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2.とんでもない部屋3連後【2】
「…………?」
目が開いた時、室内はほぼ真っ暗だった。ということは、深夜だろう。
古い平屋の民家仕様であるこの離れに遮光の機能なんてあるわけもないので、基本的には朝明るくなると同時に室内が照らされて自然と目が覚める。こんなに真っ暗な時間帯に深夜覚醒することは滅多にない。怪我か酷使でひどく体を痛めている時くらいだろうか。
いつもと違うことが起きているのには、何か原因があるはずだった。慎重にひとつひとつ確認していく。とりあえず体調不良、ではなさそうだ。周囲の状況については……目が慣れていなくてよく分からないが、自室にいるということに間違いはない。
その時、外から微かに木の軋む音がした。
「草木も眠る」と表現されるほどに物音のしない時間だったからこそ聞こえたと言っていいだろう。き、と音を立てるのは、いつも耳にしているから分かる。すぐ表に続いている廊下の床板がその正体だ。音の軽さから判断するに、重さ的には少なくとも俺よりは体格の小さいものであるということが分かる。猫やハクビシンならいいが……。
音を立てないように滑るように寝床を出て、それから……。
寝起きでただでさえこういうときに働いてくれない頭が、あまりにも重い。これはなんだ。どうするべきだ。武器を携帯しようにも思いつくのは庭掃除用の竹箒くらいだ。無いよりはましか……?そもそも何者だ。不審者ということには違いないが。
とはいえ先に手を出してしまうと暴行を働いたことになりそうだし、後手に回って防衛したとしても、やりすぎれば過剰防衛だとされるだろう。ほどほどにしなければいけないわけだが、ほどほどの定義を教えてほしいところだ。
「あっ。」
いや、さすがに今のは俺じゃない。
廊下の方から思った以上に緊張感のない声がして一気に気が抜ける。これは違うな…何なのかは未だ判然としないが、とにかく俺が思っていたものとは違うらしいということは分かる。
軽い足音が流れるように通り過ぎていくのが聞こえる。4足歩行の小動物だ。恐らく猫か何かだろう。
「ねえ彩人ー。」
「うわっ!?」
勢いよく引き戸が開かれると同時にさも当たり前のように呼びかけられる。そんな行動に出られると思っていなくて全然何も準備ができていなかった。戸を開いた快活そうなその女性の後ろから、もうひとり別の女性が顔を出し、おっとりとした動作で首をかしげる。
「あら、おはよう。寝てたの?」
むしろ何故起きてると思ったのか。
「そう、ですね。朝早いので、あまり深夜までは起きていません。」
が、やはり俺は知っている。最初に戸を開いたのがひかりで、後から顔を出した彼女はユエ。その名は中国語で月を意味することから安直にとれば彼女たちは「月光」を冠するユニットなのかというくらいに、ふたりして独特の感覚のズレを披露してくれる。
おかげで俺は、このふたりといると荒れた海の上に浮かぶ船にでも乗っているんじゃないかと思うくらいに平衡感覚がおかしくなってしまう。正直寝起きにはきつい。言語に酔う。寝なおしたい。
「起きてるー?」
「……起きてます。おかげさまで。」
「そっかー人間は夜は寝てることが多いもんね。忘れてたよ、ごめんごめん。
ちょっと彩人に聞きたいことがあったんだ。」
「なんですか。」
ひかりは本当に何を言い出すか分かったものではない。少し身構えながら問う。
「この先にすごく大きな木があるでしょ?明らかに他と違う気配を感じるんだ。あそこには何がいるんだい?」
「この境内にある、ひと際大きい木ということでしたら、ご神木としてお祀りしている小賀玉木でしょうね。」
「おがたまのき。」
「神様?」
ユエが急に目を輝かせてこちらを覗き込んでくる。
「そういうことになります。」
「詳しく聞きたいわ。」
「俺に、ですか。この境内で一番不適切な人選だと思いますが。」
「不適切なことを言うの?」
「いえ。違います。」
それはめちゃくちゃ意味が違ってしまうんだが。あまり細かく言っても仕方がない人達だということは何故だか嫌というほど身に染みている感覚がある。
「とりあえず、その、おがたまのきのところにいこうよ!」
その場に座らんばかりに腰を落ち着けて話を聞こうとしているユエに対して、ひかりは既にその場を離れようと動き出しかけている。
「ちょっとまってください、俺も行きますから。」
「いいけど、何を待ったらいいんだい?」
「着替えるので。」
「なんで?」
「お願いです後生ですから1分だけ。」
「えー。」
言うが早いがその場を離れる。
「待ってあげましょう、ひかり。とても困っているみたいだから可哀想だわ。」
と、一応フォローに入ってくれているユエの声が後ろから聞こえた。
1分だとさすがにちゃんと片付けている暇はなさそうだった。気にはなるが、とりあえず最低限着替えて脱いだものは適当に放置していくしかない。
舞い戻ると案の定、ソワソワとした様子のひかりが待ちくたびれている様子だった。何か感じるものがあると言っていたので、境内を案内する必要はなさそうだったが、何をするやら分からないので目の届くところにいなければ大変まずいことになるような気がした。
かなり目が慣れていたので明かりは持ち出してこなかったが、ずいぶんと今日は明るい。見上げれば、いつになく月が明るく輝いている。月齢なんて日頃気にしてはいないが見る限り満月かそれに近いものに見える。月明かりで夜道が明るいなんて、現代社会において実感できる機会はそう多くない。
「あれだ!すごい、白い花が咲いてるよ?」
ひかりが前方を指さす。
彼女の言う通り、そこには大ぶりな葉に対して小さく目に映る白い花をたくさん咲かせた小賀玉木の大木が佇んでいる。
「注連縄や紙垂には触れないようにお願いします。」
「縄は分かったけど、“しで”って?」
「一緒に下がっている白い紙のことです。」
「ふーん?わかった。」
軽い調子でそう答えたひかりは、ひらり、ひらりと弾むように歩を進めて大木に近づいていく。
「あの花は、なんていう花?」
隣でユエがそう問いかけてきた。彼女はやはり話を聞きたいらしい。仕方ないので持ち合わせの知識を総動員する。
「木蓮は分かりますか、ユエさん。小賀玉木はモクレン科モクレン属に属する常緑の木です。春先になるとこうして小さ目の花を無数に開花させる特徴があります。そろそろ花が終わるころですから、いい時期に来られましたね。」
そう伝えると、ユエは大きな瞳を輝かせながら「モクレン」と呟いて木を見上げる。そうしてまた俺の方を見て首をかしげる。
「近くに行くのは構わないのかしら。」
「…そうですね、足元に気を付けて。根だけ、踏まないように。」
「ええ、分かったわ。」
そういうと、彼女もまた大木の方へと近づいていく。
ひかりは既に大木の根本付近で屈みこんで何かをしている。
「ねえ彩人、落ちてる花を持って帰るのはいい?」
「いいですよ。」
俺の言葉を確認してから、ひかりは落ちている花の中から良さそうなものを選り好みしはじめる。その横をユエが通り過ぎ、小賀玉木のすぐ近くまで寄って見上げている。
「良い子ね。この土地を守ってるのが分かるわ。……ここの皆を、よろしくね。」
そんなことを言って、そっとその幹に手を触れる。
いや、触れるか、触れないか、くらいの様子だ。
その横で、気に入ったものに目星をつけたのか立ち上がったひかりが小賀玉木に向かって手を振る。
「君の落とし物、もらっていくよ。いいよね?」
当たり前のように、言葉が通じるはずもないその大木に向かって語り掛けるその姿は、何故だかふたりしてとても神々しく見えてしまって。あんなに意味不明なふたりなのに。
小賀玉木。花言葉は、畏怖の念。
淡い月光に浮かび上がる白い花と、まるで予想できない行動をとる彼女たちふたりの姿が、重なり合ったような気がした。
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