52-2.魔王の片鱗(2)

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52-2.魔王の片鱗(2)

「エル!」  エルは私に駆け寄り、怪我がないかの確認をする。私に怪我などあろうはずがない。最初の攻撃はちゃんと躱したし、その後はずっとファビアンが守ってくれたのだから。 「レティシアに怪我がなくてよかった。ファビアン、よくやった」 「とんでもございません。最初の攻撃はレティシア様が自ら躱され、事なきを得ました。むしろ、お叱りを受けねばなりません」 「いや、これはレティシアの護身術が優れていたと言えよう。厳しい警備を掻い潜って忍び込んだ手練れだ。奴は、反統一集団の過激派の頭だからな」  反統一集団? もしかして、それがクラウディアを拒んでいる民たちなのか。  話の見えない私が目を白黒させている間に、エルは穴にはまった男に向かって声をかけた。 「砂漠の民、反統一集団過激派のサイラスだな」 「うるせぇ! 早くここから出せ!」 「お前はまだ状況をわかっていないらしいな」  そう言うと、エルは男をじっと見つめながら先ほど私が感じたオーラを身に纏い、彼に向かって手を翳す。 「お前は我が妻を手にかけようとした。決して許せぬ所業だ。命で贖ってもまだ足りぬ……」 「うわあああ!」  土が降り注ぐ。しかもすごい勢いで。このままだと生き埋めになってしまう! 「エル!」  しかし、その声は一歩及ばなかった。穴は完全に塞がっている。 「エル、土をどけて! このままだと彼が死んでしまう!」 「あいつはレティシアを殺そうとした」 「違うわ! 人質にって言ってたもの。殺すつもりはなかった!」 「それでも、一歩間違えればどうなっていたかわからない。大怪我を負えば、命を落とすこともある」 「そうだけど……」  いつものエルじゃない。  優しく慈愛に満ちた瞳は、今は氷のように冷たく非情だ。  この時になって、私はようやく思い知った。これがまさしく──氷の国の魔王。  それでも、私はここで諦めるわけにはいかなかった。  エルは彼のことを、反統一集団といった。そしてその頭なのだ。彼を殺してしまったら、力でねじ伏せたことになる。それでは、これまでのエルやカミルたちの苦労が水の泡だ。 「エル! お願い!」 「エルキュール様!」  必死な私に同調してくれたのか、ファビアンも声をあげる。 「……わかっている。奴を殺せばどうなるかなど」  エルは自嘲するように呟き、翳した手を大きく振り上げた。  すると、生き埋めになったはずのサイラスが、土塗れの状態で地に打ち上げられた。例えるなら、土の中から吐き出されたような感じだ。彼が埋まっていたその場所はというと、元通りとはいかないけれど、きちんと塞がっていた。  これが、エルの魔術。  力は制御され、かなり抑えられていた。そうでなければ、最初の一撃でサイラスを亡き者にしてしまっただろう。エルは最初から、彼の命を取るつもりはなかった。  この国を侵そうとする輩には一切容赦をしない、そんな冷酷非情な氷の国の魔王の片鱗を、私は今初めて目の当たりにした。  ファビアンがサイラスを捕え、彼が握っていたナイフを没収し、完全に動けないよう拘束する。そして一礼すると、この場を後にした。たぶん、カミーユたちに報告に行ったのだろう。  私はエルを見つめる。エルは私から顔を逸らせていた。 「エル」 「レティシア……俺が恐ろしいか?」  そう言って私を見たエルの瞳は、悲しみを湛えているように見えた。  私は即座に首を横に振り、エルを抱きしめる。 「恐ろしいなんて、思うわけがありません!」 「だが、俺は……」 「エルは最初からあの人を殺すつもりはなかった。だけど、思い知らせておく必要があったのでしょう? ……魔王の力を」  魔王の力。それは、クラウディア国の力とも通じる。  クラウディアの配下につくことを拒否していたサイラスに、この力を誇示しておくことは必要なことだったのだ。  でもきっと、エルは私に魔術を使うところを見せたくなかったに違いない。だから、こんなに傷ついたような瞳をしている。  けれど、私はちゃんとわかっている。エルがどれほど優しくて慈悲深く、そして理性的かを。  エルだから、本来恐ろしくて強大な魔術の力を、正しく使うことができるのだ。 「私がエルを恐ろしいなんて思うはずがありません。例え、もっと大きな力を目にしたとしても。絶対です」 「レティシア……」  掠れた声で私の名を呼び、背を折って私を強く抱きしめる。 「……助けてくれて、ありがとうございます」  エルは愛しげに目を細め、私の瞼にそっと唇を押し当てた。 「何事もなくてよかった。……君に何かあれば、俺は平静ではいられない」  エルの腕に力がこもる。  私は何度もありがとうを繰り返す。そしてしばらくの間、その腕の温もりに身を委ねた。  *  その後、カミルがリバレイ領へやって来た。  実は、カミルはすでにサイラスがこちらへ向かっていることを察知し、ダイアガラスを飛ばしてエルにそのことを知らせていた。しかし、それより早くサイラスはリバレイ領に侵入し、私を襲ってしまった。  あの日、エルは早めに邸に戻ってくる予定だったけれど、あのタイミングで戻ってきたのは、ドラゴンたちが興奮しているという知らせを受けたからだった。私が以前カミルたちに攫われた時もそうだったので、大急ぎで戻ったのだという。  本当に申し訳なかったと、カミルは私たちに頭を下げ、謝罪した。その隣にいたサイラスには、土下座をさせていた。  何もそこまで、と思ったけれど、これでも足りないとカミルはサイラスにご立腹だ。  カミルとしては、反統一集団の話にもきちんと耳を傾け、誠実に対応してきた。なのに、その頭が牙を剥いたのだ。砂漠の民のルールからすると、首を飛ばされても文句は言えないらしい。ただそのせいで、サイラスは魔王の力をまざまざと見せつけられる羽目になった。  彼はすっかり戦意喪失しており、カミルをトップに立てること、クラウディア国の配下につくことを了承し、契約もすでに交わしていた。  ちなみに、ダイア砂漠に残っていた反統一集団の他の面々には、あちらにいるアシムやスードが、すでに話をつけているとのことだ。  とんだハプニングはあったけれど、こうして砂漠の民の統一は達成されたのだった。
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