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一話 知恵の女王蟻と嘆きの女王蟻
知恵の女王蟻エラノラの統治は国に長く平和をもたらしていた。エラノラは穏やかな性格で、民に慕われていたが老いには勝てなかった。
「俺は先週、エラノラ女王に呼ばれたが子供は宿らなかった。やはり………噂通り、もう我々の兄弟を産むことはできないのか」
「めったな事を言うな。ブリンダビアのスパイがこの城にも潜んでいるかもしれないんだぞ」
誇り高きエラノラ女王の騎士ルーは、声を潜めて同僚のジャーニに苦言した。彼が危惧するように、先日エラノラ女王の褥に呼ばれたルーも、彼女の老いを感じ取っていた。
彼女自身もおそらくそれに気がついているのだろうが、この国をあの、嘆きの女王蟻ブリンダビアに渡すわけにはいかないと考えている。
「いずれ、新たな女王蟻が生まれるだろう。だが、ブリンダビアはふさわしくない。寝返った兵士たちも気分次第で処刑すると聞くぞ」
「…………それだけは、確かだな。俺たちの使命は死ぬまでエラノラ女王をお守りすることだ」
――――嘆きの女王蟻ブリンダビア。
彼女がこの世に生を受けたとき、その誰もがエラノラの統治がそう長くはないと悟った。
それが我々一族の古くから伝わる継承で、民も、去り行く先代の女王もそれを受け入れ、新たな女王の誕生を祝う。
そして、新しい女王蟻が子供を産める年頃まで来ると、歴代の女王蟻たちは彼女の騎士たちに見守られながら、その役目を終えて余生を過ごし永遠の眠りにつく。
だが、ブリンダビアは大人になるにつれて、その残虐な性格が周囲の騎士や民を苦しめるようになる。
燃えるような紅い髪にドレスを引きずり、少しでも気に入らない事があれば、侍女や騎士の首を撥ねた。そして、お気に入りの美しい息子を招き入れては子供を宿し、自分に忠実な彼女の民と騎士を産んだ。
新たな女王蟻は、先代の子供たちを変わりなく受け入れ、国を繁栄させていくことで平和を維持していた。だが、ブリンダビアはその伝統を無視し、エラノラの子供たちを処刑し、すべて自分の子供たちで国を支配しようとしていた。
『エラノラの民も騎士も役立たずばかりよ。わたくしの子供たちの養分になるくらいしか、使い道がないわ。そうね、美しい男だけは相手にほしいわ』
嘆きの女王蟻ブリンダビアは、その残虐性からエラノラの民に恐れられるようになった。知恵の女王エラノラは我が子を救うために、残された時間で強い騎士を産もうとしている。
ルーは、その光景に胸が痛んだ。冷血なブリンダビアは彼女の退陣だけでなく、彼女の首を望んで兵をあげている。
この城がいつか彼女によって攻め落とされるのも時間の問題だった。
✤✤✤
「ジャーニ」
ルーは手の中に光る指輪を眺める。
普段誰にも見せたことがない一筋の涙が頬を伝った。子供の頃からともに学び、戦った親友のジャーニが先に逝ってしまったのだ。ルーはお守りがわりに持っていた遺品となった琥珀の指輪を握りしめる。
命からがら彼の形見を持ち帰ってきたが、自分も片目を負傷し視力を失ってここに運ばれてきた。寝床に横になりながら、ルーは唇を噛みしめる。
「このまま、死ぬわけにはいかない。だが、どうすればいい。もう我々の兵力は半分だ……このまま負けてたまるか! ジャーニ、そして兄弟たちの仇を……!」
ふと、ルーの頭に乳母ロモスの顔が浮かぶ。彼らの育ての親でもあり、教育係でもある彼女は国の掟を、子供たちに教える役目を持っていた。
女王への揺るぎなき忠誠。
その命が尽きるまで騎士として戦い続けること。そして禁足地に足を踏み入れてはならないという言い伝えがあること。
その中で特にルーが気になったのは言い伝えのある禁足地のことで、彼女に問いかけてみた。
『ねぇ、ロモス。なぜあの森の奥に入ってはいけないの』
『ルー、禁足地の奥にあるアカシアの木には恐ろしい精霊がいるのさ。そいつはとても醜く、おそろしい存在なんだよ。悪い精霊に捕まり、蜜を口にしたら最後、化け物に変わってしまうんだよ。だから絶対に行ってはならないのさ』
ロモスはルーを怖がらせるように指を動かした。大人になれば、彼女の脅しも子供たちを危険な場所に行かせないための嘘だと、自分の中で結論づけていた。
しかし、もし本当にアカシアの木におそろしい精霊がいて、その存在が持つという蜜に化け物に変わるほどの強い力が宿っているのだとしたら、最期にエラノラ女王のために使いたい――――。
それがおとぎ話だったとしても、何もしないで死を待つより、試してみる価値はあるのではないかとルーは思った。
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