落下

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「大人になるということは不便なことだとは思わないかい?」  いやはや、冒頭から投げかけとは不躾だったかな。 だけど考えてみてほしいんだ。  幼い頃、僕達は思ったことを何でも自由に口にしてなかったかい? 空腹な時は「おなかすいた!」と訴え、欲しいものがあれば「あれ買って!」「これちょーだい!」と泣いたこともあったろう?  しかし今ではどうだい? 「今言ったら場の雰囲気が悪くなる」 「これを言ったらがめついと思われる」 大人になるうちに身についてしまった処世術は、僕達をこの上なく不自由に縛り付ける見えない鎖だと思わないかい?  もっと例を挙げようか?  見たくないものを見ないといけなかったり、逆に見ないといけないものを見ないふりをすることが求められることもあるだろう?  僕はね、小学生の時にいじめられていたんだ。 えっ? なぜいじめられていたかって? いじめられるクラスメイトを見て見ぬふりできなくて、割って入ったんだよ。 そしたらあら不思議、次の日からはいじめのターゲットは僕になったよ。 そしてこの体験は大人になっても繰り返されるんだ。  いい大人が新人いびりをしてたから、青臭かった僕は当然のように注意し、割って入ったんだ。 するとどうだろう、仕事中にも関わらず、いい大人達が僕を無視するんだぜ? 小学生時代の僕は、社会人として青かった僕は、見て見ぬふりをすべきだったと思うかい? 道徳の授業では「いじめは悪いことです。いじめはしない、見かけたら注意しましょう」と習い、誰もが賛同するけど、現実は残酷だよね。  加えて、言いたいことを何でも素直に言えていたあの頃、僕は煙たがられてもいたんだ。 えっ? なぜかって? それはね、僕が「視える人間」だったからなんだ。 分別がついてなかったあの頃、僕は視たものを視たままに素直に口にしていたんだよ。 するとどうだい、周りはおろか親でさえも僕を厭い始めたんだよ。 「そんなものはいません!」 「嘘をつくのはやめなさい!」  あぁ、思い出してもろくな記憶がないや。 大人になった僕の今は、目まぐるしくグルグルと視界が切り替わる。 翼を失った僕は、ただただ落ちていくだけだ。  でもこうして振り返ってみると、幼い頃の自分は、まるで翼があるかのように自由だったんだね。 あぁ、そこにいたんだね、幼い頃の疲れを知らない無垢な僕よ。 「また会えたね」 せっかくの再会なのに、別れが早くてごめんよ。 素直に生きることができない世界は、僕には少し窮屈だったみたいだ。 少し後、ぐしゃりと歪んだのは世界だったか僕だったか。 冷たいアスファルトが紅く染まった。
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