第二話 俺は不真面目な生徒らしい。

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「ホンマに記憶喪失したんやな。」  天崎はしみじみといった様子で静かに話しかけた。 「はい。」  俺はゴクリと唾を飲み込む。この天崎という人は妙に落ち着いており冷静である。しかしその静けさがより天崎を怖い人として演出させている。俺より実質上の年下であるはずなのに、大人びた性格と穏やかな瞳に、まるで俺が優しく包み込まれているかのようである。 「…そうか。ほな、これから気ぃ付けや。しょうもない奴らに食われるほど、お前も落ちこぼれやないやろ?」  真摯に対峙する優しい助言を聞いて、俺は何だか身が引き締まった。天崎はごく普通の人であり、俺がトラウマを負った変態男などのような人物ではないと、心から確信できるのだ。天崎は俺の先輩として、風紀を守る風紀副委員長として発言しているだけ。しかしそこにも優しさがあり、俺を気遣ってくれる暖かさがある。それをどうして非難できようか。 「ありがとうございます。」  俺の取るべき行動は一つ。真面目な彼に真面目に向き合い、礼を告げるのみだ。天崎は俺の感謝の言葉を受け取ると、小さく微笑んだ。 「まぁ授業遅れんうちに行けや。」  天崎は俺の肩にそっと片手で触れると、校舎へ行くように急かす。俺はコクリと頷くと、その言葉に従い、校舎の方へと足を進めた。  天崎は校舎の方へ行かなかった。これも風紀委員の仕事なのだろうか、渡り廊下を練り歩きながら他の生徒達に声をかけている。風紀を守る仕事も大変だな、と思って俺は天崎を心の中で労った。  さて、今日も授業が始まる。気合いを入れるとしよう。  …と、少し調子に乗っていた数分前の自分を思いっ切り殴りたい。俺はどうしても気分が悪くて、もじもじとしている。それもそのはずだ。教室に入るやいなや、話しかけられたくなかった人物に話しかけているのだから。 「鷹野君、元気がなさそうじゃないか。」  あぁ、その通り俺は元気が全くない。お前のせいでな!!  俺に話しかけてきた奴は同じクラスの 沢口 綾。俺が記憶喪失したということを知っているくせに、一々突っかかって来る変人だ。鼻につく独特の話し方がうっとうしい。 「まぁ、うん。」  俺がまたも曖昧な返事をして顔をそらすと、沢口はふっと鼻で笑う。 「ふーん。やはり『記憶喪失』というのは面白いなぁ。こんなに白々しいだなんて酷いよ。」  何でもお見通しだとでも言うような顔でニヤリと不気味に微笑む。その顔を見た時、氷のような冷や汗が俺の背を伝った。  俺が贈り物だということが他の誰かに知られてはいけない。その緊張感が妙に刺激的で、なんとも心が落ち着かない。もしかすると沢口は知っているのではないだろうか。そのうえで俺をからかっているのだろうか。  いいや、まさかな。さすがにそんなことは起こり得ないだろう。沢口はきっと俺の反応を見て楽しんでいるだけだ。多分。  俺が渋い顔をしているのを見た沢口は微かにほくそ笑むと、災いのもとであるその口を開く。 「まぁ良いさ。そのうち自白することになるだろうからね。」 「どういうことだ?」  訳も分からず尋ねると、沢口は眉をハの字にして自慢げに言った。 「それすらもわからないのかい?」  その神妙な顔つきに思わず苛立つ。どうしてそこまでして俺をからかうのだろうか? 俺が教室に入ってから沢口に絡まれてから、かれこれ10分は経っているだろう。沢口はどういう理由で俺に話しかけてくるんだ?  沢口は俺の気まずいという気持ちを逆手に取ってくるため、さすがに呆れてくる。俺は大胆に腕を組むと、わざと無愛想に睨みつけた。それを見た沢口は一瞬驚く。同時に、周りに居たクラスメート達も驚いた。きっと今世の俺は人を睨みつけるなんてことをしなかったのだろう。  俺が目を細めながらしっとり見つめてみると、沢口は少し焦ったように口角を吊り上げた。セミロングの爽やかな髪が揺れる。 「おぉ、鷹野君…まさか記憶喪失でこんなことになるとは。不思議なものだねぇ。」  うろたえていた素振りはあったものの、余計な一言を言うと沢口も落ち着いてきたようである。早くも俺の睨みの効果が薄れたのか、はたまた俺があまり怖くなかったのかはわからないが、沢口は再びいつもの調子に戻ってしまった。俺は一つため息をはくと、チラリと沢口の顔を覗き込む。俺に探られていると気がついた沢口は、すぐに顔面に鋭い笑顔を貼り付けた。 「はぁ、あのなぁ沢口。俺は──」  言いかけて止める。コイツには、『俺は記憶喪失者なのだから勘弁しろ』などと言うことすら億劫だと感じたからだ。どうせ沢口にとっても今更な話だろうから、それならば言わない方がマシだろう。  などと沢口と話し合っていたところ、ガラリと扉を開けて複数の生徒達が教室に入ってきた。部活から戻ったのか、あるいは今登校してきたのか、それなりに大きな集団である。  その集団の中にいた一人は俺を見つけると、はっと見開いて、すぐさま俺の方へ駆け寄ってきた。 「隼斗ちゃーん!」  と、甲高い大きな声を出しながら。  彼はクラスメートの 斎藤 燐。少し個性的な口調をしているものの、まともな人なのは確かである。艶のあるメッシュ入りの黒髪を軽く揺らしながら、まっすぐ俺の近くへ来た。  俺の側に着くなり、ギロリと沢口を睨みつける。そして怖い顔で言い張った。 「あのねぇ、ウチの隼斗ちゃんに手を出さないでくれるかしら? 綾ちゃんしつこいわよ。」  したたかに言う燐に、さすがの沢口もたじろぐ。かろうじて顔に残った微笑を無理やりに引きつって、燐の様子をうかがっている。 「燐、そこまで言うことじゃないだろう。僕が節操ない人間だとでも言うのかい?」 「あらぁ違ったのかしら?」  燐は沢口のひねくれた発言さえも易々と流す。燐の駆け引きは見ていて心地良い。それはもう、今まで沢口に募った怒りが綺麗に洗われていくかのように。いや、実際にそうなのだろう。  沢口と燐が互いに睨み合っていたところ、ようやく諦めたのか、沢口はふっと鼻で笑うと静かに言った。 「まぁ、今回は許してやるよ。」  それだけ言うと俺の横をスタスタと通り過ぎ、そのまま教室を出てどこかへと行ってしまった。  …俺も含めて教室内にいた皆が沢口の動向を見守る。奴の背が見えなくなったところで、クラスメート達は口々にあることないことを言い始めた。燐は静かにそっと息をはくと、ぽつりと呟く。 「あの子に心を許しちゃダメ。」  燐は誰かに話しかけることもなく、ただ独り言を漏らす。それは俺に向けての言葉だったのか、はたまた自分自身に対する言葉だったのかはわからないが。とにかく言い聞かせているような感じはした。  燐はしばらく黙り込んでいたのだが、はっと我に帰ると、俺の方を振り向く。まじまじと俺を見た後、燐は穏やかに微笑んだ。 「じゃあ、一限目の準備でもしちゃおうか、隼斗ちゃん?」  その優しい言葉に俺は頷く。それから燐と共にゆっくりと歩き、教室内のそれぞれのロッカーへ向かった。  俺は『鷹野 隼斗』というネームプレートがあるロッカーの前まで来ると、躊躇なくロッカーを開ける。中に入っている溢れんばかりの量の教科書やノートを整理しながら、俺は考え事をしていた。  『贈り物』とはこの世界において、どれほど重要な人物なのだろうか、と…。
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