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「お師匠様はこの世の全てが記された預言書の“古代遺物”をお持ちだという噂を聞いたのですけれども」
お茶を持って入室してきた若い弟子の言葉に、老人は読んでいた論文から視線を上げて溜息を吐いた。
「まーた、わけのわからん噂が流れとるのう。そんなもん持っとらんよ。なんじゃいその予言書の古代遺物って」
「さあ……」
「そもそもこの世の全てが記された預言書って何ページあるんじゃ? 絶対一冊に収まりきらんし置くとこないじゃろ」
「たとえば魔術で装丁の内側が無限ページあるとか」
「空間歪める効果を永続的に付与された書物にぎっしり未来のことが書いてあるんか? そんな超絶古代遺物、億が一実在するとしても個人で所蔵しとるわけないじゃろ」
弟子はまだ納得いかないようでうんうん唸っている。
「でもお師匠様ってときどきバシっと未来のこと言い当てますよね。戦争が起きるとか、台風が来るとか。それこそ予言書でもないと……たとえばいつも大事そうに手元に置いてる本とか。たまに引き出しから取り出して読んでますよね」
老人は「ちっとも勉強せんクセにこういうことだけは目敏いのう」と心の中で悪態を吐いたが顔には出さない。
「ありゃ忘備録を兼ねた日記帳じゃ。装丁だけ使い回しとるからいつも同じようなものを持っとるように見えるが中身は入れ替わっとる」
「ええ、でもそれじゃ……」
「先のことがわかるのは知識と経験じゃ。お前ももっとたくさん学べばそのうちわかるようになるわい。わかったらくだらんことばかり言っとらんで論文の一本でも仕上げてこんか」
まくし立てるように言うと弟子は「ひぃっ」とおどけたように肩を竦めて部屋を出て行った。
完全に扉が閉まるのを見届けて大きく溜息を吐く。
「まったく……ワシも少し言動には注意せねばならんな」
弟子にはああいったが、実は老人には秘密があった。
目を閉じて意識を集中すれば未来の出来事を知ることができる“未来視の魔眼”の持ち主なのだ。
しかし、当然この世の全てがわかるわけではないし、望んだ未来を知れるとも限らない。そもそも自分の力で得た能力でもないのでいつ損なわれるともしれない代物だ。
下手にもてはやされて調子に乗るといつか絶対に足元をすくわれると、老人は信じていた。
だからこの力を誰にも秘密にしていたが、日記帳に嫌疑がかかったのは良くなかった。
日記帳だという話は偽りではないが、実は知った未来を忘れないように書き付けているのだ。未来の日付が大量に書かれたそれは、まあ預言書と言えた。
「しかしのう……」
世界情勢や天変地異は書き逃さないよう気を付けているが、それ以外にもちょっとした事件や食堂の日替わりメニュー、家の風呂釜が壊れる日など私的かつ他人にはどうでもいいようなことのほうが遥かに大量に書かれている。正直絶対に見られたくなかった。
あの弟子のことだ。いつかこの日記帳を覗こうと試みるかもしれない。
「これは管理を考えんといかんのう」
この日記を弟子が見る未来があるかどうかを知れれば楽なのだが、この“未来視の魔眼”にそんな曖昧な事象を知れるような力はない。
「本当に、肝心なときにはなんの役にも立たんわい」
老人はまた溜息を吐いて、とりあえず今見えた目当ての野菜が買えない未来を日付とともに書き足したのだった。
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