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2.和菓子職人のアフターファイブ
「すみません。」
「うおぁあああ?!」
突然ささやくような低い声が耳元でして。そう、だから、俺の反応がめちゃくちゃ大袈裟になっちゃってることは自覚してるんだけど、集中してる時ってそんなもんじゃん!?飛び上がって声のしたほうを振り向いたら、いつかの綺麗な男の子が気のせいか若干イタズラな笑みをこちらに向けてて。これは多分なんか、からかわれてるぞ?!って思ったんだけど。
「発注書ありますか。」
「え、ええ?発注書?ちょっとまっ」
「あと外開いてましたけど大丈夫ですか。」
「ううん、全然!」
ちょっとまってよ!情報が多いんだって……!半身になって避けてくれた彼の横をすり抜けて完全に忘れていた閉店作業をする。俺の悪い癖で、つい目の前のことに夢中になるとあれこれ疎かになっちゃう。危なかったー、さすがに閉店作業忘れてるのはやばい。
ひとつため息をついてから、店内を振り返ると手持ち無沙汰そうにぼんやり立ち尽くしてる彼の姿が目に入る。
「えと、ごめん!それで、はい、これが発注書。ここで書いてく?」
「いえ……いったん持ち帰ります。まだ詳しく聞いてなくて。」
どうやら学校帰りに立ち寄ってくれたらしいんだけど開いてるのか閉まってるのか分からない状態なのが気になって様子を見に来てくれたみたい。変だなって最初に気づいてくれたのがこの子でよかった……。
「誰かに頼まれたの?ここを選んでくれて嬉しいなー。」
「……客殿用のものが足りなくなりそうだから、と言われていまして。」
うん。
今、“客殿用”って言った?俺もこういうところで働いてる身だから一応わかるよ。でっかいお屋敷とかにある接客専用の建屋のことだ。あれ……もしかして俺、すごいところに営業持ちかけた?
「すっごく今更なんだけど、どこの人か聞いてもいい……?」
「大河原です。……俺の名前、大河原彩人っていいます。」
「おおが……ああ!道路の向かいにある神社だ!」
「はい。俺のことは、彩人とお呼びください。」
そっかー、なるほどね。学生さんだし俺より若い男の子のはずなのに、ずいぶんきっちりしてるなーと思ったよ。
「俺は竹宮雅樹!よろしく、彩人くん。」
「雅樹さん。」
確認するように俺の名前が呼ばれる。意外と下の名前で呼んでくれるんだ。自分がそうしてくれって言ってるからかな?勝手に少し距離を近く感じて嬉しくなる。
「いいなー、彩人くんかぁ。色気のある響きがぴったりだね。」
「そう……ですか?顔色が悪いとは時々言われますが。」
「血色の話ね?!確かに太陽浴びて大丈夫か心配な肌色だけども!」
「大丈夫です。」
うん、じゃぁ良かった。じゃなくて!!
びっくりした!俺としたことがすごい勢いで話持っていかれてしまった!
「もしかして、全然自覚ない?うーん、でもそうか。こういうタイプは自覚がないからいいんだよなぁ、たぶん。」
「………?」
「彩人くんって禁欲的な雰囲気があるからさー、そういう…って、ちょっと待って。何してるの、物理的な話じゃないよ?」
「あっ、そうですよね……。」
落ち着かなげに、そわそわしながら自分の状態確認してるものだから、思わず言葉を止めて突っ込んじゃったけどさ。俺に指摘されて行動のおかしさに気づいたのか、ふいっと顔を逸しながら声にならない息だけで「恥ずかし……」と続けたのが俺の耳には届いた。
そういうとこ含めてだからね、君!!色気あるって言われて、よく分からなくて身だしなみ確認する子いる?!天然なの?なにそれ、要素大渋滞じゃん!!
「えー…っと。雅樹さんは、お店閉めるのも忘れて、何されてたんですか。」
誤魔化すためなのか躊躇いがちに話を振られて、作業台におきっぱなしにしてたスケッチブックのことを思い出す。
「ちょっと思い浮かんだアイデアがあってさ。」
「仕事のですか?」
「そうそう!」
いいこと思いついた!って瞬間、その場でしっかり捕まえておかないと後でーって思ってると逃がしちゃうことが多々ある。だから降ってわいた時には出来るだけその場で書き留めておくようにしてるんだ。さすがに仕事中、どうしようもないタイミングもあるっちゃあるんだけどさ。
「彩人くんはさ、和菓子の見た目ってどれくらい気にしてる?」
「………みため。」
「あっ、ほとんど気にしてないタイプだ!」
「す、すみません。」
「いやいや!全然いいんだよ!」
だって、それって味が良くなきゃ話にならないっていうはっきりした方向性があるってことだから、意見を聞くときに分かりやすい。大体の見た目が決まってて、そんなに奇抜なことをやっても仕方ない物もあるんだけど、上生菓子と呼ばれる見た目もしっかり拘って季節感とか出していかなきゃいけない物もある。がちがちに歴史的なもので固まってるところもあるから、その辺は勉強して技術身に着けて、って感じになるんだけど…なんか、ずーっとそういうところにいるわけにもいかないなーって思うわけ。もっと気軽に、可愛い和菓子が食べれてもいいよね?和歌がついてるようなのもいいけど、なんかわかんないけど可愛い!美味しい!でもいいと思うんだ。あっ、今のはダジャレとかじゃないからねっ!!
「………。」
一方的に捲し立ててるから、これはいけないと思って繰り出した渾身の和ませワードを華麗にスルーした彩人くんは、俺が一人で喋り続けてること自体全く気にしている様子はない。でも、いつの間にか目の前であの視線が向けられてることに気づく。ぴたっと貼り付いてくるその視線に縫い付けられそうになる感じ。突然黙った俺の様子を不思議に思ったみたいで、きょとんとして少し首をかしげる。その瞬間に、すっと独特の気配が緩んだのを感じて、思わず俺は言葉をかけてた。
「あの……あのさ、聞いてもいいかな。」
「俺が答えられることなら。」
「そういう顔してる時ってさ、何考えてるの?俺ずっと気になってて。」
「は……?俺、何か変な感じでしたか?すみません。」
「いや!!……いや、変ってわけじゃないんだ。うーん。」
なんて言ったらいいか分からなくて言葉に詰まると、彼の方も当然困った様子で、理由もなく所在なさげに上がった右手の指先が顔にかかる髪の毛先に絡まりついてる。言葉にしてなくったって、それが「どうしよう」としか考えられなくなっているのは明白で。
「その…困らせるつもりはなくってね?ただ、彩人くんは時々その顔で俺のこと見てるからさ。どうしたのかな、と思って気になってて。」
「そう………ですか。何を、考えて……。」
いや、でもそうだよね。思えばかなり難しい質問しちゃってる。今何を考えてましたか、ってなかなか分からないような気がするし、分かったとして言葉にするのすごく恥ずかしいことのような気もする。
やっぱりいいよ、って言おうと思って口を開きかけた時、丁度彼が意を決したようにこっちを見たものだから、俺は言葉を飲み込むことになる。
「多分、俺は、あなたのことが羨ましい。」
そういう彼は真っすぐ俺のことを見てて。うわぁ、すごい心の強い子だ、彩人くんって……と。だって本人に向かって、こんなに真っすぐあなたが羨ましいとは、なかなか言えないよ。もっと妬みが籠っちゃったり、下げようとしてきたり、しちゃいがちな感情だもの。だから本来は「羨ましい」って言われると嫌な気持ちになることが多い。楽してんな、とか呑気だなとか、気楽でいいよなみたいな感情が籠ってることが多いから。でも彼のはそうじゃないんだ。もっと、キラキラした…なんていうんだろう?羨望…なのかな。
「言ってましたよね。遠いところから、慣れない土地にきて。それでも、やりたいことの為に努力しているって。傍から見ていても分かります。あなたがとても頑張っていることも、それから…この仕事をとても好きなことも。」
「よく覚えてるね。うん、そうだよ。皆に喜んでもらえるものが作りたい!彩人くんにもね!」
「………ええ。そう言い切れるあなたが、俺にはすごく、眩しいんです。」
ああ、だからだ。だからすごくドキドキする感じなんだ。あれは大切な何かを尊ぶ目だ。“あなたは素晴らしい”って、そんな気持ちが向けられているのを感じて…。
「俺……無意識で、人にプレッシャーをかけてしまっていることがあるみたいで。そんなつもりはないんですが、気を付けま……」
少し身を引いてそんなことを言う彼の姿を見て、俺は自分でも気が付かないうちに彩人くんの頭に手を伸ばしていて。目の前でぎくって全身を強張らせた彼の姿が目に入ってから、あぁ俺、また驚かせちゃってるな……って思ったけど。
「いいよ、そんなこと気にしなくて。」
叱られる未来しか見えてなさそうな彼の頭にそーっと手を置いて、綺麗に整えられてる髪をくしゃくしゃーってする。呆気に取られてリアクションが遅れている彼に向けて言葉を続けた。
「俺はね、嬉しかったよ。確かに迷ってはいないし、好きなことやってるし頑張ろうっていう気力もあるよ。でも、不安がないわけじゃない。俺、こんなとこまで一人で来ちゃってこれから大丈夫かなって思わないわけじゃないんだ。でも、あの日俺は、君の目に肯定された気がした。それで大丈夫、ちゃんとできてるよって言われた気がしたんだ。」
「いや…でも、それは…!」
やや声を張って言い募る彼は、俺に上から手で押さえられて縮んでいるようにすら見える。見れば、隠しようがないくらい首筋まで真っ赤になりながら目を泳がせてて。
「俺は別に、そこまで色々考えてたわけでは…。」
「うん。確かに!俺が勝手にそう思っただけだね。でも俺にとってはすごく魅力的に見えたんだ、君のことが。俺を励ましてくれる人だと思っちゃうくらいに。だから、ありがとう!俺のことを見ててくれて。」
「え、っと……そう……です、か?」
あとは消え入りそうな掠れた声で「ありがとうございます」と言って、目を伏せてしまう。
「あはは!納得はしてなさそうだけど、否定もしないんだね。」
「今、何も考えられていないので…何も考えず否定するのは、よくないので…。」
「やっぱり彩人くんはいい子だなぁ!」
「と……とりあえず、雅樹さんはそろそろその手をのけて下さい。」
「えーー?彩人くんの髪、猫っ毛でさらさらで気持ちいいんだよ~。」
「じゃぁ猫カフェにでもいって猫を触ってください。」
「急な正論っ……!」
居心地の悪さにいよいよ耐えられなくなった彩人くんが可愛そうなので手をのけてあげると、彼はため息をついてから手櫛で髪を整え始めた。触られたとこすぐ自分で触っちゃうの動物っぽくて可愛いよね。この感じ分かる人いる?思わず笑ったら、彩人くんから、ちらっと非難の視線を向けられちゃった。
「じゃ、俺…今日はこのへんで。」
「うん。表閉めちゃったし、裏口案内するからついてきて。」
「わかりました。」
従業員出入り口の裏口に彩人くんを案内しながらふと思いついて、肩越しに彼を振り返る。
「彩人くんさ、動画とかみる?」
「それなりには。」
「俺さ、Youtuberやってるんだ。Cocktailっていうグループに入ってて、旅動画とか雑談作業配信とかやってるんだけどさ、この間君の話を出したらみんなどうなったのーって続きを気にしててさ。」
「………。」
話が進むに連れて眉間にしわを寄せて怪訝そうな表情になっていくのを見つつ、
「…もうちょっと喋っていい?君のこと。」
「……ほぼ事後報告ですよね、それ。」
「うん、でも…、これ以上は勝手に言っちゃだめかなーって。」
「そうするとずっと聞かれ続けますよね。」
「うん……まぁ。」
だって後ろめたい気持ちになるのは嫌だからさ。それなら正体明かして本人監視のもと喋る方がまだいいかなーって。もう喋ってるし。開き直ってるともいえる俺の様子に彩人くんは軽く苦笑して
「じゃ、あんじょうしといてください。」
そう言ってくれたわけなんだけど、全然何言ってるのか分からなくて突然にして頭の中が?でいっぱいになる。裏口の扉を開けたタイミングでぽかんとしていたら、彼は軽く会釈をして横をすり抜け立ち去ろうとしてるものだから、慌てて呼び止めた。
「ちょちょちょっとまって!どういう意味か分かんなかった!」
「そうですか?失礼しました。どうぞよしなに、ちゅう意味です。」
んんんー、言い方が古風!!確かに方言ではなくなったから俺にもなんとか分かるけどさ!方言とかなんとかじゃないアレじゃん、これは!つまり、あれでしょ?“良いようにしておいてください”って意味だよね?つまりこれは……!
「わかった!勝手にしろ、って言ったんだ!」
「……!」
そう言ったら、はっとして目を見開いた彼と目があった。かと思ったら、ふわって気配が緩んだから、あれ?って思って。ずるいよねぇ、笑うんだもの。俺の方見て、明らかな笑顔を向けてくれた初めてのタイミングだったんだ。えー?!笑った!って、でもなんで?!って。口を開いた彼は、そうしてなんて言ったと思う?
「はい。“勝手にせぇ”です。」
くすって小さく笑ってから、彼はそう短く訂正を残していったわけ。
何それ……え?何それずるいよ、彩人くん。“勝手にせぇ”のとこだけ声のトーンが違った!!これあれでしょ?!ほんとはそっちが素ってことでしょ?!ねぇ!猫被るの上手すぎなーい?!
もーー、ほんっとに。でも、言ったよね。勝手にしていいって言ったよね?めっちゃ喋っちゃうから、俺。腹いせに若干脚色して喋っちゃうから!!俺のトーク力馬鹿にしないでよねー!
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