだった。 「帰ってくれ」  そう言って花妻は、千秋に背を向けた。男だから、女だからじゃない。先生だから駄目。そう言った花妻は、正しい先生で、千秋が思う理想の先生だ。  千秋は先生が自分の先生でなくなるようなことはしたくない。  けれど、ここで自分の気持ちを全部なかったことにするのが、大人になることだとは思えなかった。  「――家庭科の、花妻先生が好きです」  先生の背中に向かって、話していた。  自分の気持ちだけは、最後まで伝えたいと思った。 「千秋、先生の言ったこと理解出来なかったか、先生と生徒は付き合えません」 「分かって、る。分かったから、先生、聞いてよ!」  そう叫ぶように言うと、花妻は振り返った。  ぼたぼた、と情けなく涙をこぼしている顔を、花妻に晒していた。そんなぐちゃぐちゃの顔を、花妻は椅子に座って静かに見ていた。 「だから、勉強も頑張るし、いい大学にも行く。健康で、誰よりも元気な生徒でいる」 「千秋、もう……いいから」 「どんなに、考えても、俺が、それくらい、しか、先生のメリットにならない生徒なのが、すごく悔しいし、自分に、ムカつく」  言い終わると床に座り込んでいた。全部言えた、と思った。この小さな達成感は、子供の達成感だ。少しも誇らしくない。 「……千秋ー」  どれくらい、経っただろう。  唐突に目の前から呆れたような聞こえて顔を上げた。すると、花妻がしゃがみ込んで、こちらを覗き込んでいた。  千秋が好きな、先生の顔ををしていた。 「悪かった。先生、意地悪言いました。千秋は、今の千秋のままでも、先生にメリットあるよ」 「……俺、先生に、健康になってもらいたいって、思った」 「うん、ありがとう」 「俺の作ったカレー、食べて欲しい。甘口の」 「先生の胃袋掴むとか、十年早いな」  額の上に手のひらを乱暴に置かれた。花妻の顔が、ゆっくりと近づいてくる。 「これは、事故です」  手のひらの上から、花妻の唇が押し当てられているのが分かった。 「なぁ、飯、付き合ってくれるか」  セリフと顔が合っていないと思った。 「……先生? 付き合ってくれるの?」 「飯、に、だ。言葉に気をつけろよ」 「だって」 「千秋。先生が、千秋の「理想の先生」でいられるように、君も努力してください」  花妻は、そう言って近くにあった付箋にメモを書いて千秋に渡した。 【18:30 XX軒】  その日の晩、駅前のラーメン屋で「偶然」花妻と出会った。  花妻は何も言わずに千秋と相席してくれる。  千秋がラーメンとチャーハンを頼んたのを見て、最悪の組み合わせだと笑いながら、花妻も同じものを注文していた。  もし、次に偶然、ここで出会ったら、勝手に花妻のメニューに野菜炒めを追加しておこうって思った。  先生には、末長く、健やかでいて欲しい。 帰ってくれ! 花盗人  終わり
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