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ホテルに着く手前で事件が起きたことを知った紗那と里香は、裏通りで流風を出迎えた。
怪我人は出ていないことを新谷より聞いていた二人は誰かに連絡することはなく、事の顛末はその場だけのものとなるはずだった。
けれどもそうは問屋が卸さないとはこのことか。結果、流風の行動は制限された。学校以外の外出を禁止されること1ヶ月。夏休みに入っても買い物ひとつ行くことができなかった生活に、ようやくお許しが出た。ただし欽二がくっついてきているが。
「もうっ。これも全部、赤羽さんのせい」
高級セダンの後部座席で唇をとがらせる流風に、運転席の欽二は苦笑いをした。
「あいつを責めるのは勘弁してやってください。上への報告は義務なんですよ」
「だからって、全部そのままいわなくてもいいと思う。カップ投げつけたとか。おかげで大目玉だよ?聞いてよキンちゃん。しーちゃんたらね、目を三角にしてすごかったんだから」
ナイフを持った男にカップを投げつけたことは、あの場だけの秘密であったのに、運転手として着いてきていた赤羽が裏切ったのだ。おかげで慎吾の説教は1時間にもおよんだ。そして外出禁止。それがようやく解かれた今日、一人での外出はやはりダメだという。べつに欽二がいやなわけではない。手間という迷惑をかけるのがいやなのだ。
「はは。赤羽は嘘がつけねえ男ですからね。まあけど、さすがにカップ投げつけたのは無謀でしたね。片瀬のアニキじゃなくても目が三角になるってもんですよ」
「そうかもだけど」
「そうなんですよ。俺はどっちかっていうと青くなったクチですが。無事だったからよかったものの、ヘタしたら逆上した相手に流風さんが刺されていたかもしれないんですよ」
「だって」
「だってじゃありませんよ、流風さん。とにかく危険を察知したときは、自分の身を第一に考えてください。見知らぬ人間に助けを求めることは難しいでしょうから」
「……うん。わかった」
幼い頃からの擦り込みは根強いものがある。他者の反応がいまだ怖い流風にとって、それは高いハードルだ。心を許せる相手以外は、知り合いであってもすべてが他人。
「さ、着きましたよ。俺はここで帰りますので」
流風はおずおずと欽二をうかがった。
「いいの?ついてこなくても」
「まあそうですね。ここだけは必要ねえかと。それに、いかにもな俺が張りついてちゃ、都合悪いこともありますしね」
ちょっと趣味の悪い柄シャツとサングラス、そしてゴールドの幅広ネックレスが定番の欽二は、たしかに堅気には見えない。いかにもチンピラ。けど言葉遣いはいつも丁寧で、そのギャップが流風は好きだった。
「なに、片瀬のアニキも文句はいいませんって。なにせ過保護が集まっている街ですからね」
「まあ、そうかもだけど」
「気晴らししてきてください」
「ありがとう、キンちゃん。忙しいのにごめんね。お土産買ってくるから。キンちゃん、桜花堂のベリータルト好きでしょ」
「はは。そんな気を使わないでください。それに俺なんかに金を使うなんてもったいない」
「もったいなくないよ。気も使ってない。わたしがそうしたいの。いいでしょ?ね、キンちゃん。いいでしょ?」
助手席のシートにがじりつくようにして、欽二を見上げる流風はまるで子供のようだ。お土産を買ってきたいと強請る人間がこの世にどれだけいるのか。欽二は頬をゆるめた。
小さい頃から世話をしてきたこの少女が欽二は可愛くてしかたなかった。それは少女が信頼し、心を許せる人間の数少ない枠の中に自身も入れてもらっているせいもあるかもしれない。
「わかりました。では、お言葉に甘えることにしましょうかね。楽しみにしてますよ」
「うん!」
流風の顔に笑顔が広がる。この笑顔を守りたい。そう思う人間は欽二以外にもいる。そのうちの一人が駅のロータリーの一角に現れた。
「お迎えが来ましたよ。さ、行ってください」
「うん。帰りは送ってもらえると思うから」
車を降りていく流風が迎えに現れた人物のところまで辿り着くのをしっかり見守りながら欽二は笑んだ。
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