水泳

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水泳

 いよいよ夏本番。暑い日差しが、道路を照りつけ、早朝でも朝は明るい。  だけど、ガラムは暗い気持ちで起床した。 「ガラム!起きたのか⁈」 父のヴィクラムは、定食屋のオーナーだ。初めて来た客は、和風な定食の店からいきなりインド人が出てくるので、しかも流暢な日本語を使うのでびっくりされる。ヴィクラムは、どう考えても強面でガラムとは似ても似つかない。母の葉月の方がまだ似ているとガラムは思った。とは言え、母は色白で、ガラムは浅黒く親子には見えない。それにガラム自身、本当に親子かどうか疑わしく思った事が何度もある。だけど、母子手帳はあるし、数年に一度会う優しい祖母にはよく似ているのだ。  ガラムはヴィクラムが作ったナントーストと特製チーズサラダを食べてチャイを飲んでから、学校に行く支度をする。教科書とノート、それから…競泳用パンツ。そう、憂鬱なのはこれが原因。どうしても、水泳だけは苦手…他の体育の授業は平均並みに出来るのだが、水泳は泳げて2、3メートル。幼馴染の宗治やなずなは、スポーツは得意ですぐに泳げていたのに自分だけは泳げない。 「…じゃあ、行ってきます」 ガラムはしょんぼりと家を出た。  いよいよ、二時限目からプール。クラスメイトの畠山は中学では代表選手だった為、自分がどれだけ泳げるかを更衣室で自慢していた。  とは言え、強豪校が多かった為、畠山の学校は5位。全国大会は行けなかったらしい。 「いや、俺があの中学に通っていたら、今頃世界選手権に出ていたのは俺だぜ」  畠山は友人の平井に言った。 「でもいいのか?そうなったらあいつと…」 「その先、言うなよ」 畠山が平井に笑いながら口止めをする。 「畠山君、凄いね」 隣で着替えの準備をしている蛍に言ったが、蛍は相変わらず気怠そうにしていた。 「…そうなの?へえ」 まるで興味無さそうである。 「おい。田中。お前、泳げるのか?」 平井はもう着替えたらしく、早速蛍に絡んで来た。 「ん?こっちは水質が違うし、どうだろうね」 「せいぜい頑張れよ。そのひょろがりじゃ無理だろうけどな」 平井が揶揄うのを無視をして、蛍はシャツを脱ぐ。 「え…まじか」 平井の顔は引き攣った。確かに蛍は見た目が細身だが、三吉に鍛えられたせいでどちらかというと筋肉質で腹筋も割れている。それを見て、平井は弱冠の敗北感を覚えて、とぼとぼと友人達の所に戻る。 「田中の奴…あれなんだよ」 遠目で見ていた畠山は愕然としていた。  「プールはいいんだけど、やっぱりスクール水着はダサい」  みのりはストレッチをしながなら、文句を言っている。 「でも、泳ぎ易くていいじゃない」 プールの授業は男女混合で、なずなは久しぶりにスークル水着を着た。サイズが小さくなっていないか不安だったが、きちんと入った事が嬉しかった。 「…ねえ、なずな達って田中君と仲良いよね?」 一人のクラスメイトに言われて、なずなは頷く。 「聞きたいんだけど、彼何かスポーツやってる?あれ、凄いよ」 そう言って、その子は蛍の方を指差していた。  多数の女子が見惚れていた。蛍はどちらかと言うと、背はそこまで高くないにしても、姿勢が良くスタイルがいい。ただ、細いだけでなく、きちんとした筋肉が付いているのだ。普段、寡黙な彼からは想像がつかなく、普段蛍に興味がない女子まで見惚れていたのだ。  蛍は女子の注目に辟易しながも、他の女子の水着姿を眺めていた。蛍にとってはそちらの方が大事だ。  一方、ガラムは不安でいっぱいだった。高校生になっても泳げない自分を見たら、みんなに笑われるに決まっている。おまけに…。 「おいっ。一ノ瀬!お前、水泳は得意だろ?ガンジス川で泳いでるから」 平井達のグループが揶揄ってくる。ガラムは今すぐ帰りたくてしょうがなかった。 「…蛍君。僕、水泳苦手なんだ」 ガラムは近くにいた蛍に、小声で話しかけた。 「…へえ?僕も水泳は嫌いだ」 それを聞いて、ガラムは安心できた。  担任で体育教師の山野が集合の合図の為の笛を鳴らす。 「今日は見ての通りプールの授業だ。男女別で競技を行う。泳ぎ方は自由…それと泳げない者はビート板を使っても構わないかな」 そう言って山野は、ビート板を上に上げると数名の女子がビート板を持って来た。男子でビート板を持っているのはガラム一人だ。 「一ノ瀬、ちょ、お前およげねぇーの?」 「ガンジス川で鍛えて来いよ」 平井達のグループの一人が、ガラムを揶揄い出して笑っている。ガラムは俯いて泣きそうになりながら黙っている。 「静かに。それから、差別的な発言は控えるように」 珍しく山野は少し怒っているようだ。声を荒げるような感じはないが、蛍はそれとなく感じていた。  準備体操が終わり、男子から順番に泳ぐ事になった。 「いいか。今回は競争じゃなく、あくまで身体能力を測るだけだ。だから、泳げなくなったら立ち上がるから、プールから出るんだ」 コースがあり、一度に八人まで泳げる。並び順は適当であった為、蛍はさっさと済ませたいと一番に並んでいた。  隣にガラムが並び、そして真ん中には畠山。 (真ん中で泳いで圧倒的な力の差を見せつけてやる…ええっと吉永は…よし、めっちゃこっち見てる!) なずなは、泳げないガラムが少し心配だった。小さい頃、なずなは池で溺れた経験がある。それを見たガラムはなずなよりも水の中を怖がるようになった。なずなはその時、宗治がすぐ助けてくれたおかげで変にトラウマにならなくても済んだ。 ガラムは怯えた表情で水面を見ている。  何気なく水面を見る。どうも様子がおかしい。水面下で何かが蠢いていた。虫や魚じゃない、もっと不気味な…。 「よーい!スタート!」 山野が、ホイッスルを鳴らすと同時に蛍以外の生徒がプールに飛び込んだ。仕方なく、蛍もプールに飛び込む。 「田中の奴、怖くなったんじゃね」 平井が蛍を嘲笑したが、そんな事はどうでもいい。妖しい気配を探る為、蛍は潜水をする。  人間が泳ぐプールは澄み切っていて見易い。これなら簡単に探せるだろう。 「やっぱり、畠山。格が違うよな」 確かに畠山は、他の生徒とは大差をつけてスピーディーに泳ぐ。50メートルを切った所で脱落者が出る中、プールにいたのは畠山と蛍だけだった。  このプールは、25メートルで畠山は三週目のターンをしようとした所で周りが騒ついているのに気付いた。きっと、自分に声援を送っているのだろう。しかし…。 「せ、先生!田中君が水面に上がってきません!」 そう聞こえて来て、畠山は思わず泳ぎが止まってしまう。立った瞬間、足が引っ張られるように滑り掛けたが、気に留めずとぼとぼとプールから上がっていった。  確かに妖気はある。だが、この辺りではない。もっと遠くだ。しかし、蛍はレーンから飛び出る訳には行かなかった。レーンを外れれば、他の生徒にぶつかる。そうなれば事故になってしまい、騒ぎになる。蛍は出来れば、それだけは避けたい。  生徒達が次々に脱落していくのが分かる。そろそろ、レーンを変えても大丈夫だ。そう思った瞬間何かどす黒い妖気が蛍に近づいて来た。  そして、誰かが近づいて来た。 (…こっちに来るな!) 蛍は水面から顔を出した。 「田中!田中、おいっ!」 山野はプールに入って、蛍の前に行き呼びかける。蛍がいきなり、飛び出て来て山野は大声で叫んだ。 「うわあ!吃驚した!」 「はあはあ…。先生、どうしたの?」 蛍は至って普通で、山野が青くなっている。 「どうしたじゃないよ。全く。でも、無事でよかったあー」 未だに、胸を押さえている山野を尻目に蛍はプールから上がる。 (何だ?今の…。だけど、このプール…) 「…蛍くん、大丈夫?」 なずながタオルを蛍に掛けた。 「ん…。大丈夫だよ。それより、ぺんぺん…」 蛍がなずなの耳元に囁いた。 「…え?いいけど」  男子が泳ぎ終わり、次は女子の番。なずなは、四番目のレーンに立つ。ホイッスルが鳴ると同時になずなはプールへと飛び込む。ザブンと言う音が心地がいい。25メートルまで泳ぎ、なずなは水中でターンをする。ちょうど、真ん中の所で泳いでいる最中であった。何かに足を引っ張られる。なずなは水面に顔を出そうとしても、錘をつけられたみたいに沈んでいき、必死で息を止めた。 「…え?あれ、溺れてない?」 なずなの後に並んでいた女生徒が、なずなが水中に沈んで行くのを発見する。 「吉永⁈」 山野が慌ててプールに飛び込もうとするが、蛍に肩を掴まれた。蛍は山野を押し除け、プールに飛び込んで行く。  (く…苦しい…。引っ張られる…) ヌメヌメした手がなずなの足を引っ張る。なずなは必死で手をあげて水面に手を出そうとする。だけど、なずなにも限界が来ていた。脚に何かが突き刺さり、痛みで口が開いてしまう。そして、正面から誰かが近づいてきて…そこでなずなの意識は途絶えた。  蛍が溺れているなずなに近付いた時、なずなは妖怪に引っ張られて意識は無くなっていた。蛍は妖怪の顔を蹴飛ばし、怯んだ隙になずなを抱き抱えて水面に出た。 「大丈夫か⁈二人とも…」 蛍がプールに上がった瞬間、山野が血相を変えて近づいて来た。蛍はゆっくりとなずなを地面に下ろす。  なずなの腹の辺りを押さえると、なずなは勢いよく水を吐いた。 「ぺんぺん?」 蛍が優しく耳元で呼びかけると、なずなは目を半分開いた。 「蛍くん?私…いっ」 なずなは上半身を起こすが、脚に痛みが走り、立ち上がることが出来なかった。 「…怪我をしている。先生、保健室に連れて行きます」 「え?じゃあ…任せたぞ」 蛍はなずなを横抱きに、プール場から出て行く。  
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