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春の日にどこかへ行ったセーラー服の女の子
わたしは人々を乗せて運ぶことが仕事の電車です。
体の調子が悪いときやおかしなところがないか調べるとき以外は、長々続くメタリックな車両を引きつつ色々な場所を走り続けています。
目的の場所まで人々を連れてゆくことがわたしの役目。それぞれが行くべき場所へ移動するために、たくさんの人々がわたしに乗りどこかへと向かいます。
でも中にはわたしに乗ることを拒む人もいるのです。
電車が来るのを駅のホームで待っていたはずなのに、彼ら彼女らはわたしに乗ることを選びませんでした。
行き先のなかった彼ら彼女らのうち、ある少女の思い出話をしましょう。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
その少女は身を縮めるようにして白線の内側に立ち、ホームの人混みの中に紛れわたしを待っていました。
スカートまで黒で統一され襟に入った白い一本線が印象に残るセーラー服を着て、胸元を薄紅色の花を模したコサージュで飾っていたので卒業式だったのでしょうね。
手に下げた紙袋の中には、卒業証書を入れるときに使われる丸筒が入っていましたから。
当日の天気は快晴の青空で春が近づき気温も温かく、きゅうくつな制服から解放される人にとって普通であれば心躍る日のはず。
ですが、少女の瞳も表情も暗くうつろで、新しい旅立ちを迎えた晴れやかさは全くありませんでした。
わたしを待つ人々の中でこういった様子を見せる人は、たいていの場合わたしに乗らない道を選ぶのです。
『ああ…この子もだ…』
駅へと入るために線路を走りながら、わたしは少女がこれから行うだろうことへの心の準備をしました。
わたしが駅のホームに近づくにつれ、うつむき気味だった少女の顔が上がり瞳にも意思が宿っていきます。
顔を上げた少女は大人しい雰囲気ではありますが、目がパッチリとした可愛い顔立ちの子でした。
まだ若く美しさの盛りも迎えていないというのに、なぜ彼女もわたしに乗らない道を選ぶのでしょうか?
白い頬にはられた大きな絆創膏、そこの下に隠されたものが少女に道を決めさせたのかもしれません。
わたしが駅のホームに入ったあたりで少女は人混みを分け入り、わたしの前に飛び込みました。
人が前にいるからといって、すぐにわたしは止まることができずー。
小柄で華奢な体をしていた少女に、頑丈な素材で作られたわたしがぶつかればどうなるのか。
語らなくても想像がつくでしょう。
電車を拒む人が辿るのは、ほとんどが惨い姿となる末路です。少女の体も頭や手足が胴体から離れて飛散していきました。
肉体からぬけ出た少女の本体は、線路の上に立ち静かな眼差しを地面に転がる自分の頭部に向けていました。
肩まであった黒髪が血に濡れてベトリと顔にはりつき、最期の瞬間に少女が浮かべただろう苦悶の表情を隠します。
わたしに身を投げ命を落とした人の中で魂となった姿が死体とは違い、傷一つない人は亡骸となった自分を見ても取り乱したりしません。
少女の魂も損なわれているところはなく、きちんとスカートを行儀よく着こなした真面目な女子学生といった姿でした。
わたしに自ら望んで轢かれた人の多くは血塗れの肉塊となった自分の姿を、魂も同じ姿になって嘆き悲しみながら見つめています。
死を選んでも、どこかでは自分の人生に未練があったのでしょう。
死後の姿がキレイなままの人は現世への強い諦めと、自分で己の生を終わらせる覚悟があるのだと思います。
人が電車に撥ねられた光景に駅のホームにいる人々は、ザワザワと騒がしいです。
周囲の様子を気にすることなく、死んだ当の本人はしばらく自分を見つめていました。
地面を向いていた視線をわたしに移すとわたしの元へと近づき、今度は彼女の赤い血がついた車体を見つめます。
『…最後汚しちゃった』
『―仕方ありませんよ。わたしとぶつかったんですから』
少女の呟きに答えるように、わたしは言葉をかけました。
驚いたのか少女は目を少し見開きましたが、電車がしゃべった事実をすぐに受け入れられたようで表情に戸惑いはありません。
自殺直後でも冷静さを失わない人なので、奇妙なことも抵抗なく理解できるのでしょう。
わたしは死後も整然と姿が変わらない人にはよく話かけますが、みんな多少はびっくりしても少女のようにすんなりと受け入れていました。
『そうよね。わたし電車に飛び込んでグチャグチャになったから、周りを汚さないのは無理よね』
彼女は眉あたりで切り揃えた前髪を指先で梳きつつ、苦い笑みを薄く口元に浮かべます。
前髪に触れていた指を止めて額に手をあてると、少女の頭はうつむき気味になりました。
『ごめんなさい。あなたの体を汚してしまって。他の人にもいっぱい迷惑かけてしまってるよね』
少女の口元は笑みを残したままですが、その笑みには苦みではなく哀しみがにじんでいます。
わたしは死者に尋ねるとき、いつも問うことを彼女にもしてみました。
『なぜわたしに乗らなかったのですか?』
電車は移動するためのもの、どこか目的の場所まで行くためのもの。
あなたも電車を待っていました。なのに、どうして乗らないことを選んだのですか。
つらい最期を迎えることを望んだのですか?
顔を上げて少女はわたしの問いに、ハッキリとした口調で答えます。
『わたしがわたしをもう否定したくなかったから』
―人からすると大した理由ではないんだけどね、自分なりに一生懸命努力した結果を家の人に思いっきり否定されちゃってね…―
―昔からわたしのすることは意味がないって言われてばかりで、頑張った成果もそう言われて…。何だか心が壊れちゃったー
―努力が足らない。だからそんな結果しか出せないんだって何度も言われて、わたしの頑張りはムダなんだ、いくら努力しても得られるものは大したものではないんだってー
―自分でも自分のすることを否定しかできなくなって、あんなに苦労して手にした結果を喜べなくなった。今日が高校生活の終了する日だったんだけど、前日にもまた家の人に否定の言葉を向けられながら叩かれて嫌になったのー
―他人にわたしに自分を否定されることー
―式の後に親を待たずに一人で学校を出て、もう家に帰りたくないって考えた。自分を毎日否定することから解放されたいと願ったー
『それであなたの前に、ふと飛び込んでしまったの。ごめんなさい。わたし地獄に落ちるわね』
『でもわたしあのまま生きても自分を否定するだけに縛られて、自分を呪って自然に死んでもきっと魂が汚れて地獄に落ちていたわ』
わたしは彼女の話をきいて、「後悔していますか?」と問いました。
これも死者にきく決まり文句の一つです。
少女は首を振り、「後悔はない」と返しました。
『わたしを否定するのは肉体の脳で、魂の脳は自分を否定しない。家の人の言葉を耳にすることはもうないから。バカな死に方かもしれないけど、わたし後悔はしていない』
『同じ悩みを抱えていても乗り越えて生きていける人は多いと思う。わたしはその気力も強さももうなかったの。生きてもずっと他人の言葉に引きずられて自分の頑張りも卑下して、わたしを罵り続けるだけー』
『事故の後片付けをするから、わたし邪魔になるね。そろそろ行くわ。しつこいかもしれないけど、迷惑をかけてごめんなさい』
散らばった少女の体の部位や肉片を回収するために、線路に人が下りて集まり準備をはじめています。
『どこへ行くのですか?行き先は分かるのですか?』
線路の上を歩いて去りつつある少女に向け声をかけると、晴れやかな笑顔をして彼女は振り返りました。
『行き先は地獄しかないでしょ。その前に思い出の場所、知らない場所を色々行ってみるの。どう地獄に向かうか分からないけど、見れるうちにこの世を見納めしておくつもり』
『そうですが、お気をつけて』
わたしは現世の生を捨て旅立つ少女に、労いの言葉をかけました。
少女は目を閉じてわたしに深く頭を下げました。
地面を染める自分の血だまりを、彼女の履く革靴が踏みます。白いソックスに血が跳ね返ることはありません。
線路を囲む柵をよじ登り向こう側への道へと下りて、少女はノンビリした歩調で駅から離れていきます。
ーどうか少女が暗く寂しい地獄ではなく、明るい場所へ導かれますようにー
自ら命を絶った人間はその罪により成仏できないとされますが、生を手放すには相応の理由があるものです。
わたしに乗らなかった彼ら彼女らは、この世に行くべき場所がなかった人です。
彼ら彼女らが旅立つとき、必ずわたしは祈ります。魂が救われることを。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
少女についての話は大分昔の出来事です。
まだ彼女はこの世にいるのでしょうか。あの世へと渡ったのでしょうか。
乗らなかった人の行く末は、わたしにも分かりません。
ただわたしは電車として今日も明日も、目的の場所までと人々を乗せ走り続けます。
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