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48.レーヌの審判
リバレイ領に戻ってからは、私もエルも穏やかでありつつも忙しい日々を送っていた。
私は育てている小麦の状態を逐一チェックしたり、土を改良していったりと、相変わらず畑仕事に精を出している。
セントラルでは王太子妃になるべく振る舞っていたので、土を触ることなどなかった。むしろ許されなかったと思う。それを不満に思ったことはなかったけれど、今そうしろと言われたら、断固として拒否するだろう。
あれこれ考えながら作物を育てることは楽しい。土の状態もどんどんよくなっていて、こうして結果が出ることに喜びを感じている。
以前は煩わしいだけだった聖女の力も、今はとても感謝している。セントラルでは発揮できなかった力をここでは思い切り発揮することができ、しかもそれを喜んでもらえるのだから。
最北の地は、寒さは厳しいけれど人は温かく、私の全てを包み込み受け入れてくれた。
「レティシア様、今日は早めに切り上げてもよろしいでしょうか」
ユーゴが作業していた手を止め、ゆっくりと腰を伸ばしながら立ち上がる。
私は薄い雲が広がる空を見上げ、頷いた。
「そうね。そろそろ明日の準備に入った方がよさそう。ユーゴも家と自分の畑の対策をしなきゃいけないだろうし、もう切り上げましょう」
「はい」
「それでは、畑を嵐から守れるよう保護しましょう」
ファビアンの呼びかけに、私たちは畑の対策を十分に施してから外に出る。
雲は徐々に厚くなっていく。天気が荒れるのは明日の早朝からのようだけれど、この分だと夜から少しずつ影響が出そうだ。
「ユーゴ、急いで家に戻った方がいいわ。今日もありがとう」
「いえ。それでは、私はこれで失礼いたします」
「今日明日は、いつも以上に暖かくして過ごしてね」
「はい」
ユーゴは笑顔で頭を下げると、小走りで帰っていく。
「ファビアン、あなたもよ」
「かしこまりました。エルキュール様にご報告の後、お暇させていただきます」
「急いで。私もすぐに戻るわ」
「はい」
ファビアンが頭を下げ、邸に向かう。
私はもう一度空を見上げた。
「レーヌの審判……かなり荒れると聞いているけれど、どのくらいなのかしら。畑が台無しにならなければいいけれど」
レーヌの審判。それは、毎年一日だけ訪れる氷の嵐のことだ。
リバレイ領という名前になるずっと昔、この地は氷の女王・レーヌが統治していたと伝えられている。
レーヌは人ではなく、妖精もしくは神といった存在だ。彼女は、リバレイ領の北に位置するウイユ湖に住んでいるとされている。
私もリバレイ領に来た当初、レーヌの話を聞かされ、ウイユ湖にも連れていってもらった。
リバレイ領の中で一番大きく美しい湖と言われるだけあって、その大きさに目を丸くしたことを思い出す。
湖といっても対岸は遥か遠く、豆粒のようにしか見えない。その向こうがどうなっているのか、まるでわからないのだ。
エルに尋ねると、この湖より更に北は、人が訪れられる場所ではないとのことだった。
ただ、寒冷地に住むドラゴンたちは行き来することができるそうなので、そこは彼らだけの領域なのかもしれない。
女王レーヌはこの地を人に明け渡す際、誓いを立てさせた。
『聖なるこの地を正しく守り、治めることを誓う』
その誓いが守られているかどうか、年に一度確かめに来るのが「レーヌの審判」だ。
この日は、彼女がこの地に足を踏み入れることにより、氷の嵐になる。
一歩でも外へ出ようものなら、人などあっという間に凍り、命を落とす。だからこの日は一日中、家の中にこもって過ごすのだ。
レーヌの審判の日は、家のない貧しい人たちについては邸に匿って保護していたというけれど、幸い今はそういったことはない。リバレイ領に住む人たちには、全員住まいが与えられているからだ。何もかも十分とは言えないかもしれないけれど、レーヌの審判を凌げる強度はあり、最低限の生活には支障のないものだ。
皆に家がある。これは素晴らしいことだと思った。
大きな都では、なかなかそうはいかない。
セントラルでは家のない貧しい人たちもいて、彼らは路上で生活をしていた。冬の寒い中でもボロボロの薄着のまま狭い路地に横たわっていて、それを見てしまった時には胸が痛み、力のある公爵家とはいえ何もできない自分が歯痒かった。
リバレイ領は、セントラルに比べて領地は大きくても人が住める場所は限られている。人口だって少ない。でもだからこそ、こうして細かいところにも目が届く。そして、そういった部分を決して見逃さないエルは、真の統治者だと尊敬に値する。
「レティシア様! そんなところにずっと突っ立っていらっしゃって、どうかなさいましたか? あぁ、こんなに冷えて……風邪などひかれては大変です。早く中へお入りください!」
「あ……ごめんなさい、セシル。ちょっと考え事をしていたの」
「考え事ならお邸の中でお願いします。レティシア様に何かあったら大変! エルキュール様にも叱られてしまいます」
「エルは叱ったりしないわ」
「滅多なことでお叱りにはなりませんが、レティシア様のこととなれば別です。それに、私だって昼も夜もお側を離れられなくなりますわ」
「はいはい、わかったわ。確かにちょっと寒くなってきたわね。早く中に入りましょう」
「はい。温かいお茶をご用意いたしますね」
迎えに来てくれたセシルに伴われ、私は邸の中へ向かう。中に入る前に再度空を見上げ、そっと祈った。
エルはあなたとの誓いを忠実に守っています。だから、正当な判断をなさってください。
レーヌの審判で是となれば、次の日は穏やかな快晴となる。その日は領民の休息日となり、皆は感謝をしながらその日一日を過ごす。
でも、非となった時は──誓いを違えたということで、この地を治める人間が滅ぼされてしまう運命にあった。
過去そういった例はないそうだから、それが真実か否かは誰にもわからない。
エルは、誓い以上の政を行っていると信じている。それでも、私はそう祈らずにはいられなかった。
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