生贄団地

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※※※  ここへ越してきてから、早いもので二週間。  やはり最初に抱いた印象は間違いではなかったようで、この団地に暮らす住人は皆どこかよそよそしく、挨拶をしてもまともに返してくれる様子もなかった。  時折談笑している住人は見かけるものの、よそ者を嫌うきらいでもあるのか、俺に対しての視線はどこか(いぶか)しげなもので、それは大人達だけではなく子供達までもが皆一様にして同じだった。 (一体、俺が何をしたって言うんだよ……。感じの悪い人達だな)  内心ではそんな小さな愚痴を溢しながらも、すれ違う主婦達に「おはようございます」と笑顔で挨拶をすると、そんな俺を見てピタリと会話を止める主婦達。  相変わらずの態度にうんざりとしながらも、俺はゴミ出しを済ませるとそのまま歩き出す。  あと一年我慢すれば、この団地ともおさらばできるのだ。  そう思えば、この環境もなんとか耐えられるだろうと、俺は小さく溜め息を吐くと重い足取りで会社へと出向いたのだった。 ※※※  仕事が終わり団地へと帰ってくると、そこにはいつもと同じ風景が広がっていた。  敷地内の一角にある小さな公園で、楽しそうに遊んでいる子供達。単身で越してきた俺以外には、この団地で暮らす住人はほとんどが家族連れだった。  よくよく考えてみれば、よそ者の三十代の未婚男性が単身で越して来たのだから、子供を持つ親からすれば多少嫌厭(けんえん)するのは無理もない話しなのかもしれない。  だからといって、挨拶をしてもまともに返さないばかりか、俺の姿を見るなり逃げるようにして走り去る子供達を見て、一体どんな教育をしているのだと文句の一つでも言いたくなる。  だが、今日はそんないつもの光景とは少し違った。俺の足元へと転がってきたボールを追いかけて、一人の少年がゆっくりと近づいて来たのだ。 「こんにちは」 「……こんにちは」  足元に転がるボールを拾って手渡せば、ぎこちないながらにも挨拶を返してくれる少年。  歳の頃は、小学校の高学年くらいだろうか。小麦色に焼けた肌がよく似合う、快活そうな印象の少年だった。 「ここに住んでる子だよね?」 「うん。B棟の303に住んでるよ」  ここに越して来て初めてまともに会話してもらえた嬉しさから、俺はニコリと微笑むと再び口を開いた。 「サッカーが好きなの?」 「うん。将来はサッカー選手になるのが夢なんだっ!」 「そっか。なれるといいね」  ニカッと眩しい笑顔を咲かせる少年を見て、それにつられた俺はクスリと笑い声を漏らした。  ここに越して来てからずっと避けられていたとはいえ、本来、俺は子供が好きなのだ。希望に満ちた少年の笑顔を見ているだけで、沈んでいた気持ちも心なしか軽くなった気がする。 「おじさん……顔色が悪いけど、大丈夫?」 「……大丈夫だよ、ありがとう」 「おじさんて、最近引っ越して来た人だよね?」 「うん、そうだよ。A棟の501に越して来た山下っていうんだ。よろしくね」 「501……?」 「うん。……あぁ、もう18時半なんだね。暗くなる前に、早く家に帰った方がいいよ」 「……うん」 「また明日」 「うん。ばいばい、おじさん」  ボールを抱えて走り去る少年を見送りながら、俺は穏やかな気持ちで満たされてゆくのを感じて小さく微笑んだ。  明日からは少し、今日までとは違った気持ちで毎日を過ごせるかもしれない。そんな期待に小さく胸を膨らませると、自宅へと続く階段を目指して歩みを進めたのだった。
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