第二話 俺は不真面目な生徒らしい。

13/13
前へ
/23ページ
次へ
 気がつけば、何故か俺は目の前の男に股間を掴まれていた。いやらしい触り方で、掴むというより包み込むといった感触ではあったが。そのまま男子生徒は自身の下唇を舐めると、俺の首筋を一回舐めた。 「ひっ!」  恐怖と腹立たしさがこみ上げてきて苦しい。一発殴ってやろうかという憤怒もあれば、今すぐ逃げ出したいという情けない感情で溢れる。それが複雑に入り混じって、俺はこの場から動けなかった。  舐められた首筋が気持ち悪い。ゾワリと鳥肌が立つような気味の悪さと、何とも言えない感覚に酷く困惑する。  ただ、軽くパニック状態に陥った俺でさえ、言葉に表せられるほど簡単な疑問が浮かび上がった。  どうして俺は、こんな奴に興奮してんの…? 「隼斗ちゃんに近寄ったらダメよ!!」  燐が男子生徒の頬を叩く音を聞いて、ふっと我に帰った。パシンと乾いた音と、迫力がある怒声が更衣室内に響き渡る。着替えていた者、シていた者もこの騒ぎに驚かないことはなく、燐は注目を集めた。  けれども燐は怒りを露わにして、厳しく、そして気品ある姿で叱ったのである。 「あのね、今の隼斗ちゃんは記憶喪失してるの。だけど隼斗ちゃんなりに学校に馴染もうと努力してる最中なのよ。だから、これから隼斗ちゃんをアナタの知ってる隼斗ちゃんと重ねないでちょうだい。隼斗ちゃんに失礼がないよう、ね。」  燐は冷たく男子生徒を睨みつける。男子生徒はその言葉を聞いても未だ理解できないのか、俺と燐の顔を交互に見ながら呆然としていた。その様子に心底呆れた燐は一つため息をはくと、俺の腕を引く。 「隼斗ちゃん、早く行きましょ。時間がないわ。」 「あ、あぁ」  心なしか燐が不機嫌そうに見える。いや、実際に不機嫌なのだろう。燐はそれほどまでに俺を気にかけてくれているのだ。  そして俺と燐は更衣室を出ると、昇降口へと向かった。  靴を履き替え、外に出る。思ったより校舎の外は広々としており、輝く太陽が眩しい。落ち葉がほとんどない掃除された通路に、趣味が良い植物が植えられており、まるで庭園のようだった。  通路は3つあり、そのうち左側の方へ俺達は向かった。自然豊かで緑溢れる通路を歩きながら、山中を探索しているような感覚に陥る。それほど綺麗で美しい場所だったというわけだ。  そのまま通路を歩くと、ようやくグラウンドが見えてくる。通路の脇にそれぞれ違った形状のグラウンドが3つもあった。 「隼斗ちゃん、一番手前のグラウンドが第一グラウンドよ。」  燐に丁寧に教えてもらいながら、俺達はそのまま第一グラウンドへ入った。と同時にチャイムの音が鳴る。どうやらギリギリだった様子だ。  グラウンドにはすでに生徒が何人か集まっており、体育教師と会話する者や準備を手伝う者、雑談している者がいた。 「あら? まだ始まっていないみたい。」  燐がポツリと呟く。そうか、まだ始まっていなかったのか。確かに言われてみれば、生徒の数も少ないように思う。俺のクラスは40人ほどの生徒がいたはずだが、ここには20人くらいしかいなかった。  まさか、残りの約20人はサボリ…? などと考えていたところ、遅れながらもポツポツと数人ずつ生徒が集まってきた。  俺は燐に授業の準備を手伝うよう促されていたため、他の生徒達と共に倉庫を出入りしていた。今日はサッカーをするらしく、ボールやサッカーゴールをいくつか用意しなければならないらしい。  ゴールはどれも大きくて、一人では持ち運びにくい。けれど燐が一緒に運んでくれたおかげで何とかなった。むろん、重くなかったというわけではないが。それでも一人で運ぶより幾分と楽ではあった。  そうして他の生徒達とも協力して準備を終わらせたところ、ようやく先生から集合がかかる。俺に完璧な時間管理能力はないので合っているとは限らないが、10分ほどは授業が遅れたのではないだろうか。  クラスメート達は優しく、整列した時の俺の位置を教えてくれた。そのためスムーズに並ぶことができた。  けれど疑問に思うことがある。それは、未だ来ていない生徒が数人いることだ。  しかしそのようなことすら慣れているのだろうか。先生は来ていない生徒を知らん振りして、そのまま授業を開始した。 「授業始めまーす。今日はサッカーします。準備運動した後、適当にゴールシュート練習でもしといてくださーい」  とだけ先生は告げると、日陰の方へ去ってしまった。少々雑な気がするが、まぁいいか。  まもなく一人の生徒が列の前までやってくる。そしてラジオ体操のようなものを始めた。  …始めたは良いものの、俺が知っていたラジオ体操とはあまりにかけ離れていた。思わず戸惑ってしまい、うまくできない。アキレス筋をほぐす運動など、基本的なものは変更がないのだが、よくわからない奇妙な動きが追加されているのだ。俺なりに努力してみるのだが、どうしても合わせられない。下手すぎて真後ろの生徒からクスッと笑われてしまう始末だ。  時代の流れというものを実感している間に、謎の体操が終わった。それから各自で行動し始める。先生が言った通りに、サッカーボールを用いてシュート練習する生徒もいた。しかし数人で集まって雑談する生徒もいる。  俺と燐はと言うと、素直に先生の指示に従っていた。サッカーボールを一つ手に取り、設置したゴール前まで大人しく向かったのである。  その時、ふと何気ない疑問が浮かんだ。 「燐、ちょっと聞きたいことがあるんだが」  尋ねると、燐はとても優しく聞き返してくれる。 「あら、どうしたの?」 「何人か体育の授業をサボっているよな? どういうことなんだ?」  そう聞くと、穏やかな表情だった燐はみるみるうちに顔を強ばらせ、真剣な顔つきになっていく。な、なんだ。もしかして聞いてはいけなかったか? 「…あのね、隼斗ちゃん。えっと。その。…来ていない子達は、多分全員カップルよ。」 「?」 「んーだから要するに、体育をサボってヤってるってこと。あの体育の先生は甘いから、皆気が抜けてるのよ。」  何ということだ。授業をサボってまで、そのような低俗なことをしているだなんて。幻滅である。 「というか、どうしてあの先生は生徒を叱らないんだ?」 「え? うーん…そうね。強いて言うならば。」  燐は深く考えながら教えてくれる。 「あの先生も授業中にシている時があるから、かしら。」  …何となく嫌な予感がして、おそるおそる体育教師に目を向ける。すると、先ほどまで居なかったはずの教師(俺は会ったことがない)が居て、先生同士で仲良く話し込んでいる。  まさか、な。まさかとは思うけど。 「…授業中に、教師同士でお喋りって。」 「アレはまだ良い方よ。酷い時は二人でどこかに行っちゃうんだから。」  燐の発言を聞きながら、俺は体育教師と体育教師の恋人にドン引きする。教師とあろう者がそんなことをして良いのか?  などと考えながら凝視している時、ふと、体育教師の恋人と目が合った。合ってしまったんだ。  彼はニヤリと笑った。まるで自分達を見せつけるかのように。あるいは、生徒である俺に自慢するかのように。コイツは俺のものだ、授業をしてくれなくて残念だったな、とでも言わんばかりに欲情しきった顔で。  こんな光景が当たり前の世界であるのだと改めて気づいて、俺は背筋が凍った。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

339人が本棚に入れています
本棚に追加