2371人が本棚に入れています
本棚に追加
珍しく土曜日は仕事だという文也を、送り出す。
「行ってきます」と、私の頬ではなく、屈んでお腹に頬擦りをする。
それが朝の恒例となっていた。
姑と手分けをして掃除をし、冷麦でさらっとお昼をすませると──。
「瑞穂さん」
姑が居住まいを正すので、私も背筋を伸ばす。
「本当に、帰ってきてくれてありがとう」
「なんですか、改まって」
「文也も私も、あなたじゃなきゃダメなの。あの子ももう馬鹿なことはしないはずだから、これからも末永くよろしくね」
「そんな、こちらこそよろしくお願いします」
お互い他人行儀に頭を下げると、2人で笑い合う。
姑が自室に行ったので、私もソファの上でうとうとと微睡む。
しっかりと、下腹部に生命が宿っていることを感じながら。
最近、何度となくお腹を蹴られることがあり、その度に不思議な感覚になる。あぁ、私は本当にお母さんになるのだと。そしてこの子のためにも、この家での環境が不可欠になる。
いくら私が文也を許せなかったとしても、この子には父親が必要だ──。
電話が鳴っている。
寝起きの気怠い体を起こし、受話器を取った。
『谷口文也さんのお宅でしょうか?』
「はい」
堅苦しい声に、首を傾げる。
『実は、文也さんが事故に遭いまして』
「えっ、事故?」
『今すぐこちらに来て頂けますか?』
「夫の怪我は?大丈夫なんですか!?」
『それが…』と、なぜか電話の相手は言葉を濁す。
最初のコメントを投稿しよう!