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「それじゃ、その梅ランクを、呼んでください。」
マリコは、正座の足の痺れを我慢しながら、意を決したように静かに言った。
「分かりました。梅ランクですな。最初に説明したように、代金は、10万円になりますが、それで宜しいな。そうそう、現金のみですぞ。」
「ええ、それで、運命が好転するなら。」
「うむ。」
マリコは、1週間前に、友人と奈良に遊びに来て、偶然に、このお寺に観光に来た。
重要文化財の観音像を目当てにくる観光客を相手にしている、ガイドブックにも載っている有名なお寺である。
マリコと友人も、ちょうど桜の季節ということもあって、いくつかのお寺をまわるコースの1つとして訪れたのであった。
観光も終わって、ランチにでも行こうかと思っていたところに、お寺の勝手口のようなところに、1枚のコピーが貼り付けられているのを見つけた。
そのコピーには、「守護霊、お授けします。」と書いてある。
気にはなったが、友人と一緒だったので、そのままランチに行ったのだけれど、どうも気になるのである。
家に帰って、ネットで、そのお寺の守護霊を授けるサービスというものを検索してみると、お寺のホームページに、口コミが書かれている。
「びっくり。守護霊を授けて貰ったその日に、イケメンの彼氏が出来ました。」
「宝くじ1等当選しました。夢のようです。」
「多額の借金も返すことが出来て、今は、妻と広いマイホームも手に入れました。」
いやいやいや、これって、ただのサクラじゃん。
自分のホームページに悪口書く人もいないし、お寺の人が書いたヤラセでしょ。
とは思ったが、どうも気になるのである。
学生の時も、就職してからも、これといって何かをやり遂げたということもないし、ただ、毎日、ダラダラと仕事に行っているだけだ。
しかも、仕事に行っても、何かにつけて文句をつける先輩や、フォローも無い上司のことを考えると、日々が憂鬱になってしまう。
そんなマリコは、仕事の帰りに本屋に寄って、自己啓発や、運気を変えるスピリチュアル系の本などを立ち読みするのが、趣味と言うか、日課になっている。
でも、そんなことを続けても、自分が変わると言う自信も確信も持てはしない。
立ち読みしている周りを見ると、いつも同じような人に出会う。
ああ、みんな変わりたいんだなあと思うと、少しだけホッとする自分がいる。
あたしだけが、焦っている訳じゃない。
そんな日々にうんざりしていた時の守護霊授けますというコピーの貼り紙だ。
10万円なら、何とかなりそうだ。
それで、運命が改善するなら、安いものだろう
そういうマリコの心の流れから、今日の守護霊のお寺に繋がったのだ。
お寺の本堂の横の部屋に通されたマリコは、和尚さまの説明を聞いている。
和尚様は、60才位の優しそうな表情の男性で、初めて見た時は、相談に来てよかったと思ったのだけれど、ただ、妙に甲高い声でしゃべるのが、どうも信用できない気持ちも、マリコは感じていた。
「えー、梅コースなら、10万円。これは、かなりお得な設定でな。まあ、やって損はないと思いますな。それから、竹コースは、100万円。松コースは、これは最上級のコースで、1000万円となっております。それで、ご依頼主は、梅コースということですな。良い、良い、実に、良いな。」
そう言って、和尚は、にこやかに手をすり合わせた。
ということで、マリコは、和尚様の前に、足の痺れを我慢しながら座っているという次第なのである。
「それでは、早速、ご依頼主、マリコさんだったね、そう、マリコさんにご縁のある守護霊を呼んでみましょう。」
和尚様は、額の前で数珠を持ち上げて、何やら念じているようにも見える。
「もしもし、守護霊、守護霊さんよー、世界のうちで、お前ほど、マリコを助けるものはない、どうしてそんなに守護霊さーん。」
節をつけて歌いだした。
「あ、あの、すいません。ご祈祷中。それって、もしかして、もしもし亀よ、亀さんよという童謡の替え歌じゃありませんか。」
「あー、もうー、祈祷中に気が散るやないか。そうだけど。それが。」
「いや、そんな歌で守護霊が呼べるんですか。」
「まあ、プロに任せておきなさい。」
「守護霊さん、いらっしゃーい。」
こんどは、和尚様は、手を頭にすべらせて、うれしそうに叫んだ。
「す、すいません。それって、テレビ番組の新婚さんいらっしゃいのマネですよね。あの、あたしのことを馬鹿にしてませんか。もっと、真剣にやってください。」
マリコは、イライラしながら言った。
「あー、これだから、素人はなあ。ダメなんやなあ。守護霊ちゅうのはね、ものすごい高い波動を持っているのよ。だから、普通に呼んでも来てくれないのよ。そこを、敢えてハイテンションになることで、守護霊の波動に共鳴させて呼び寄せるっちゅう訳ですわ。だからね、プロに任せ、、、あっ、あっ、ちょっと待って、今、守護霊が、まさに降りてこられたぞ。」
「きゃ。本当ですか。どこにいるんですか。」
「うん。もうマリコさんの肩のところまで来ているよ。一応、3体の守護霊が、お越しになっておられる。さあて、どの守護霊についてもらおうかのう。」
「3体って、どんな守護霊なんですか。」
「うむ。1体は、なかなかの美人じゃのう。色白で片エクボが可愛い守護霊じゃ。おっ、わしにウインクしたぞ。ううん、この守護霊、わしが欲しいのう。いや、まあ、それは置いておいて、もう1体は、なかなかのイケメン守護霊じゃ。それで、最後の1体は、顔の脂ギラギラさせて、何か臭そうな匂いを出してる中年の守護霊やな。」
「うわあ。その顔の脂ギラギラは、結構です。」
「そうかなあ。わしとしては、脂ギラギラが、おすすめじゃがのう。何せ、脂ギラギラやろ。それで、目もランランとさせとるわ。マリコさんの為に、やったるでー、みたいなこと言うてるで。マリコさんの為に、何でもやったるでー、やった、やったるでー。ちゅうてるから、かなりの結果、期待できるんちゃうかな。あ、2回目に、やった、やったるでーって、セリフ噛んだんは、わしちゃうで、この脂ギラギラや。一応、守護霊が言ったとおりにわしも言ったまでや。守護霊が嚙みよったんやで。」
「そんなセリフ噛むような脂ギラギラは、結構です。そうだ、イケメンの守護霊がいいわ。」
「そうかなあ。セリフ噛む守護霊って、なかなか、お茶目やないかい。楽しそうやぞ。でも、そうか、イケメンがいいか。そりゃそうやな。それで、マリコさんは、守護霊をつけて、どうなりたいんや。」
「うーん。自分自身が変わりたいというか、、、。ううん、違う。今まで、何も良いことなかったし、ラッキーなことが起きて欲しい。」
「ラッキーな事。それは、素直な願いやな。」
「そう。とりあえず、寂しいから、彼氏欲しいかな。」
「彼氏か。それなら、この美人の守護霊やな。」
「ええーっ。あたし、イケメンの守護霊がいいなー。」
「彼氏が欲しいんやろ。それは、我慢しいな。ええか。守護霊も、言っても男や。マリコさんの前に、生きてる人間のイケメンが現れたとする、そしたら、守護霊が、生きてる男に嫉妬するんやな。守護霊といっても所詮は男や。男の嫉妬は怖いでえ。そやから、美人にしなさいっちゅうねん。そしたら、守護霊も、生きてる人間のイケメンに会いたいから、霊界の方のパワーで、出会いを助けてくれるっちゅう仕組みや。」
「仕方がないわ。あたし生きてる彼氏が欲しいから、じゃ、その美人の守護霊でお願いします。」
「美人の守護霊やな。よし、分かった。」
和尚は、何やら呪文のようなものを唱えたかと思ったら、「エイ!」と奇声を発してマリコの背中を叩いた。
「はい。守護霊を授けましたよ。これで、バッチリ彼氏ができますよ。」
「ありがとうございます。」
お寺を出たら、マリコは、腕をクロスさせて、自分を抱きしめるように腕組みをして、背中の守護霊に呟いた。
「守護霊さま、よろしくね。」
少しだけ、背中が、重くなった気がした。
さあて、宝くじでも買ってみますか。
「1等賞、お願いしますね、守護霊さま。」
そう言った後に、プッと吹き出して、「そうだ。宝くじの守護霊じゃなくて、彼氏の出来る守護霊だったわよね。失礼しました、守護霊さま。」
マリコは、いつもひとりっぼっちだと感じていたのだけれど、今は、誰かと一緒にいるという安心感を覚えていた。
誰かと一緒に、これからの人生を歩むことが出来る。
もう寂しくなんかない
そんなことがあって、1週間、マリコは、これといったこともなく、日々を過ごしていた。
「まだですかあ。守護霊さまー。彼氏は、まだですかあ。っていうか、守護霊の力ばかり信じちゃいけないのかな。自分で行動しなきゃなのかもね。」
気晴らしにと繁華街に出かけてみることにした。
久しぶりの繁華街に、マリコは、今まで塞ぎ込みがちだった自分が、少しばかり前向きになっているのに気が付いた。
そうだ。お茶でも飲んで帰るかと思った時に、後から声が聞こえた。
「あのう。突然こんなことを言うと、びっくりされるかもしれませが、あれ、どうしたんだろうう。ごめんなさい。あなたを見たら、急に声を掛けなきゃと思ってしまったんです。ほんと、変ですよね。でも、何故か、あなたに惹かれるんです。良かったら、お茶にでも付き合ってくれませんか。」
よーし、来たーっ。
マリコは、小さなガッツポーズをした。
見れば、なかなかのイケメンじゃない。
サラリーマンなのかな、今どき、白いカッターシャツにレジメンタルのネクタイなんて、ひょっとして銀行員?
どっちにしても、カッコイイから、お誘いに乗っちゃおうかな。
「大丈夫ですよ。ちょっと、びっくりしたけど。お茶だけだったら。」
そう返して、ふたりは近くの喫茶店に入った。
「どうしてだろう。昔から、あなたを知っているような。」
「いつも、そうやって、女性に声かけているんですか。」
マリコは、そう言ってはみたが、嬉しくて、それが顔に出ていたかもしれない。
その後、ふたりは、趣味の映画の話などで盛り上がって、また明日、会う事にして別れた。
これって、やっぱり守護霊のお陰なのかなあ。
そうだとしたら、10万円は、損じゃなかったわね。
「ありがとう。守護霊さま。」
それにしても、守護霊さまにお礼をしなくても良いのかしら。
霊って言うぐらいだから、お線香でも上げた方が良いのかな。
帰り道、お線香とローソクを買って帰った。
部屋に戻って、マリコは、小さなお皿にローソクを立てて、線香に火をつけた。
どうしたらいいかな。
一応、部屋の電気は消してみるか。
線香は、両手に持って、あ、オタクのペンライトみたいだね。
しばらく考えて、マリコは歌いだした。
「もしもし、守護霊、守護霊さん。今日は、彼氏をありがとう。これからもっと、末永くお付き合いができるよねー。」
なるほど、もしもし亀よの歌は、和尚さんが歌ったように、替え歌にしやすいわね。
っていうか、あたし何をしてるんだろう。
暗い部屋のスイッチの入っていないテレビの画面に、ローソクの光に照らされたマリコの顔が写っている。
「うわあ。」と声を上げて驚いた。
ちょっと、怖かったね。
それから、ふたりは、順調に交際を進めていった。
仕事帰りに、待ち合わせをした公園で、彼氏のタクミは、マリコを見つめて言った。
「これから、結婚を前提にして付き合ってくれませんか。」
マリコは、心臓の鼓動が耳まで聞こえてきそうになった。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」
タクミは、ホッとした表情で、マリコを抱きしめて言った。
「ありがとう。トメ。」
マリコは、ギョッとした。
「トメ?今、トメって言わなかった?」
「えっ。本当?気が付かなった。そんなこと言ったかな。トメ?って、そんな人知らないよ。僕は、マリコに言ったんだよ。」
「ううん。違うのよ。あなた、今初めて、あたしのこと、トメって言ったって思うかもしれないけれど、今まで、何度も言ってるのよ。あたしのこと、トメって、何度も言ってるよ。変だと思ったけど言いだせなかったのよ。大丈夫?っていうか、その『トメ』って誰?」
「トメ、、、知らないよ。そんなこと言ってるかな。」
それを聞いて、マリコには、思い当たる節があった。
守護霊だ。
和尚様に、美人の守護霊だと聞かされて、何となく今風の美人を想像してたけど、守護霊なんだから、ご先祖様なんだよね。昔の人で、トメっていう名前であっても不思議じゃないよね。ひょっとして、トメっていうのは、あたしの守護霊であって、タクミは、そのトメに惹かれているっていうことじゃないのかな。
マリコは、その推測を確かめたくて、無理やり、タクミを和尚様のところに連れて行った。
「なるほど。なるほど。さもありなん。さもありなん。いやあ、面白いこともあるもんじゃの。マリコさん。あんたの推測通りじゃ。でも、タクミ君が、トメを愛してる訳じゃない。うん。タクミ君にはな、イケメンの守護霊が付いておられる。そして、これが不思議な縁ちゅうもんだろうか、タクミ君のイケメン守護霊と、マリコさんの美人守護霊は、むかしむかし、恋人同士じゃったんだな。」
「やっぱり、そうですか。」
「おお、タクミ君の守護霊と、マリコさんの守護霊は、お互いに巡り合うことが出来て、喜んでおられるようだぞ。二人で、抱き合って、そのチュッチュ、チュッチュしとるわ。おお、チュッチュ、チュッチュやぞ。何や羨ましいのう。ほらまた、チュッチュしとる。」
「和尚さん。そのチュッチュ、チュッチュは、もう結構です。」
マリコは、和尚様の下品さについて行けずに、チュッチュを制した。
「それで、どうしたら良いのでしょうか。」
タクミは、不安そうに聞いた。
「まあ、そのままで、ええんちゃうかな。どうせ、タクミ君と、マリアさんも付き合っておるんじゃろ。みんな仲よくすれば、万事めでたし目出度しじゃないか。」
すると、マリコは、しばらく考えた末に言った。
「それは嫌なんです。だって、あたしたちは、この世に生きてるんです。守護霊の為に、あたしと匠さんが付き合うのは変じゃないですか。この世の主人公は、あたしたちなんです。和尚様、あたしとタクミ君から、守護霊を除いてください。
「そうか、それは残念やな。そう言われれば、ふたりの守護霊は、あんたらの背中の上で、チュッチュ、チュッチュしとるだけやからのう。あんたらの役に立つことはしないやろうな。ほら、夢中で、チュッチュ、チュッチュしとるで。なんや、羨ましいなあ。マリコさん、あんた、わしとチュッチュしてくれへんか。」
「だから、そのチュッチュは、もういいです。それに、和尚さんとだなんて、気持ち悪いです。」
「そうかあ。まあ仕方ないのう。それじゃ、ふたりの背中から守護霊を外しちゃうで。」
和尚様は、呪文を唱えたかと思ったら、ふたりの背中をポンと叩いた。
「これでもう、守護霊は、霊界に戻られた。」
マリコとタクミは、顔を見合わせて頷く。
お寺からの帰り道、タクミとマリコは、なんとも変な気持ちになっていた。
ふたりを結び付けたのは、守護霊だったのだろうか。
もし、そうなら、守護霊が、去っていかれたのだから、もうタクミとマリコが付き合う必要がなくなったのだろうか。
いや、たとえ結びつけたのが守護霊であっても、付き合ってきた時間は事実だ。
ふたりの愛を、今更、否定する必要もないはずだ。
「なんか、背中軽くなった気がしない?」
タクミが言った。
「そうそう、何か、肩の荷が下りたような。」
マリコは、どうしても、タクミに確かめたいことがあった。
「ねえ、今までの、あたしたちの関係、守護霊のせいだと思う?守護霊がいたから、出会って、守護霊がいたから、愛した。」
「どうだろう。出会ったのは、守護霊のせいかもしれないね。でも、マリコを愛してる気持ちは、僕自身の気持ちだ。マリコ、君を愛してる。」
そう言って、タクミは、マリコを抱きしめた。
「ほんとだ。今度は、トメって言わなかったね。」
「あはは。だって、愛しているのはマリコだもん。本当に、トメって言ったのかな。」
「だから、言ったのよって。でも、あたし嬉しい。」
自然に、ふたりは、キッスを交わしていた。
チュッチュ、チュッチュ。チュッチュ、チュッチュ。
すると、マリコは、急におかしくなって噴き出した。
「あははは。ねえ、あたしたちのキッスって、まさか、守護霊に影響されてるんじゃないわよね。」
「そういえば、そうだ。でも、もう、どっちでもいいや。愛してるのはマリコだし。キッスをしたいのはマリコだから。」
ふたりは、この世で、守護霊に頼らずに、愛し合っていくことを誓ったのである。
自分の気持ちだけで、愛する人と一緒にいられるということが、晴れやかだった。
「ちょっと待って。」
帰り道、急にタクミが走り出す。
そして息を切らせて帰ってきたタクミに、マリコが聞いた。
「どうしたの。」
「うん、宝くじを買ったんだ。」
「どうして。」
するとタクミは、ちょっと悪い笑みを浮かべてマリコに言った。
「実はね、さっきお寺で、マリコがトイレに立った時に、和尚さんに、金持ちになる守護霊を呼んで授けてもらったんだ。だから。」
タクミは、宝くじを、うれしそうにマリコに見せた。
「あー、自分だけ、ずるい。」
「じゃ、あたしも、今度、すんごい守護霊授けてもらおうっと。」
「すんごい守護霊って、、、何?」
「うーん。何か知らないけど、すんごいラッキーなことが起きる守護霊なのっ。」
「あはは。君は面白いね。でも、もう彼氏ができる守護霊は、ダメだよ。」
「うん。それはやめといてあげる。」
ふたりは、また抱き合って、キッスを交わしていた。
チュッチュ、チュッチュ、、、、、。
暗い路地で抱き合ってキッスをするタクミの背中に、金持ちにしてくれる守護霊が、ぼんやりと浮き上がって見える。
顔の脂ギラギラの中年男で、目をランランとさせながら、黄色くなったヨレヨレのシャツを着て、臭いにおいを発しながら、ヨダレを垂らし、イヤラシイ笑みを浮かべ、マリコに向かって、唇をチューの形にして突き出していた。
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