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二話 アカシアの精霊
禁足地は戦場よりはるか南下した場所にある。面白半分に、侵入する者を警戒してか詳しい場所については、子供たちに教えられることは無かった。
だが、重症を負った騎士を治療するのに忙しい治療師たちの目を盗み、ルーは『賢者の書庫』に忍びこむと禁足地に関する書物を読み漁った。
悪しきアカシアの精霊が住むのは南西に位置し、その道は棘で塞がれているのだという。精霊も外敵から身を守っているのだろうか。
「棘か、厄介だな。それにしても強い力を持つ悪しき精霊も外敵を防ごうとしているとは、おもしろいものだ」
ルーは誰にも気づかれないように、地図が書かれたページを破りとると、愛馬の元へと急いだ。自分がいなくなったことで、戦場から逃げ出した卑怯者と思われるかもしれない。
しかし、彼が騎士としてエラノラ女王への忠誠と兄弟たちを守るためには、ブリンダビアの兵士たちを打ち破るような力が必要なのだ。
「北は草木が多い茂っているが、南の方はそうでもないのか。しかし、いったい禁足地まで何日かかるか……見当もつかないな」
その間に、騎士団が全滅しエラノラ女王が処刑されてしまっていたら……そう思うだけで陰鬱とする。
余計なことを考えるのはやめ、ルーは南西の禁足地へと向かった。騎士といえど、一人で行動することは危険が伴う。
敵対する部族に見つからないように、偵察し彼らが狩り場から去った後を狙って進んでいく。彼らは自分たちよりも体が大きく、そして野蛮なのだ。見つかれば八つ裂きにされてしまうだろう。
ルーは、三日三晩愛馬を走らせ、ようやく棘に覆われた道を見つけ出すことができた。
「ここが………禁足地か。いよいよ覚悟を決めなければならないな」
ルーは剣を手にすると、息を呑んで外敵から身を護るように突き出た棘を斬っていく。ブリンダビアの騎士や、外敵と戦う時には感じなかった独特な感情だ。
未知なる敵に対する興奮と、醜く恐ろしい悪しき精霊に対する畏怖を感じていた。もし問答無用で悪しき精霊が襲いかかってきたら、精霊を倒して蜜を奪うしかない。
「くそっ! いまいましい棘め。いったいどこまで続くんだ」
ルーは焦りから苛立ちを抑えきれず、舌打ちした。大きく一振りした瞬間に視界がひらけ、鳥たちの飛び立つ音があたりに響き渡る。
そこには、まだ黄色の華をぽつぽつと咲かせた、細く若い木が天に向かって生えていた。そしてそこには、アカシアの木を見つめる陽炎のような人影がぼんやりと立っていた。
――――あれが、アカシアの悪しき精霊か。
剣を握る手に力が入る。
人影はどうやら一つ、精霊というのは単体なのか、注意深く周囲を確認しながら忍びよっていく。突然攻撃されることも考え、ルーは姿勢を低くし構えながら前に進む。
地面を踏みしめた瞬間、パキリと枝が折れる乾いた音がして息を飲んだ。
(しまった! 気づかれたか)
汗が額を伝い、前方から目を離せずにいるとゆっくりと人影がふりかえった。
『だれ?』
心地よい女の声が頭の中に響いた。
✤✤✤
アカシアの花と同じ色をした、ぼんぼんのような癖毛を、尻まで伸ばした全裸の若い娘が、警戒心も見せずにルーを見つめている。
彼女が振り返った瞬間から、ルーの鼓動は落ち着きがなく、視界が揺れるような感覚がした。
国では、女王蟻以外の女が異性に肌を見せるということは禁忌だ。何故なら、すべての騎士は女王のためだけに存在している。
異性と接する機会は限られていて、幼児期に彼女たちから教育を受け、食事をもらう。すべての騎士には、母親代わりの乳母がいて彼女たちくらいだろうか。
大人になれば、狩りや兵士として行動を共にする以外では接点を持つことはない。
なぜなら、女王以外の異性に魅力を感じ、恋仲にでもなってしまえば、裏切り者として男女とも罰せられるほど厳しい掟があるからだ。
だから、目の前にいる不思議そうにしてこちらを見つめる弱々しい少女は、ルーにすれば異質な存在でいたたまれなくなってしまった。
若い女が、こんな格好で外にうろつけば、野蛮な奴らに捕まり何をされるかわかったものではない。
「お前が………アカシアの精霊なのか?」
『あなたは、もしかしてわたしの『はじまりの騎士様』?』
全く話が噛み合わず、ルーは溜息をつく。相手に敵意がないことを確認すると、自分のマントで彼女の体を覆った。この娘が、精霊かどうかはわからないが、話を聞くにしても裸のままでいられては目のやり場に困ってしまう。
ルーが視線をそらすと、ミアはマントに触れながら首を傾げた。
『………これはなに?』
「マントだよ。普段服を身に着けていないのか? ともかくこれで隠してくれ。目のやり場に――――」
この時、初めてルーは間近で彼女の顔を凝視した。神秘的な碧色の瞳がルーと視線を合わせると、目が離せず引き込まれてしまいそうになる。
全身の毛が逆立つような、ぞくぞくとする感覚が体中を駆け巡った。恐怖やおぞましさのためではない。彼女が放つ、甘い花の薫りに惑わされているのならば、一刻も早く目を覚まさなければいけない、そう思うのにルーはまったく正反対の行動を取った。
「名前……、貴女の名前を教えてくれ」
『わたしの名前はミア』
無意識にルーは彼女を引き寄せ口づける。
ミアの両腕がそれを受け入れるようにルーの首元に巻きつけられると、彼女の唾液が喉を通った。
飲み込むと、まるで世界の色彩が変わるように視界が広がり、五感が研ぎ澄まされ全身が熱くなる感覚がして呻いた。
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