☆前編☆‥家の中

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 風香と新しい家族との関係は表面上は問題なかった。  継母は朗らかで、義姉妹も礼儀正しかった。  一緒に暮らすようになった瞬間から、それまで家の中を支配していた両親の罵り合う声や割れる食器の音は、明るい会話と笑い声に変わった。一番の変化は父だった。荒んでいたこれまでが嘘のように、理想的な夫、頼もしい父親の顔を振りまいて、誰よりも“お喋り”になった。  『新しい家族』という名の他人と暮らすようになって数日後のことだった。  風香は、父に外へと連れ出された。 「お父さんは、がここでの生活に早く慣れるように努力しているつもりだ。だからおまえがそんな態度だと困るんだ」 「……」  言葉の意味が理解できずにいると、父は苛立った声色を向けてきた。 「いつもムスッとしてるじゃないか」  ……私が? 「意地の悪いことはするな」  意地の悪いことって、なに? お父さんは私をどんな人間だと思ってるの? 「……」 「家族の輪を乱すヤツは許さない」  返事をしない風香に父は感情的な強い口調を向けた。 「もしもこの家が気に入らないならの方へ行けばいい」 「!」  その一言で風香は悟った。――お父さんも、私のことが邪魔なんだ……    * 「――――風香はどうするんだ」  両親の離婚が成立し母が家を出ていく前日だった。  リビングでは夜中になっても話し合いが続いていた。風香も眠れなかった。これまで顔を合わせれば喧嘩をするふたりにうんざりしていても、いざ家族が離れ離れになることが決まると、子供心に『なんとかならないんだろうか』と居ても立ってもいられなくなり、奇跡に縋りたくなった。  “やっぱりもう一度頑張ってみよう”  もしかしたら、どちらかが言い出すんじゃないか――、そうなったら私も飛び出していって「私も頑張るからみんなで頑張ろう!」と言おう。  風香は祈るような気持ちで暗い廊下に座り込んでいた。 「母親のくせに子供を連れて行かないのか」  父が乱暴に聞き、沈黙が流れていた。風香は不気味に騒ぐ自分の心臓に必死に耐えていた。母が口を開いた。 「……彼と話し合って、そう決めたから仕方ないわ」  !  風香は自分の耳を疑った。  父とこの家に残るようにと母は言った。父が寂しがるから仕方がないのだと、辛そうに言ったのだ。  ――違ったんだ、お母さんは私を置いていきたかったんだ。  母のついた嘘が風香の幼い心を鋭く鞭打った。  風香はあの瞬間、母への思慕を葬った。――あの人のことはもう忘れる。これからはお父さんとふたり、仲良く暮らしていこう。意地でも。  だが、それも見当違いの決意だった。  自分は、母にとっても父にとっても邪魔な存在で、どちらも娘をと思っている。――だったら私だって、ふたりを!  だが家を追い出されたら風香には行く場所などない。自分を捨てていった母親に“育ててくれ”と頼むことだけは絶対に嫌だった。それならば卑屈になってでも父の元にいる方が僅かの差であれ、マシだった。      それからの風香は、新しい家族に気を使って日々を過ごした。  救いだったのは継母が優しい人であることだった。  ――お継母さんだけ、来てくれたらよかったのに……、(あの人)みたいに子供を置いて。  愛情深い継母が自分の娘たちを手放すなど考えもしないことを知れば知るほど、簡単に娘を捨てて男の元へ身ひとつで行った実母がますます憎くなった。  義姉妹も可愛らしい子たちだった。継母とは友達のような関係でいつも笑い合っていた。そしてそこに、風香が入り込む隙はなかった。  義妹たちは風香を「お姉さん」と呼んだ。『お姉ちゃん』と呼ばれるのは義姉妹の姉の方だ。気遣っているつもりだったのだろうが、そう呼ばれるたびに風香は疎外感を感じた。  自分の家なのに、自分の存在はまるで借りてきた家族のようで、表面的には物わかりのいい“長女”の顔を見せながら、風香はどんどん孤立していった。  新しい家族との生活は風香の学校生活にも影を落とした。  「いってきます」と穏やかに言って玄関を出た途端、表情筋は動くことを止める。自宅から学校までの行き帰りだけが唯一、風香が“無”になれる時間帯だった。学校に行けば、友人や教師とコミュニケーションを取らなければならない。時々、一日中誰からも話し掛けられなければいいのにと本気で思うことがあった。  あの頃は、擦り減った神経を休ませたいと願ってばかりいた。そんな日々の末、風香はこの境遇から解放される方法を思いついた。  ――寮のある高校に行けばいいんだ。  家からギリギリ場所で、その高校に行かなければ学べない専門学科があることが条件になる。間違っても、“この家に居場所がないから出ていくのだ”という本心を悟られないことが大事だ。 「家から通うとなるとちょっと遠いんだよね、どうしようかなあ」  そんな具合に、悩んで寮生活を選択したと思わせるために。  ――悲劇のヒロインになんて絶対になってやらない!  親から愛されなかったからって、傷ついてなんかやらない!  静かな憤怒は月日と共に形を変えていた。
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