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「お疲れ様でした」
朝八時。ふらふらになりながらバイトを終える。このまま眠ってしまえればいいのだがこれから仕事だ。一日仕事して夜は夜勤のバイト。合間のちょっとした時間の仮眠だけで俺は生きている。もちろん吐きそうなほど辛い。
「いいよなあ」
誰に対して、何に対してか、そんなの一人しかいない。
「少しだけ時間あるか」
通り道だし寄っていこうとその足でいつもの病院へと向かう。雨音がやけに大きく感じて耳障りだった。
「……」
いつもこのドアを開けるとき少しだけ緊張して手が震える。もしも、そう考えてしまうからだ。
「よ!調子はどうだ?」
「あ、来たんだ?いつもよりはマシかな」
「そっか。それはよかったな」
いつもよりも明るく振舞うのは悟られないようにだ。
「お。この花きれいだな」
水を変えようと花瓶を持ち上げた瞬間に視界が揺れる。すぐには治らない。
まずい。いつもよりも眩暈が長い。とにかくばれないようにしないと。
「ま、まだ水かえなくていいかもな。まだ……」
「もういいよ……」
「は?」
「お母さんにもお前にも無理してほしくない」
「何言ってんだ?」
「見たら分かるんだよ。お前もお母さんも見るたびにやつれていってる。僕のせいで。だからもういいよ」
「だから、もういいってなんだよ」
「僕はどうせ助からないって言ってるんだよ」
「なんでお前がそんなこと言うんだよ?生きたいんじゃなかったのかよ」
「無駄だよ。せめて二人は……」
「無駄?無駄ってなんだよ。俺たちが辛いって思いながら頑張ってるのが無駄だっていうのか?」
言いながらやってしまったと思ったが止められなかった。絶対に口に出してはいけない言葉だった。
「お前が生きたいって言ったから俺と母さんは無理して働いてる。それなのにお前が一番に諦めていいわけないだろ」
そんなこときっと自分でも分かってるだろう。
「じゃあどうすればいいんだよ!日に日に悪くなっていく体に言い聞かせろって言うのか?どうしようもないのに?」
俺が本当にムカついたのは自分なんてどうでもいいという言葉にではなかった。こいつは簡単で諦めることができる、その事実にだった。
「君には分からないだろうね。僕の気持ちは」
「お前だって分からないだろ。俺の気持ちは」
目の前にあった花瓶に手が当たり地面に落ちる。花瓶の割れる大きな音が鳴り響くはずだった。
「まあまあ、どちらも落ち着いてください」
いつの間にか知らない男が花瓶を持って二人の間に立っていた。シャツもズボンも真っ黒で黒い帽子を深くかぶっている。笑顔はどこもかしこも胡散臭い。
「喧嘩はよくないですよ?たった一人の兄弟なんですから。しかも双子の。めずらしっ!」
なんだこいつ。きっと二人ともそう思ったはずだ。
「あんた誰だ?勝手に入ってきて」
「私は誰か?すみませんがそれは内緒です」
「は?」
「代わりと言ってはなんですが、あなた方に別の人生を提供しましょう」
「どういうこと?」
「他人のことなんて全く分からないものです。なので実際に体験してみてください。では、えっと、レッツニューライフ!」
いつの間に雨が止んだのか、ダサい言葉を合図に太陽光が病室に強く差し込む。目を瞑り、もう一度開けて見ると、今までとは違う世界が広がっていた。
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