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気の短い客が相手だと内心ハラハラしてしまうし、事実苛立ちを露にする人もいるが、香心はそんな一面も尊敬して止まない。何なら彼の全てに、憧れと尊敬の念を抱いている。
及川瑞季――三十三歳にしてこのアパレル店舗『Dear my precious』の店長を務める彼は、その手腕は確かながら、実は元カリスマモデルという異色の経歴の持ち主でもある。
そんな瑞季のことを、香心はモデル時代からいちファンとして、ずっと追ってきたのである。勿論、本人には恐れ多すぎて伝えていないが。
だからこうして共に働けて、しかも現在絶賛プロデュースを受けている最中という状況に、早鐘を抑えられるはずがないのだ。
するとここで漸く彼は、グラデーションの中から一本の口紅を手に取った。ピンク系統のものだ。
どうしてそれを選んだのか、ということは最早勤務三年目に突入して、今更尋ねたりしない。
まだ勤務を始めて間もなかったとある日、突然ピンク系統の口紅を手渡され、当然のように『どうしてこれを?』と尋ねた香心に返ってきたのは、息をのむほど冷たい眼差しだった。
そしてため息と共に吐き出された、たった一言。
『パーソナルカラーだ』
瞬間、頭から足の爪先まで一気に熱くなるのを感じた。
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