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月曜日に会社に行かずどこかへ行った中年男性
わたしは人々を乗せて運ぶことが仕事の電車です。
長々続くメタリックな車両を引きながら、日々色々な場所を走り続けています。
今日もまた会社・学校・その他の場所まで行く人々を乗せるために、わたしを待つ乗客がいる駅へと急いでいるところです。
今日の曜日は月曜日。お休み明けの月曜日の朝に走るときは、いつもよりわたしの緊張感が高まります。
なぜなのか月曜日の朝はわたしに乗らない人が出やすいのです。
乗らない人のタイプとして多いのが一日がはじまったばかりというのに、疲れ切って顔色の悪いスーツ姿の会社員です。
駅のホームでいまわたしの到着を待っている人々の中にも、そんな様子の会社員がたくさんいることでしょう。
だから月曜日の朝は気を引き締めなくてはいけません。
もうすぐ一雨きそうな曇り空が浮かぶ今日のような日は、人の心も曇りがちになるので何事も起こらなければ良いのですがー。
ある月曜日も憂鬱な気分になる曇り空で、そのときもスーツ姿の中年男性が一人だけわたしに乗りませんでした。
わたしに乗ることを選ばなかった彼ら彼女らのうち、月曜日にわたしに乗らなかった件の中年男性の思い出話をしましょう。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
薄くなった毛を短く丸めるようにした少しお腹が突き出た中背の中年男性は、グレーのスーツを身にまといいかにもこれから出社する体に見えました。
月曜日の朝は終わったお休みが恋しいのか、渋々家を出てきたといった感じの顔色の冴えない人が目立ちます。
その中でも中年男性の顔色は特に悪く、思考も心あらずと見えボンヤリとしていました。
実際に体もかなり疲れていたのでしょうね。
彼はホームに立ってではなくベンチに身を預けるように腰かけて、わたしを待っていましたから。
駅のホームに入る前に前方を確認していたわたしは中年男性の様子を見て、「この人は危ないかもしれない」と予感しました。
目の焦点が曖昧な中年男性は土気色の顔に表情を持たず、ベンチから立ち上がるとフラフラと歩き白線を越えて下へと落ちていきます。
彼が落ちたのはわたしが駅に到着する寸前。
中年男性は少し口を開け怯えもなく近づく電車を見つめたまま、その体を跳ね飛ばされました。
本人が騒がなかった代わりに、事故を目撃した周囲の人々の方が大声を出し騒がしかったです。
わたしに轢かれた中年男性の体は損傷しましたが、わたしとぶつかった人の中ではましな方でした。
頭と胴体は離れていませんし、顔もつぶれてはいません。手足の一部が多少ちぎれていましたが。
肉体から出た中年男性の本体は線路の上にしゃがみこみ、自分の脱け殻を観察するように見ています。
彼自身を見つめている魂の彼の方が、生きていたときより顔に表情があるように感じました。
『おれ死んじゃったみたいだなあ』
死後の姿が生前と変わらない中年男性も、自分の人生への未練がないのでしょう。
自分が死んだこと自体が他人事のようにきこえ、命を終える間際はもう己への思い入れが持てない状況だったのかもしれません。
『わたしが到着するときに落下したので、わたしも止まることができなかったのです。あなたを助けることができず申し訳ございません』
『おお電車に話しかけられた。不思議なものだ。今回はおれの自己責任なので、死んだことについては気にしないでください』
わたしが謝罪すると中年男性も申し訳なさそうに、何回もわたしに向かって頭を下げ自分の非を謝罪しました。
真面目で人当たりが良い性格の持ち主なのだろうことが分かります。
『会社はじめの月曜日になると、もう長いこと気分がおっくうになることが続きまして。ボウっとしているうちに何だかホームを出てしまったみたいですね』
『あなたにも周りの方々にもご迷惑をおかけして面目ないです』
中年男性は自分の丸い頭を撫でさすり、パニックになっているホームの人々を見て恐縮した様子でした。
『人生の最後にこんな大失敗をするとは思ってもみませんでした。でも…もう月曜日が来ることに悩まなくて良いんですね』
胸に左手を添えて両目をつぶると、彼は深く安堵してため息をつきました。
『なぜあなたはわたしに、電車に乗らなかったのですか』
お休みが明けて出社しなければならない週はじめの月曜日。その日が来ることへの無意識の恐怖。
中年男性がわたしに乗らなかった理由は、本当はきかずとも推測ができます。
『会社の中でおれはどうすれば良いか、立ち位置が分からなくなっていましてね。悩んで耐えて平日我慢して、休日で何とか立ち直る。も、また月曜から仕事に行く。その繰り返しで月曜日から逃げたくなりました』
『人ができていないせいで家庭を失ってから、会社の仕事に没頭して依存していたこともあったんですがね。それがいまでは会社が怖い場所なんておかしなもんです』
先ほどのように頭を撫でさすりながら、彼は乾いた笑いを寂しげに浮かべました。
『死にたいとかではなかったんです。会社に行かなくてはいけない月曜日から逃げたかったんです。そして…とうとう逃げました』
中年男性は線路に横たわる自分の死体を優しく見つめ、『とんでもない終わりになったけど、お疲れ様』と声をかけました。
わたしに乗ることを選ばない彼ら彼女らは、決していなくなることはないでしょう。
死を望んでわたしに乗らなかっただけではなく、何かから逃げるためにわたしを拒んだ人も多いのかもしれません。
『あなたは後悔がないのでしょうね』
わたしの問いかけに彼は考えこんで、軽い音を立て両手を叩き合わせます。
『一つありました。今日は部下の子と昼を一緒に行く約束してたんですよ。仕事でまだ成果出せてないことに悩んでて、本人頑張っているからうまい飯でもごちそうしてあげたくてね』
『でもごちそうできなくなりました。こっちから約束しておいたのに、守れないことだけが心残りかもしれません』
そうこうしているうちに駅員などが集まり、中年男性の遺体の収容がはじまりました。
『おっと、ここにいてはお邪魔ですね。それでは』
中年男性はわたしに一礼し、その場から去ろうとします。
『どこへ行くか決めているのですか?行き先は分かりますか?』
『妻子と住んでいた町を見て、それから無人になっている故郷の実家に行こうかと。その後のことは流れに任せるつもりです』
『ただ実家についたら昔遊んだ木の下で一眠りして休もうかと思います。理想としては意識も自我もなくなって、空気みたいにおれ自身が消えたいですね』
木の下での死者の眠り。時の経過とともに姿の輪郭が曖昧になり、大気にとけていく光景。
彼の望む終わり方は、もしかしたら叶うのかもしれません。
『それでは失礼します』
『お気をつけて』
わたしの言葉に再度一礼して、グレーのスーツを着た中年男性は歩き出しました。
線路に沿って移動するつもりのようで、レールから距離をとりつつ端の砂利道を行きます。
そして、ゆっくりゆっくり彼の背中は遠ざかっていきました。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢
今日わたしが入る駅のホームが見えてきます。
電車を待つ人々の顔は浮かない表情ばかりです。
月曜日にわたしを待っているときは、どうかあなたの目的である行く先のことを考えないでください。
そうすれば月曜日が怖くなくなるかもしれませんから。
もうすぐ到着です。
わたしは今日も安全に人々を目的の場所まで送り届けましょう。
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