29.逃亡(1)

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29.逃亡(1)

 カミルとルベンは、まだ言い争いをしている。  よくよく話を聞いてみると、ここにルベンがやって来たのはほんの偶然だったようだ。依頼の後、二度と顔を合わせることはないと思ってのに、ルベンはやって来た。  それは、依頼がきちんと遂行されているかの確認だった。といっても、ルベンが確認したかったからじゃない。暗殺組織が本当に私を攫ったかどうか、ご主人様が気になって仕方なかったのだ。  私はそんなにミシェルに疎まれていたのだろうか。いくら考えても思い当たらないのだけど。  ルベンはうっかりここに来てしまったため、ルナを押し付けられようとしている。それは、私がルナを親元へ帰せと言い張るから。  でも、ルベンが来なかったら、カミルたちはルナをどうするつもりだったのだろう?  その時、まさに私が聞きたかったことをルベンが尋ねた。 「私がここへ来なかったら、あの子どもをどうするつもりだったんだ?」 「荷物になるからここへ置いていく」  はああああ!?  私は思わずカミルを凝視してしまった。  ルナを、こんな小さな女の子を、こんな寒い中に置いていくですって!? 「絶対に許さない!」  私が声を荒らげると、二人が驚いてこちらを見た。  私の形相にルベンは狼狽え、カミルは面白いとでも言いたげに口角を上げる。 「ルナをここへ置いていくというなら、私だってここから動かないわ」 「へぇ、どうやって? 自由のきかない身で何ができる? いざとなったらお前を担いででも行くさ」 「……そう上手くいくかしら?」 「ふん、強がるな」  カミルは余裕の表情だ。それが悔しくてたまらない。でもそれを気取られたら私の負け。  私は覚悟を決め、悠然とカミルを見上げた。 「私は聖女よ。人ならざる力を持つ者」 「でも、ものを成長させるだけだろ? そんな平和な力で何ができるっていうんだ」 「成長させられるものはそこら中にあるわ。そうね、例えば外に立っている木なんてどうかしら?」 「木をどうする?」 「根を成長させ、その力でここを壊す、とか?」 「あはははは! 聖女様はなかなか面白いことを言う!」  カミルが腹を抱えて笑い出す。一方のルベンは、暗がりでもわかるほどに青ざめ、ブルブルと震えていた。  暗殺組織の頭と、貴族に仕える使用人とでは、肝の据わり方が違う。  木の根を成長させる。そんなことはやったことがない。できるのかさえわからない。できたとしても、建物を壊すことなんて──。 『レティシア』  その時、ふとエルの声が聞こえたような気がした。  私は咄嗟に出口の扉を見遣る。外は相変わらず風が強く、扉がガタガタと大きな音を立てていた。 「どうした?」  カミルの声にハッとする。  いけない、今はこちらの集中しないと。  私は小さく深呼吸した。一瞬弱気になってしまったけれど、空耳のように聞こえたエルの声に勇気をもらい、私はカミルと対峙する。 「そうね。信じられないのも無理はないわ。では、やってみせましょうか」  私はそう言って、意識を自分の中にある聖痕に集中させる。  私の聖痕は、臍のすぐ下にある。小さいけれど、ヘキサグラムの形をしていて、その中心に意識を集中させるのだ。  もしかしたらできないかもしれない。それでもやる。やらなければいけない場面なのだから。 「あ……あ……」  ルベンが弱々しい声をあげる。そして、ルナはますます私にくっつき、震えていた。  ごめんなさい、ルナ。少し我慢してね。  私は心の中でルナに話しかけつつ、意識の集中は止めない。  身体に熱がこもる。意識の全てが聖痕に集中し、周りのことが一切見えなくなる。 「おい……」 「頭! なんか、地面が……」  ミシッ、ミシッと微かな音がした。そこで、ほんの少し意識が戻ってくる。  もしかしたら、上手くいっているのかもしれない。木の根が成長し、ここまで侵入してきたのかも!
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