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☆前編☆‥家の中
……どうしてチェーンなんか。
苛立ちながら隙間から家の中を覗いた。
「ただいま!」
少し大きな声で言って、呼び鈴を鳴らした。
ガレージに未知留の車が入っている。出掛けてはいないはずだが家の中に人の気配は感じられなかった。建物自体が古いせいか今日のように風が強い日は、立て付けの悪い窓を揺らす音が強くなる。
「未知留、開けて」
数秒待ったが応答がない。
「……」
もしかしたら花音の部屋にいるのかもしれないと思い当たった。であれば一番奥まった花音の部屋へはチャイムの音は届かない。
「ううっ、寒いっ」
暴力的な突風に身震いしながら風香は家の周りをうろうろした。
……どこか開いてないかなあ。
「あ! そうだ、中庭! あそこなら開いてるかも」
風香は声に出した。
……確かこの前、あそこから“ごみ捨て”に出たのよね
戻りは玄関から入ったため、中庭のドアは施錠をし忘れている。記憶が正しければ……。
祈るような気持ちでドアの取っ手を捻った。するとあっけなく開いた。
「はあ、助かったあ」
あのまま真冬の暴風を受けていたら死んでしまうところだと、風香は胸を撫で下ろした。
靴と荷物をその場に残し家の中へと入った。
長いL字型の廊下を進み、花音の部屋へと続く階段を上がる。
「まったく……、中庭のドアが開いてなかったらずっと外にいなきゃいけなかったって、文句ぐらい言ってもいいよね」
ブツブツ言いながら風香は廊下を進んだ。バロック音楽が聴こえてきた。
あれっ、珍しい……。
風香は首を捻った。普段は沈黙するように閉ざされている花音の部屋。そのドアが大きく開いているのだ。
――未知留が中にいて、開けたままにしているのかな?
深く考えずに足を向けると、風香の感覚を麻痺させるような甘い声が聞こえてきた。
!
勝手に体が動くのを止めた。風香の直感が、踏み込むなと警告を鳴らしている。どくどくどく、と心臓の音だけが風香を支配した。淫靡な音と一緒に未知留の声が聞こえてきた。
……なに、これ、どういうこと。
思考が停止する。
明らかにシテいる気配に感情がついていかなかった。
……え?
……え、待って、待って……
……だって、ありえない
……ふたりは兄妹で……
常識や理性が必死に現実を否定しようとする。だが聞こえてくる卑猥な音や耳を疑う『愛してる』の湿ったそれは聞き間違えるはずのない未知留の声だった。視界が歪んできて、体中の血液が干上がってしまったと感じるほどに気が遠くなる。
風香は後退りした。
……うそだ……
……信じられない、だって……
家の窓という窓を強風がガタガタと激しく揺らす。風香は逃げ出していた。ふらふらと中庭から外へ出たそれさえも、無意識だった。
行く当てもなく歩き続け、習慣がそうさせたのか、気が付いたらファミレスへ辿り着いていた。
足を引きずるようにして裏口を進み、誰もいないスタッフルームへ入った。風香はスチールのベンチに座り込んだ。重たい頭を抱える。
……なにが、起きてるの……?
……だって、まさか
……私の勘違いなんじゃ……
……いや、そんなわけ、ない……
頭の中には兄妹の“行為”を確信した瞬間、聞こえていたそれぞれの音が効果音のように重なり合って響いている。
風でガタガタと鳴る窓の音、
夏音の部屋から流れていた未知留が好きなバロック音楽、
ふたりが、重なっている音、しなるベッド、喘ぎ声――。
なにもかもが、永遠と思えるくらいしつこく聞こえて止まない。
……こんなことって、許されるの……?
……いったい、いつから?
裏切られた絶望感と同じくらい、禁忌を冒す兄妹に違和感が湧く。それは嫌悪感と置き換えられるものだったが風香にはこの時、現実を客観視できる余裕はなかった。ただ、未知留の愛を手に入れ完全に塞がったはずだった心の傷口が、いとも簡単に割けたことに怯え、恐怖した。
……私はたまたま運悪く、愛のない両親の元に生まれてしまっただけ。本当はちゃんと愛される存在だった。その証拠に私は未知留に選ばれて結婚したじゃない……
自分の価値を証明してきたたったひとつの指標――。
“ばかだね、本当に信じてたの? 親からだって愛されなかったのに”
……やめて、
……聞きたくないっ
現実を事実が嘲笑う声に風香は耳を塞いだ。
* *
両親が新しい家族をそれぞれに迎えたのは風香が十才になる前だった。ダブル不倫の末だった。
母は風香と同じ年の男の子がいる恋人の元へ行き、父は娘がふたりいる恋人を家に呼び寄せた。
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