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 だからって、いい加減に過保護だと思う。  片瀬流風はスマホを耳にあてたまま校門をくぐり抜けると、唇をとがらせた。 「だから、大丈夫だっていってるでしょ。紗那ちゃんと里香ちゃんと、いつものホテルでケーキ食べるだけ」  夏休み前恒例の学期末テスト最終日である今日は午前のみ。だから美味しいもの食べよ!という里香の提案は、ホテルでのスイーツバイキングだった。里香は紗那の高校時代からの心友で、流風とも10年以上の付き合いがある。  そんな里香からの誘いに、甘いものが大好きな流風は当然のごとく二つ返事。楽しみすぎて足取りも軽くなるというもの。だがスマホの向こうの人物は、おかんむりのようだ。 『だから、そのホテルまで車を出すっていってんだろっ。だいたい、なんでその予定を前もっていわねえんだよ。いま欽二を行かせるから学校で待っとけ。一人で繁華街とかだめだ』  流風はむっとした。それがいやだから、いわなかったということを慎吾はわかっていない。 「しーちゃん、やめて。私もう、高校3年だよ? 来年は大学生なんだよ? まあ受かればだけど、この年でそんなこといわれるの、私ぐらいだよ?繁華街ぐらい一人で行けるから。だいたい、キンちゃんだって忙しいんだから迷惑だよ」 『欽二が迷惑とか、あるわけねえだろ。むしろ尻尾を振って行くっつーの』  なんてひどい言い草だ。だが昔から流風の世話をしてくれている欽二は、なんだかんだと流風には甘いので、すぐさま車を飛ばしてやってきそうだが。 「とにかく大丈夫だから。キンちゃん待ってるより電車のほうが早いし。もう駅だから。じゃあね」 『はあっ??駅っ??まだ学校にいるんじゃねえのかよ。ちょ、待て、流風!』  その声をシャットアウトするようにスマホの電源まで切ると、流風は普段はあまり利用しない電車に乗り込んだ。だから電車は渋滞しないってことを忘れていた。そして日本の電車は優秀だってことも。  移動時間のロスもなく、思うよりも早くホテルに到着してしまった流風は、いつも素通りするロビーで時間を潰すことになってしまった。所在なげに小さくなりながら自分の行動を少々後悔する。常日頃から車で移動しているゆえか、流風は一人で待つということをあまりしたことがなかった。 「失敗したかも」  せめて着替えを持ってきておけばよかったと、流風は自分の服装を見下ろしながら眉を寄せた。慣れた場所ゆえに深く考えることなく高校の制服で来てしまったが、なんか浮いてるかもしれない。いや、かもじゃなくて、しっかりと浮いてる。最低ランクでも一泊うん万円するような高級ホテルには、いささかそぐわない出で立ちなのだと、この年になってようやく気づいた流風は、自身の世間知らずさをあらためて実感する。  恥ずかしさで小さくなりながら、ふかふかのソファに埋もれるようにそろりと周囲を見れば、そこは大人な世界。ハイソなファッションであふれている。  ああ、なんてことだ、居た堪れない。一度気づいてしまえば、もう知らないふりはできない。いくら白鳳学園の制服が世界的に有名なデザイナーによるものでも、こんな場所で高校生が一人、いったいなにをしているのか。そんな視線を感じる。すごく感じる。とそのとき、すぐ横に誰かが立った。 「いらっしゃいませ、流風様」 「あ、新谷さん。こんにちは」  きれいなお辞儀、品のある所作にて微笑む男性に、流風はほっとした気持ちになった。まもなく熟年期を迎えるであろう男性の目尻のしわには温かみがあり、人に安心感を与える。よく知った顔が現れたことで、居た堪れなさが瞬時になくなった流風は笑みをこぼした。  桐島御用達であるこのホテルには流風も幼い頃から出入りしており、総支配人である新谷とは顔馴染みなのである。 「本日は桐島様とお待ち合わせとうかがっておりますが」 「そうなんです。でも早く着きすぎちゃって。里香ちゃんも一緒にスイーツバイキングの予定なんです」 「それは、にぎやかになりそうですね。もちろんバイキングのご利用もうかかっております。本日のお勧めはフォンダンチョコレートになっておりますので、是非とも召し上がられてみてください」 「フォンダンチョコレート?わ、楽しみです。絶対に食べます」  嬉しそうに両手を合わせる流風に新谷も微笑む。新谷は目を細めて可愛らしいこの少女を見つめる。白い肌、ピンクの唇、真っ直ぐこちらを見上げる大きな瞳は神秘的なヘーゼル。恵まれた容姿を持つ彼女は周囲の視線を集めている。だがきっと、本人はその理由に気づかない。いや、気づこうとしないのか。  幼い頃から知る彼女を新谷は好ましく思っている。そして心配してもいる。いまどきの女子高生にしては、世間擦れもなく大人しい性格。見た目を裏切ることなく、素直で純粋な心を持っている。けど、ときおり他者を寄せつけない表情をする流風。その奥にある鈍い眼差しは、なにかを諦めているかのようにも思えて。  人が聞けば、バカみたいな感傷だと笑うだろう。わかっている。けれども流風を取り巻く環境は、甘く見積もっても普通とはいえない。  関東にて最大の勢力を誇る鬼龍会。その筆頭、桐島組の幹部である片瀬慎吾を叔父に持ち、その桐島組を頭とする鬼龍会トップである男の妻、桐島紗那には妹、いやもはや、娘のように可愛がられている。それだけでなく、この街に深く根を下ろしている彼らからも護られている少女。不幸なはずもないが、少なからずとも葛藤はあるはずだ。だからなのか、流風がホテルを訪れるたびに、新谷はこうして声をかけてしまうのだ。 「ケーキの前に紅茶などはいかがですか?ストロベリーティーをお持ちしましょう」 「ストロベリーティーですか。わ、どうしよう」  流風は迷った。新谷の提案はなんとも魅力的である。しかし、ランチを抜いてバイキングに備えている流風としては、ずっと空腹のままでいたい。散々迷った末に辞退することにして、新谷が立ち去るのを見送って一息ついたとき、ふと視線を感じた。それもすぐ隣。  なんとなく気になって、ちらりと横目で見てみれば、テーブルを一つ挟んでその向こう、スーツ姿の男性が二人。一人は立っており、一人は座っている。その座っている人と目が合った瞬間、心臓が小さく音をたてた。  きれいな瞳。美しい造形。完璧な大人の男。そんな男と視線が絡んだのは、きっとわずか数秒。けど永遠にも思えたその刻。  ふわりと風が吹いた気がした刹那、はっとした流風は慌てて視線をそらすとうつむいた。頬に熱がこもるのを感じる。  なにこれ。変だ。おかしい。イケメンなんて見慣れている。しかも、そこんじょそこらのイケメンではない。最高級のイケメンだ。それこそ、タイプ別に複数人。加えて大人の色気も売れるほど持っている人たちだ。それなのに、なぜこんなにも恥ずかしくなっているのか。たしかに、かっこよかった。けっこう。いや、かなり……。 「……って。やだ、私ったら」  見ず知らずの相手にどんな感情なのか。なんだか困ってしまった流風は、動揺を抑えるようにバッグからスマホを取り出した。どうしていいかわからないときは、スマホをいじるにかぎる。切れたままの電源を入れようと真っ黒な画面に視線を落とした流風は、ゆっくりと眉を寄せた。  感じる。それは風。  感じる。それは、いやな風。  どこからだ。誰からだ。いやな風はひゅんと渦を巻き、流風の髪先を揺らす。それはどろりと黒く薄汚れ、流風の体を震え上がらせた。ーー危険。  迷いは一瞬。流風はスマホを放り出すと立ち上がった。そしてすぐさま行動を起こす。口で説明することは難しい。というより、その暇はなかった。 「ごめんなさいっ、これ使いますっ」  早口でそう告げると同時に、流風はいま目が合ったばかりの男の前にあるコーヒーカップを掴むと、それを立っている男に向かって投げつけた。
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