ご主人様

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ご主人様

 その日は、本当に騒がしかった。僕は寝室で一人寝ていた。いつも、ご主人様と二人だけなのに、やけに人が多い。時々来るおじさんと数人の若い男の人達がいた。おじさんは、大きな声でご主人様を呼んでいた。若い男の人達が、ご主人様をベッドに乗せて、連れ去って行く。きっと悪い人達に決まっている。精一杯吠えたけど、聞こえていないようだった。最後に、おじさんがポンポンと頭を撫でて、男の人達を追いかけて行った。     「ほら、ぷりん。ご飯だよ」  沙奈は、受け皿にドックフードを入れる。これが、一年前から朝の日課。一年間、これを忘れた事はない。去年までは受験だったり、卒業制作もしたり、それなりに忙しかったけど、それでも忘れなかった。コーギーのぷりんは前に飼い主がいたけど倒れてしまい、今は沙奈のうちで飼っている。前の飼い主はもう犬を飼う事が出来ないのだ。  最初来た時は、餌を食べる事をしなかったが、だんだん食べてくれるようになった。母は餌代が掛かると文句を言っているが、それでも無くなる前に必ず買ってきてくれる。 「ぷりん、それじゃあ学校行ってくるね」  眼鏡をかけて沙奈は、自転車に飛び乗り走り出す。高校に進学した時、仲のいい友達とは離れ離れになっても寂しくなかったのはぷりんが家にいたから。友達と会えない寂しさを埋めてくれた。その友達は近所にいるが、沙奈は少し遠い専門学校に通っている為、なかなか会えない。 「さあ、今日も頑張るぞ」    学校の帰宅時間だった。蛍はなずなと一緒に帰宅の同行を申し出た。 「誘ってくれてありがとう。でも、今日は部活があるの」 「部活?」 「うん。美術部だけど、興味ないでしょ?」  蛍は腕を組んだ。美術品は嫌いではない。寧ろ鑑賞するのは好きだし、何かを作るのは好きだ。寝る以外でするんだったら、プラモデルを組み立てる。プラモデルだって、立派な美術品だ。 「…見学していい?」 「え?大丈夫だけど…」    美術室に行くと、先にガラムがついていた。 「ガラム、今日は一番だね」 「当たり前じゃん。もう少しで完成するんだよ」  ガラムはキャンパスに向かい、絵を描いている。彼が描いているのは人気のロボットアニメだ。 「…見た事あるよ、これ」 「ほ、蛍君…吃驚した。カッコいいよね⁉︎映画見た?今日、テレビで…」 「…見てない。ねえ、それよりぺんぺんは何描くの?」  蛍は、ガラムから離れて、スケッチの準備をしているなずなのところへ行ってしまい、ポカンとしてしまうガラム。 「…私は花の絵を描くんだ。今描いているのはひなげしだよ」  そう言って、スケッチブックを開いた。スケッチブックには、淡い色彩で描かれたひなげしが描かれていた。 「へえ……綺麗だ」  蛍はよく目を凝らして、花のスケッチを見る。 「ありがとう。…もうすぐ井原先輩が来るから、見学の許可貰うね」  そう話しているうちに、美術室の扉が開いた。 「ごめんなさい。遅くなってしもうて」  入って来たのは、黒髪の前髪を真ん中で分けて、髪の長い綺麗な女生徒だった。 「あら?お客はん?」  その女生徒は、蛍を見てにこりと笑う。よく見ると、目は碧で異国から来たような顔立ちで、井原ローズマリーというらしい。 「あ、井原先輩。この子は田中蛍くんです」 「田中君?なずなちゃんの彼氏?」  ローズマリーは、いたずらっぽく笑う。なずなは頬を染めて否定した。 「ふふっ。冗談やで。ところで絵の方はどないしたん?」  そう言われて、なずなはスケッチをローズマリーに見せる。ローズマリーは、何やら難しい顔をしている。 「もっと色をはっきり塗った方がええかな。モデルが悪いわ。そやな、菊にしたらええで。赤い菊がええ」 (まあ、菊の方が華やかだしな)  蛍は、近くにある筆を触り弄ぶ。筆をとるのも久しぶりだ。地獄じゃ、書き直せないように、閻魔大王への報告は筆を使う。暫く大した問題はなかったので報告書を書く事がなかったのだ。 「ところで、君。見学なんてつまらん事はせんとそのまま入部したらええよ」  ローズマリーは、下を見る蛍の顔を覗き込んだ。 「…そうだね。君みたいな綺麗な子がいる部活なら入ってもいいよ」 「ほんなら、交渉成立やなぁ」    午後六時。蛍が自宅へ帰ると、三吉が出迎えた。 「…お帰りなさい。坊っちゃん。随分、遅かったですね」  蛍はリュックを床に置き、すぐにソファーに座った。 「ただいま。これから、月曜日以外はこれくらいの時間になる。部活に入ったからな」  ネクタイを緩め、用意された冷茶を口に運ぶ。 「そうですか。何よりです。あ、明日休みでしょ?スーパーで買い物して来てください」  三吉は、チラシとメモを蛍に渡す。何で自分がと抗議するが、三吉は聞く耳を持たなかった。 (休みなら、寝ていたかった…そうだ)    ジューっと音が鳴り、卵とふだ肉が焼ける。一枚目は焦がしてしまった。なずなは、これは自分の分と決めて、父と弟の分を焼く。火が強すぎて失敗してしまった。料理の時に考え事をしていたのだ。 (君みたいな綺麗な子か)  あれから、蛍とローズマリーは気が合うらしくずっと話をしていた。それはとてもいい事なのだが、なんだか蛍のその言葉だけが引っ掛かる。 (…確かに綺麗だからな。井原先輩)  少し焦げ臭い匂いがして慌てて火を止める。何とか、焦げる寸前ですんだ。少し狐色になり過ぎだが、これはこれで良さそうだ。  なずなは、冷蔵庫からケチャップを取り出す。 「あ、もうすぐ無くなる。バターと醤油も無くなるし、明日スーパー行かなきゃな」  なずなは、ピカタとサラダを皿に盛り付け、弟を呼んだのだった。    ピカタは焦げていたけど、味付けはまあまあだった。なずなは、家事を終え、宿題を終えてからテレビを見た。今日はガラムに勧められた映画がやっていた。ガンマジンというロボットアニメの映画だ。零コージという少年がロボットに乗り、悪い人をやっつけると言ういかにも、勧善懲悪で道徳的な内容だが、かなり人気が高いらしい。だけど、高機動兵器がとか、ミサイルがとかなずなから見れば複雑怪奇なストーリーである。観ているうちに眠くなって来た。隣にいる弟は食い入るように観ていた。 「そういやあ、最近又三郎見てないね」  良介がそんな事を言い出した。又三郎とは、近所にいる猫である。この猫は、風来坊みたいに色んな家に寄り付く。悪さをせず、ただ家の縁側で日向ぼっこをするだけ。近所の犬達もこの猫には吠えず、追い出したりしない。毛並みはグレーで多分オス。盛りの時期になってもうるさく鳴いたりもしない。この猫は、もう何十年もいるらしいが、今の猫はきっと何代目か何だろう。生前の母がまだ小さい頃からいるらしく、でも猫がそんなに長生きするはずもないので、きっと子孫なのだ。  吉永家では、風のように現れ、いつの間にか居なくなってしまうのでそう呼んでいた。 「…そうだね。でも、またふらっとあらわれたりして」    蛍は肉体から霊体だけを引き離し、街に出た。人間界に来てから、この街をゆっくり見学していない。遊びに来ている訳ではないので当然だが、妖怪が蔓延っているなら、知っておく必要がある。  それにしても、意外に夜は明るい。不気味さなど皆無だ。用はないが、行きたい場所は一つだ。  蛍は、吉永と書かれた表札を見つけ、にやりと笑う。前に侵入したなずなの部屋は、灯りが消された状態だ。今は霊体なので、例え窓が空いていなくても、侵入出来る。蛍は二階まで飛び、窓から侵入した。 「お邪魔します」  聞こえてはいないだろうが、一応礼儀として言ってみた。脅かしてやるのもいいが、今日は寝顔がみたい気分だ。  なずなはベッドですやすや寝ている。暑いせいか、シャツと短いズボン、役割を果たしていない綿毛布だけの状態だ。 「これじゃあ、据え膳だ」  とりあえず、蛍はなずなの頭もとに近寄り、寝顔を確かめた。 「可愛い…」  綺麗に整った睫毛が、蛍の劣情を煽る。自分の顔をなずなに近付けると、なずなが何かを言っている。 「…ママ。行かないで…」  掠れた声は、蛍の頭の中で響く。口を震わせ、蛍は動けなくなる。なずなが寝返りを打ち、蛍はようやく動けるようになった。 「何だよ…興醒めじゃんか」      翌朝、蛍は三吉に叩き起こされ、スーパーへと向かう。欠伸をしながら、三吉に無理矢理持たされたエコバッグと財布を持って向かっていると、一匹の灰色の猫が蛍について来る。 「ん…?猫?」  蛍は眉間に皺を寄せて、なるべく見ないようにした。実のところ、蛍は猫が苦手である。  昔、蛍の幼馴染の猫が蛍をよく襲っていた。ついてに、その子の蛇にも襲われて、とうとう蛍は幼馴染とも遊ばなくなってしまったのだ。 (着いてくるなよ…というか、あの猫)  急に動きを止め、猫をじっと見ていた。 「…蛍くん?」  ふと、聞き覚えのある声で呼ばれてた。 「ぺんぺん?」 「こんにちわ。これから、お買い物?」 「…そうだよ。何で分かるの?」 「だって…」  そう言ってなずなが指を差したのは蛍のエコバッグだった。今朝、三吉に渡された時、ズボンのポケットに入れようとしたけど、財布で一杯一杯だったので手に持っていた。 「いや、三吉に頼まれてね、スーパーに。君は?」 「偶然。私もだよ」 「ミャーオー」  さっきの灰色の猫が、まるで存在をアピールするかのように、なずなの足にまとわりつく。 「あれ?又三郎」  なずなは、この猫を知っているのか、屈んで猫の顎を撫でると、猫は嬉しそうな顔をする。蛍はやや怪訝な顔で猫を見た。 「…その猫、君のなの?」 「ん?違うよ。この子は野良だよ」  なずなが言うには、この猫はこの近所で世話をしているらしく、なずなの家にもよく来るらしい。蛍は、三吉に猫避けをして貰うように頼みたかった。 「ついてくるんだ。何とかしてくれないかな?」 「猫…苦手?」 「う…うん」  なずなに弱点を知られるのは嫌だったが、ここは仕方ない。 「そっか。でも、同じスーパー行くし、この子は近づけないようにするね」  その後も又三郎はついて来たが、なずなのそばを離れなかったので蛍の近くには来なかった。蛍はなるべく又三郎から目線を逸らし歩行する。   「じゃあ、ぷりん。大人しくしててね」  沙奈は散歩ついでに、母から頼まれた物を買う為、スーパーに来た。ぷりんのリードを犬用のホールに繋ぐ。 「結局、最後までついて来たな」  ふと、男女がスーパーの入り口にいたのを見た。男の子の方は長髪で、女の子は知っている顔だった。 「そうだね。又三郎、またね」  又三郎はなずなの言った事を理解したのか、そこから離れて行く。 「ぺんぺんじゃない?」  沙奈は、なずなの肩をちょんちょんと叩いた。なずなは、懐かしさのあまり顔が綻ぶ。懐かしいと言っても、最後に会ったのは数ヶ月前。でも、若い二人には充分すぎるくらい長かったのだ。 「沙奈ちゃん?久しぶりだね。髪型変えた?」 「へへっ。憧れのショートボブにしたの」  二人は外に設置してあるスーパーのカゴを取り、中に入って行く。蛍もそれに倣い、カゴを取る。 「ワンワン!」  犬が、近くに来た猫に吠えているのが見えた。その時は、大して気にならなかった。    又三郎は、自分に吠えて来る犬をじっと見る。威嚇しているのか、怯えているのか、あるいはどっちもなのか。又三郎は、自分の身体を前のめりに伸ばして、犬に言った。  『何故、俺に吠える?』  『お前は猫じゃないか!それに僕は強くなって、連れされたご主人様を取り返す』  又三郎は何も言わずにその場を去っていった。   「…蛍くん、大丈夫?」  エコバッグに収まりきらないほどの荷物を抱えて、蛍は手が痺れそうだった。何たってこんなに食料が必要なのか、殆ど三吉の腹の中に収まるのに…ぶつぶつ言っていた。 「凄い荷物。お母…家の人に頼まれたの?」  三吉が家の人か、どうかは置いといて、頼まれたのは事実だ。 「そうだよ…」  近くで犬が吠えている。誰かの飼い犬だろうか?ポールに繋がれて、主人に早く来いと言わんばかりの吠え方だ。 「あ…。ぷりん、待ってて」  どうやら、沙奈の飼い犬らしい。沙奈は、またねと言って、犬の方へ駆けていく。その様子を蛍はじっと見た。確かに、沙奈の飼い犬ではあるが…。 「蛍くん、どうしたの?」 「ん…。いや、犬可愛いなって…」  なずなと道中話しながら、途中で別れ、蛍は家に向かう。まさか、思いも寄らぬ客がいるとは知らずに…。        
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