小さな鼓動

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小さな鼓動

 私は加藤悟(かとう さとる)、居酒屋チェーン店を運営する株式会社シンキに入社して約8年が過ぎた。  店舗異動を数回経験して、今は地元の繁華街にある居酒屋・酒小町の店長を任されている。  今までそれなりに出会いもあったと思うが、早く昇進をして本社勤務の幹部になりたかった私は、恋愛をせずに仕事に打ち込んできた。  この8年間、特に問題を起こすことも無く真面目に勤めあげてきたつもりだが、普通の会社で言う係長にもなれず現場の店長をしているのだから、本社勤務の幹部になるのはまだまだ先になるのだろう。  とは言ってもまだ30歳。店長として結果を残して昇進するチャンスは十分にある。  毎日自分にそう言い聞かせ今日も出勤をした。  居酒屋の店長の仕事といえば毎日が同じ事の繰り返しで、普段は昼過ぎから調理社員と仕込みの確認をし、本社への売上げ報告、店内のセッティングをする。  16時台は本来休憩時間なのだが、今日はアルバイト応募の面接をする予定が入っている。  面接やスタッフとの面談があると、この休憩時間を犠牲にして行わなければならないため、場合によっては休憩など取れない日もある。  私は15時30分までには開店の準備を終わらせ、喫煙所で調理社員の田山隆宏と話をしていた。 「加藤君、4月も半ばなのにまだまだ寒いねぇ。それにしても疲れてるように見えるけど、ちゃんと休んでる?」 「いやぁ、歓送迎会もそろそろ落ち着くじゃないですか? 本社が早く5月からの施策を提出しろってうるさくて、疲れましたよ」 「あぁ。本社は数字でしか見てないからさ、現場がいくらその日の営業を頑張ったって常に数字を出せなきゃ意味がない。だから、適当な案でも出して頑張りますでいいよ」 「それでいいんですか? まぁ、今度時間を見つけて競合店行って、他の施策とか客の入りを見てきますよ」 「はは、加藤君は真面目だねぇ」 「いやいや。あ、それと今日16時から女の子のアルバイト面接があるんで、出勤の子が来たらまかない食べさせてあげてください」 「はいよ。面接、可愛い子だったらいいね」  そう言って、田山さんは厨房へと戻って行った。  調理社員の田山さんは40歳のベテラン社員。  偉くなると責任が大きいという理由で、ずっと現場の調理社員を希望しているが、噂だと過去に何かトラブルを起こし昇進の道が絶たれたのだという。  だが私には関係のないことだ。仕事はきちんとしてくれるし、特に問題を起こさなければ私にも火の粉が降りかかる事は無い。  当たり障りなく、一緒に仕事をする。それでいい。  私は最後の一吸いをし、タバコを灰皿に押し付け、面接に来る女の子を事務室で待つことにした。 時刻は15時50分。  入口の自動ドアが開くと同時にベルが鳴り、私は応募者が来たのだと小走りで入口へと向かう。 「すみません、本日面接の約束をしていた清水です。清水果歩です」  入り口に立っていた女性は、少し緊張した面持ちで挨拶をした。  黒色のセミロングでスラッとした綺麗な印象を受ける女性。  淡い青色のコートがより透明感を引き立てていた。 「あ、じゃあ、こちらので面接をするのでどうぞ」  私は一瞬、清水さんに見とれていたが、すぐに我に返り清水さんを面接用に用意していた卓に案内をし、 「えっと、今日面接を担当します店長の加藤です。よろしくお願いします」 そう言って、面接を始めた。  正直、アルバイトの面接で志望動機を聞いたり長所や短所を聞いても、当たり障りのない答えしか返ってこない。  逆を言えば、私の面接も型にはまった当たり障りのないものなんだろう。  ある程度質問をして特に内容に問題が無ければ、最後に出勤日数や一日の勤務時間について確認をして面接は終了する。  今回もその流れだったが、履歴書を見て一つ気だけ気になる点があった。 「清水さん、つい最近まで隣の県に住んでたようだけど、こっちには一人で引っ越してきたの? 他で正社員じゃなくてアルバイトを探してるみたいだけど、何か他にやりたい事があるとか?」  清水さんは24歳。  家族構成は特に書いていないが、何もなく一人で引っ越してきたことが気になった。  清水さんは少し間をあけてから静かに答えた。 「地元で色々ありまして、気持ち新たに新しい土地で頑張ってみようかなと。正社員の仕事も探したんですけど中々上手くいかなくて。まずはアルバイトから始めてみようかなと思っています」  清水さんは何か言いたくない事でもあるのだろうか?  求めてた答えとは違ったが、言いたくないこともあるだろう。 「そうだったんですか。なんかプライベートな事を聞いてすみませんでした」 「いえ、何があったかまで話せなくてすみません。でも、一生懸命頑張るので宜しくお願います」 「いえ、プライベートの事は深く聞かないですよ。あと、採用については本社にも確認をしなきゃいけないから。合否については後日、電話で連絡させてもらいますね」  私はそう言い、面接は終了した。  帰り際、清水さんは何回もお礼を言いながら帰って行った。  私は清水さんを見送った後、履歴書を持ちながら厨房に行くと、アルバイトスタッフと話をしていた田山さんがこちらに気付き、 「加藤君、面接の子どうだった?」  と、笑いながら履歴書を覗き込んだ。 「清水さん? へぇ、なかなか可愛い子だね。よし、採用だ!」 「ちょっと田山さん! そんな理由で採用したらダメですよ」 「アルバイトの子なんて、可愛ければ即採用でいいじゃないか。それに、ホールの子、今月で一人辞めるんだろ? だったら今の内に一人増やしておいた方が良いだろう」 「まぁ、確かに採用をしようと思ってますけど、田山さん、清水さんが入っても変な事しないでくださいよ?」 「バカ言え。俺がそんなことするように見えるか? まぁ、ご飯くらいは一緒に行ってもいいけど」  私は田山さんが心配ではあったが、実際に今月末でホールスタッフが一人辞めてしまうため、清水さんを採用することにした。 ――24時00分。 「あれ? 店長まだ帰らないんすか?」  営業時間が終わり、私は店舗内にある事務室に入り書類の整理を始めた。  今日面接をした清水さんの採用について本社から承認を得るための準備だ。 「おう、山口君。今日片付けたい仕事が残ってるからさ。すぐに帰るから山口君も気を付けて帰れよ!」 「……店長、そんなに頑張ってたら体壊しますよ? 店長が体壊したら僕らも困るんすから」 「大丈夫だよ。そんな簡単に体は壊さないさ。それより山口君は明日もシフトに入ってるんだから、早く帰って休めよ」 「はいはい。店長も早く帰ってくださいよ? それじゃあ、お疲れさまでした」  山口君は呆れたように笑いながら帰って行った。  定時通り家に帰っても何かする訳でもない。  たまには他の居酒屋に行ってお酒を飲むのもいいかもしれない。  ゆっくり映画を見たり、ゲームをするのもいいかもしれない。  でも、早く昇進するためには多少無理をしてでも結果を出さなければならない。  今はやりたいことを我慢して、会社からの評価を上げなければならない。  そう自分に言い聞かせ、採用の報告書を作成する。  作成した書類をまとめるために履歴書を手に取った時、清水さんの顔写真が目に入り、確かに記憶に残る女性だと思った。  私は今日の面接を思い出しながら、提出する書類を封筒に入れ居酒屋を後にした。 ――数日後 「本日から働かせてもらいます、清水です。清水果歩です」  清水さんは初めて会った時と同じように、自己紹介をした。  その日出勤だった男性スタッフ陣は、清水さんを見てボーっとしていた。 「清水さんはこっちに来て日も浅いから、みんな親切にしてあげてくれ。意地悪はするなよ」  私がそう言うと、大学生のアルバイトスタッフ山口君が、 「俺、山口拓哉って言います。ここじゃホールメインだけど、店長の右腕みたいなもんだから、何でも聞いてください」 と嬉しそうにアピールをした。 「俺は厨房だけど、何か手伝えることがあったら言ってください」  厨房のアルバイトスタッフも負けじと声を掛けた。  そして最後には、 「俺は酒小町で料理長をしてる田山って言うから。清水さん、仕事に慣れてきたら美味しいお店に連れてってあげるから一緒に頑張ろうな」 と、さりげなくご飯に誘おうとしていた。 「まぁ、清水さんが綺麗で皆嬉しいのは分かるけど、うつつを抜かしてないで仕事にしっかり取り組むように」  私は男性陣に気を引き締めるよう注意をし、清水さんの指導を始めることにした。 「じゃあ清水さん、今日は初日だからお店の雰囲気に少しでも慣れてくれればいいから。説明はしていくけど、分からないことが合ったらその都度聞いて良いからね」 「はい、ありがとうございます」  清水さんは緊張した様子で私に返事をした。 「でも、この店のスタッフ、皆バカみたいだろ? 清水さんを見てあんなにはしゃいじゃって。今日は男性しかいないけど、女性スタッフもいるから安心してね」  私は店内の説明をしながら清水さんと雑談をした。 「いえ、居酒屋で働いている人達ってちょっと怖いイメージがあったんですけど、店長を始め皆優しそうで安心しました」 「居酒屋の人達が怖い? まぁ、中には職人気質の人もいるけど、チェーン店のスタッフはほとんどが学生だからこんなもんだよ」 「そうなんですね。昔よく客引きって言うんですか? 居酒屋どうですかってしつこく声を掛けられて、その人達が怖そうな人達だったので」 「あぁ、確かにお店によっては客引きを出しているところもあるけど、そういう所も大抵は学生やフリーターを使ってるから。見た目が自由な分、ちょっと怖いイメージがあるかもね。」  清水さんは居酒屋の店員に対して、少し怖いというイメージを持っていたようだが、それなのに何故、居酒屋でアルバイトをしようと思ったのだろうか?  他での採用が決まらずに焦っていたのだろうか。  しかし、人見知りなんですと言いながら居酒屋にアルバイト応募をしたり、接客はしたくありませんという応募者もいるくらいだから、深くは考えないでおこう。  店内の説明を終えると開店時間となり、お客さんも少しずつ入り始める。  開店から2時間。 「3番卓のお客さんビール4つ追加です!」 「5番卓に焼き鳥の盛合わせとエビコロッケ追加入りました!」 「11番卓に飲み物がまだ届いてないみたいです!」  店内は予想以上に慌ただしくなっていた。  お客さんは勿論、その日の勤務人数など分からないため、シフト以上にお客さんが入店すると対応が追い付かないこともある。  そんな時にスタッフがパニックを起こしようものなら、食事の提供がどんどん遅くなってしまう。 「山口君、一旦ドリンカーを交代しよう。俺がドリンクを全部作るから山口君は落ち着いて順番に提供をして」 「田山さん、1番卓と6番卓のお客さんには調理に時間がかかると説明してますので、急ぎのオーダーを15分以内で全部いけますか?」 「清水さん、ジョッキ類から優先に洗い物をしてもらえるかな?」  私はホールスタッフに指示を出し、穴のあるポジションに入り体勢を立て直す。  勿論、厨房社員との連携も密に取らなければならないため、調理場の進捗を見ながらお客様に食事の提供時間についても説明をしなければならない。 「加藤君、提供が追いつかないなら調理スタッフも使っていいからね」 「ありがとうございます。じゃあ、10分だけお借りします」  厨房社員と連携が取れていれば、お互い困った時に助け合うことも出来る。  なんとかピークを乗り切り、間もなく閉店時間となったころには、スタッフは皆疲れた顔をしていた。 「閉店作業までまだ時間があるから、山口君と木村君10分くらい休憩してきていいぞ」  私はいつも以上に張り切っていたスタッフ2名に声を掛けた。  しかし二人は大丈夫ですと言い、休憩には入らず厨房の片付けをしていた。 「へぇ、珍しいな。じゃあ清水さん、初日からバタバタしてしまったから疲れただろう? 今日はこの辺で切り上げようか?」  私は一生懸命洗い物をしていた清水さんに声を掛けると、スタッフ2名は残念そうな顔をしたが、清水さんはニコッと笑い、 「いえ、迷惑じゃなければ私も最後まで残ってみたいです」 と言った。 「そうか、じゃあ今日は皆で最後までやるか」  私は皆がやる気なのを見て少し驚きながらも、疲れが溜まっていたのでありがたいとも思った。 「そうだ、店長こそタバコでも吸ってきたらいいんじゃないですか? オーダーが入ってももう僕らで大丈夫ですよ」  スタッフの山口君が、私を気遣ってかそう言ったが、もしかしたら清水さんと話がしたいのかと思い、 「あぁ、じゃあお言葉に甘えてちょっと休んでこようかな。その間、清水さんを宜しくね」 と言って、喫煙所へと向かった。  私が喫煙所でタバコを吸っていると、くたびれた様子で調理社員の田山さんが入ってきた。 「加藤君おつかれ。今日はなんだってこんなに混んだんだろうね。全然準備してなかったから焦ったよ」 「そうですね。あえて平日に歓迎会でもやってたんですかね?」 「まぁ、売上が良いのはありがたいけど。あ、そういえば清水さん、彼女一生懸命頑張ってたね。愛想も良いしあれはこの店のアイドルになれるよ」 「まぁ、確かに頑張ってましたね。ホールを覚えれば人気は出そうですね」 「その内、アルバイトの誰かと付き合って別れて辞めますみたいにならなきゃいいけどな」 「そうならないようにちゃんと見張っておきますよ」 「どうだろうな。こういうのは店長の知らない所で動いてるもんだぞ」 「あ、田山さんこそそう言って手を出さないでくださいよ。じゃあ、一旦戻りますね」  私はそう言い、田山さんを残して喫煙所を後にした。  厨房に戻ると、清水さんと山口君、木村君で談笑をしていた。  山口君は私に気付き慌てた様子を見せたため、私はわざと、 「山口君、俺がいない間に俺の悪口でも言ってただろう? あいつ使えねぇとか」 と言いながら近づくと、 「そんな訳ないじゃないですか! 今日大変だったでしょって聞いてただけっすよ」 と山口君は慌てながら説明した。  その姿を見た清水さんが、 「店長、山口さんは店長は頼りになるから安心して良いって、格好いい人なんだよって教えてくれました」 とフォローを入れたが、私は予想外な清水さんの発言に、 「え? 俺が頼りになる? ……山口君、何かお店の物壊した?」 と、彼を疑ってしまった。  そんな私を気にせずに清水さんは続けた。 「それに、今日の店長を見てて、皆に指示を出して自分も走り回って凄いなぁって思いましたよ。格好良かったです」 「……そっか、まぁ、大したことはしてないよ」  私は思わず、ぶっきらぼうに答えてしまった。 スタッフの山口君と木村君はそれを見てニヤニヤしていたが、私は清水さんの方を見ることが出来なかった。  今まで女性と距離を取っていた分、いきなり褒められるとどういうリアクションをしたらいいのか分からなかった。  私はその場にいるのが少し気まずくなり、お客さんが帰った卓を片付けるために厨房を後にした。  その日は、ホールスタッフ全員で閉店作業をし、皆でお店を後にした。  帰り道、私は清水さんと帰る方向が一緒だったため、歩きながら今日の仕事について話をした。 「清水さん、初日から忙しくって疲れたでしょ? やっぱり辞めようかなぁとか考えてない?」 「いえ、私は洗い物しかしてないですし、皆さん凄く仕事が出来るので私も頑張らなきゃなぁって思いました」  清水さんはカバンを両手で持ち、うつむきながらそう答えた。 「でも、山口君は俺の右腕だって言いながら、途中で焦ってたけどな」 「ふふ。でも一生懸命頑張ってたじゃないですか。あの時、店長に怒られるって慌ててましたけど」 「客さんに迷惑をかけるようなことをしたら注意はするけど、仕事で失敗するのは怒らないんだけどなぁ」 「店長は優しいんですね」 「俺が? 普通の事だと思うけどなぁ」 「そういう所ですよ」 「え? 何が?」  私は清水さんが何を言いたいのか分からず、思わず聞き返したが、清水さんは微笑みながら、なんでもないです。とはぐらかした。  私はモヤモヤしたものを覚えたが、気がつけば私のアパートの近くまで来ていた。 「そうだ、夜も遅いし夜道に女性一人は危険だろうから、家の近くまで送ろうか?」  私がそう言うと、清水さんは首を横に振り、 「いえ、ここまでで大丈夫です。私も家が近いので、もう大丈夫ですよ」 と答えた。  私は、それじゃあ明日もよろしくと声を掛け、清水さんを見送った。  アパートまでの道中、私は清水さんの事を考えていた。  今までアルバイトスタッフを意識した事は無かったが、褒められたからだろうか?  清水さんと働いた今日が楽しかったと思う反面、早く昇進するために彼女は作らないって決めたんだと冷静に考える自分がいた。  アパートに帰り軽く食事を済ませた後、シャワーん浴びて布団に入る。  いつも通りの今日が終わった。  いつも通りに布団に入り、瞳を閉じた。  ……いつもと違うのは、胸が少し鼓動したくらいだ。
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