第二話 俺は不真面目な生徒らしい。

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 昨晩は非常に寝付きにくかったのだが、なんとか眠れたようである。チリンチリンという大きくも小さくもない目覚ましの音が響き、俺はカーテンから漏れた光を頼りに目を開ける。そして目覚ましを止めると、あくびを一つして、ゆっくりと腰を起こした。  冷静になってから時計を確認する。どうやら設定したタイマー通りに起きれたようである。ふぅ、ようやく寝坊しないで登校できるな。音の大きさも丁度良く扱いやすいので、これからも世話になることだろう。  俺はおもむろにベッドから降りると、早々に着替え始める。信じられないかもしれないが、俺は朝型の人間なのだ。前世では毎日のように早くから起きて、近所を軽くジョギングしていたのだが…。  しかし、ここではそういうこともできないだろう。第一、早朝に寮の外を走る奴がいるものか。それに現実的に考えても無理だ。俺はまだまだ新参者だし、この学校のルールを把握していないのだから。  それでもジョギングの一つや二つをしたいなぁ、などと呑気なことを考えながら俺はタンスに手をかける。中から制服を取り出して着替えた。  あぁ、そういえば。今日は体育の授業があるんだっけ。ふと思い出した記憶を頼りに再度タンスを開けて、体操服らしき物を取り出してみた。  それは藍色の爽やかなジャージである。胸の辺りに学園の紋章があって、それだけで高級感が醸し出されている。けれども、きっと材質はただのジャージでしかないのだろう。そんな話題にするようなことでもない事を考えている俺に対して呆れて、ふっと鼻で笑った。  とりあえずこれを布の袋にでも入れておこう。タンスの中にちょうど体操服を入れるのに良さそうな袋があるため、これを活用することにする。俺は体操服を詰めると袋ごと俺が所持している鞄に入れた。  それにしても…この鞄、とても小さいな。鞄と言うより手提げバッグと言った方が近い。明らかに教科書を詰め込むには不適切だ。教室のロッカーの中にありえないほど教科書やらノートやらを入れていたあたり、どうやら今世の俺は面倒な性格だったようである。まさか、サボリ魔とかじゃなかっただろうな。  まぁいい。色々と気になることはあるけれど、今できることをしないと。俺はゆっくり立ち上がって、登校の準備をするのだった。  …と、いうわけで、初めて顔も知らぬ生徒達と共に登校していたのだが。いや、登校と言うよりこれは──行進? 常識的な登校とは言えない。  何よりこの学園の寮と校舎は繋がっている。そのため生徒達は渡り廊下を歩くだけなので、校門を通り抜けたりしない。ただ歩くだけなのだ。  慣れない異様な空気に戸惑いつつも、俺は渡り廊下を歩く。壁がガラス張りになっている広々とした空間では、生徒はいるものの数は少ないように感じる。生徒達は朝早くから登校して部活でもしているのだろうか。あるいは、ギリギリまで休んでいるのかな。  などと考え事をしていた時、ふと違和感に気づいた。嫌な気配を何となく感じて、俺は立ち止まり、ぐるりと辺りを見渡してみる。俺以外の生徒も居るには居るのだが、つい先ほどと比べて妙に数が少ない。  そういえば、さっき焦ったように走りながら登校していた生徒も居た。まるで、この渡り廊下から一刻も早く出てしまいたい、とでも言うかのように。  俺が見渡していると、ふと何人かの生徒達が寮から登校し始めた姿が見えた。なんだ、まだ登校する人もいるじゃないか。そう安心したのも束の間。その者達の妖しいオーラを感じ取った俺は、ピクリと肩を震わせた。  美麗で端麗、そして溢れんばかりの色気。完璧で完全な男達が肩で風を切りながら登校しているのである。俺は一瞬、目を疑った。それもそうだ。何故なら、あまりにもこの光景が異常すぎるからだ。今登校した生徒達は皆ネクタイを身につけている。  な、なんだこの威圧感は。ベテラン俳優の風格というか、なんというか。言葉で現せないほどの雰囲気を漂わせている。この世に存在してはいけない──そうとさえ思ってしまうほどに、彼らの容姿は美しすぎる。それはもう、俺が生きていた世界では考えられないほどに。イケメンやハンサムという言葉が似合わないほどに。 「おん? ワレ、問題児の鷹野 隼斗君やないかい。」  突然背後から声をかけられてしまい、驚いてバッと声をかけられた方を振り向く。さすがに勢いが強かったのか、反動で首筋が痛んだ。 「首急に捻ったらアカンやろ。それ結構痛いんやからなぁ?」  この関西弁の男は自身で言っておきながら、へへへと面白そうに乾いた笑みを漏らす。少し赤っぽい地毛のショートヘアに、つり上がった目に収まる小さい瞳。そして見え隠れする八重歯。  昨日学校を案内してもらった橋村と似ている見た目だが似ていない。それは妙に落ち着いた性格が証明している。彼は本当に学生なのだろうか、と疑ってしまうほどだ。  更にこの人物、ネクタイを身にまとっている。しかも後ろで登校し始めたハンサム達と同じネクタイだ。まさかこれも校則だったのだろうか? いや、そうとも言えない。何故なら、この学校でネクタイを着けている生徒など今まで見たことがなかったからだ。  関西弁の男は品定めするかのようにじっと俺を見つめる。その視線を奇妙に感じた俺は、ゾワリと背筋が凍った。 「一昨日からちゃんと制服着てエラいなぁ。とでも言うと思ったんか? お前の魂胆は丸見えやで。」  つんと氷のように冷たい目が俺を睨みつける。関西弁の威圧と合わさり、それはまさに凶器である。俺はすっかり怯えてしまい、奥歯を震えないように噛み締めた。  関東生まれで関東育ちの俺にとって、関西弁は全く馴染みがないし理解しにくい言語である。嫌いというわけではない。ただ、ちょっぴり怖く聞こえてしまうのだ。それに関西弁についてあまり知らないのも事実である。もっと言えば、『なんでやねん』や『アホか』の意味しか知らない。  つまり関西弁を完璧に聞き取れないのである。 「隼斗君、さては好きな男できたんやな? あんなにほたえてイキってたお前が真面目に制服着とるんや、よっぽどええ男なんやろなぁ。」  全く意味が理解できない。思わず頭の中が空っぽになってしまうほどだ。と、とりあえず。この人のペースに巻き込まれたら何も話せなくなるということはわかった。 「あ、えっと…どなたですか?」  おそるおそる敬語を使って、できる限り低姿勢な態度で尋ねてみると、関西弁の男は焦ったような表情で問いかける。 「なんやお前!? 何でけったいになっとんねん!?」  すみません。意味が理解できません。 「なんしか、さむいぼ立つから演技なんやったらやめろや。」  ピシャリと言われ、俺は心の奥底から戦いてしまう。怖すぎる、この人。何を言ったのか理解不能なのだが、とにかく怖いことを言っているのは確かだ。  冷静に分析しなければ。返答次第では酷く怒らせてしまうだろう。『なんしか、さむいぼ立つから演技なんやったらやめろや』の意味の考察から始めるか。ええっと、その。  これは関東育ちの俺による、関西弁の知識がゼロに等しい者の推測だ。そんな俺の意見だから真に受けないでくれよ。つまり、標準語に変えると、『なんというか、嫌な何かが立つから演技ならばやめろ』ということだろうか。…『なんしか』と『さむいぼ』の意味が一つも予想できないが、ニュアンス的にこうなのではないかと自分なりに考えてみる。多分間違っていると思うけど。  とりあえず、演技ならばやめろ、という俺の考察が合っているものとして会話するか。 「演技なんてしていませんよ。」  少し厳しい口調で言ってみせると、関西弁の男は、今度は気の抜けた顔で呟くように言った。 「しょーみホンマの話?」  …。  あぁ、俺は関西弁が全くわからない。うん。もう考察とか推測とか、そのレベルではないのだ。まるで英語の羅列で作られた難解小説を読んでいるかのような気分である。いや、むしろ関西弁より英語の方が理解し易いことだろう。関西弁と違い英語は怒りっぽい口調を使わないし、全く怖くない。そもそも言語が通じないということがわかっているので、何も不安になることがないのだ。  けれど関西弁はどうだ。こちらは関西弁を理解できないが、相手は標準語を理解できる。同じ日本語を用いているはずなのに伝わらないもどかしさ。それを感じない人はいないはずだ。  もういいや。真面目に受け答えをすれば、間違いなく俺の体力と精神が尽きる。俺は疲れ切った様子で語り始めた。 「俺は記憶喪失したんです。だからあなたのことがわかりません。あなたの事を教えていただいてもよろしいでしょうか?」  このくらい言えば彼も理解できるだろう。それに、相手が記憶喪失者とわかれば標準語を使わずにはいられないはずだ。それを信じて俺は語りかけた。しかし俺の願いは一瞬で届かないことを悟る。 「自分何いっとんのかわかってんの?」  …。標準語を、使ってくれますか??  俺が相変わらず仏頂面で見ていたことに呆れたからなのか、男は大きなため息を吐くと関西弁で自己紹介をしてくれた。 「ワイは三年の 天崎(あまざき) 真太郎(しんたろう)や。んで、風紀副委員長やっとる。風紀委員っつーのはな、隼斗君みたいなしょうもない奴らを取り締まる組織みたいなやつやで。この学校には風紀乱すのがよーけおるからな。ワイらがおらなアカンねん。」  えっと、最後のあたりはよくわからなかったが、とりあえずこの人は天崎さんという名の先輩ということだけはわかった。というか、この人は風紀委員だったのか。それは凄い。 「天崎先輩ですね。」  念のため確認を取ると、天崎は黙りながらコクリと頷いてくれた。それを見て俺はほっと一息つく。 「なんしか、隼斗君や。聞きたいことあんねんけど。」  じっと俺の顔を真顔で見つめていた天崎だったが、ふと小さな言葉を漏らした。しんと静かで落ち着いた口調から、とても真面目な話なのだと直感する。俺は背筋をピンと無意識に伸ばした。 「はい、何でしょう。」  緊張しつつ尋ねる。天崎はゆっくり俺に問いかけた。
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