《第一の容疑者、死神執事》

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《第一の容疑者、死神執事》

456bd1fe-ff69-4f94-a541-675ec0667fc6  私は、不死者であり冥府の全てを任されている責任者でもある。  毎日押し寄せる数多の死者を相手にする私には、雑務全般を任せている優秀だが物騒な執事がいる。  どのくらい物騒かと言うと、彼は生前妬みによって暗殺されそうになり、それを逆手に取ってやり返し、やり過ぎて死罪になったほどだ。    執事の生前とは、人で言うところの中世ヨーロッパ。革命につぐ革命、陰謀渦巻く時代。執事が仕えていたのは某王国の中でも有数の貴族であったが、その一族には裏の顔があった。王からの命令で手段を問わず邪魔者を粛正する、暗殺に長けた一族だった。  それ故、一族に生まれた者は幼い頃から、武術はもちろん、毒の扱い、一瞬で体の自由を奪う体術、拷問術と物騒な教養を叩き込まれる。  当然ながら使用人達もまともな神経では務まらないため、同じ教育を叩き込まれる。その中で、執事はずば抜けて才能があったようだ。  妬みを抱いた同僚を一網打尽にし、その手並みの良さを逆に警戒されて、主人である一族によって抹殺されてしまったのである。優れた能力が自分自身を殺してしまうとは皮肉なことだ。  そして、一番怪しい男だ。  執事だけが、自らの殺意を持って私を殺したことがあるからだ。  それは、執事の面接のことであった。私は不死者、冥府の神である、と名乗った途端にナイフのように鋭い手刀によって心臓を突き刺された。  普通、面接官にそんなことをするだろうか?常識から考えてあり得ないことである。当然、私は生き返りながら激昂した。  しかし、執事は淡々と乱れた髪を櫛で整えながら、 「いえ、どうやって死ぬのかな? と思いまして。生き返る姿も正に神のようでした。これより、誠心誠意命をかけてお仕え致します」  平然と、美しい所作で跪いて忠誠を誓った。  繰り返すが、私は、神である。  神とは、人知を超えた存在であり、怒り狂えば大地は足下をすくうが如く揺れ、広大な海原が轟音とともに割れ、天がひっくり返った科の如く雷雲と共に嵐が巻き起こる。  その怒りの中で、執事は平然と胸ポケットから櫛を取り出して乱れを整え、己のふざけた動機を悪びれもなく口にいた上、お仕えします、などと言ってのけたのだ。  こんなふざけた男を野放しにはできない。よって、私は崇高な自己犠牲精神に則って執事を採用した。  雇ってみれば、執事は実に優秀であった。まず、たまり過ぎて埃をマントのように被った書類に手をかけたかと思ったら次の瞬間には綺麗に整理分類されていた。 「こちらに旦那様のサインが必要な書類をまとめました。その他は唯のチラシ、呪い文書などでございましたのでまとめて庭師さんに処分して頂きますが、旦那様に必要なチラシはございますか?」 「い、いや、良い。片付けておいてくれ」 「かしこまりました」  優美に頭を下げた後、数分で広大な敷地の城を隅々まで点検すると真っ白な手袋を多少赤く染めて戻って来た。 「城壁が壊れ、魔物が侵入しておりましたので片付けて参りました。早急に修繕が必要です」 「かたづけ?」  我々神から目線だと、人類という種族は最弱の種族である。  我々が軽く突いただけで地球を一周するほどに吹っ飛び、体力は一日で尽き果てて睡眠が必要で、身も心も脆弱な生き物のはずだ。  我が城に隙あらば乗り込んで魂を食い尽くそうとしている魔物達など、私ならばデコピン一発で撃退できるのでたいして気にしていないが、最弱の人間が魔物相手に手袋が多少赤く染まる程度で済む訳が無い。  どうなっているのだ、この人間は。  私が呆気にとられている間に、スラスラと修繕が必要な箇所をまとめて修繕用予算を提出してくれた。 「執事よ、城は私の意思でできているものであるから、直ぐに修理可能だ」 「かしこまりました」  大量の書類が、一瞬にして目の前から消えた。  どうなっているのだ!   私が混乱している間に執事は更に、これからの雇用計画書、従業員用の寮を増設する際の予算見積もり、工事計画書を提出してきた。  もう、私は一言だけで良いのだと腹をくくる。 「良きにはからえ」 「はい。かしこまりました」  まさか自分がこの言葉を意味の通りに使う日が来ようとは。神生も分からないものである。  私は冥府の神であるため、人々の生き様を見ることができるが、自分の運命までは分からないのだ。  神という存在も、ままならないものだなと感じる一瞬であった。  執事は最初の仕事を片付けると、更に私のスケジュールを調整してくれた。冥府の長である私は、常に多忙を極めていたのだ。  特に、ここ千年ばかりは人口増加が著しく……人が増えると言うことは、死者も増えるということである……魂の裁定に途轍もない時間がかかっていた。  人が私と同じスケジュールで仕事をこなしたら、数日で死に至るであろう。  不眠不休で働いて隙間を縫って仮眠を取り、豊穣の神が鉢植えにしてくれた一粒で栄養を摂取できる奇跡の果実を食べて凌いでいたのだ。  あまりの忙しさに、身の回りがおろそかになっていた。故に、諸々の理由で私は人手を欲していたのだ。人で言う猫の手も借りたい状態であった。  さすがに幾ら調整しても、良くて僅かな休憩が取れる程度であろうと期待せずにスケジュールを確認したところ……。  なんと、週休二日、一日六時間労働、残業週に五時間程度、長期休暇有りというスケジュールになった。  あまりのことに、私はスケジュールを三回見直した。なんというホワイトスケジュール……。この条件ならば転職したい神がこぞって押し寄せるであろう。  無理も無駄も無く、びっちりと私の仕事が組み込まれている。今までは何だったのか。  ひょっとして、私はとんでもなく無能な神であったのだろうか……。  いや、神にも得手不得手があるのだ。私は時間管理が苦手なのだろう。今後は全て、執事に任せよう。素晴らしい人材を見出した。これ以上の幸運は無かろう。  私は冥府の神を拝命してから初めて「時間が余る」「暇を持て余す」という経験をした。  何という贅沢で芳醇な一時であろうか! ダラダラとYouTubeを見ていても怒られない奇跡の時間である。  私の仕事を手伝ってくれている、魂を運ぶ舟の番人である渡し守も過密スケジュールにヘトヘトであったが、執事が魂の舟を定期便に切り替えて定刻になったら渡すよう調整してくれたおかげで順番に休憩を取ることはもちろん、私と同じく週休二日で休むことができるようになった。  感動した渡し守達は執事を慕っており、言葉を理解しているが喋るのが苦手なため「シツジ、シツジ、アリガト」とカタコトで感謝を述べて慕うようになった。  たまに、一番上の上司である私への文句が執事を通して伝わってくる。  再度言うが、実に素晴らしい。私は大変な人材を引き当てたものだと大いに己を褒めたものだ。  同時に、こんな彼を持て余して切り捨てた、人界の主人の愚かさに少々憤る。  だが、私は初見で殺されているので憤慨にまでは至らなかった。  執事の人となり、真面目さを知れば知るほど気になる。ここまで優秀な人間が、たかが好奇心だけで神を殺すであろうか。  執事を雇った後、一通り必要な人材を確保して落ち着いてきた頃に、常々疑問に思っていたことを尋ねてみたことがある。  お前が私をいきなり殺したのは、好奇心のみであったのか、と。執事は畏まって答えた。 「好奇心が九割でございました。何しろ、私は神という存在を認識したことがございませんでしたから」  それから、執事は少しだけ自分が死ぬまでのことを語ってくれた。  一番古い記憶は、親かも知れない大人に手を引かれ、金の入った袋と交換で売られたこと。売られた先で、執事は徹底的に暗殺術を叩き込まれた。  一緒に育った子供達が大勢いたが、日が経つにつれて少しずつ減っていったこと。減った子供は、おそらく全員亡くなったのだろう。だが、執事はそこに何の感情も起こらなかった。  最も心を育てる時期に、最も不釣り合いな教育を受けていたからであろう。気がついたら、執事はたった一人の生き残りとなっていた。 「私は、人として何かが欠けているのでしょう。私を鍛えた人々は、私を完璧な人材と評して下さいましたが、私は、何も感じませんでした」  全ての試験に合格した執事は、連れて行かれた屋敷でも常に優秀な成績を上げ、直ぐに妬みの対象になってしまった。  それでも、執事は幼い頃から受けた教育のままに、その屋敷でも勝ち残った。だが、今度はあまりにも優秀過ぎて警戒され、有無を言わせず切り捨てられる。  その時も……人生が終わる最後の瞬間にも、執事は理不尽に対する怒りも、命を奪われる恐怖も、己の不運への悲しみも、何一つ感じなかったという。 「私にとっては、何も感じないことが当たり前でございました。物語に描かれる人々には特殊な才能があるのだと思っておりました。感受性が豊かで、自分の中にあらゆる感性を宿して発現することができるのは、限られた人だけの才能だと、そう思っていたのでございます」  己の死をぼんやりと受け止めた執事は、冥府にやってきて初めて神というものが存在していたことを知った。  裁判に行く前に私にスカウトされた執事は、面接でいきなり私を殺した。その動機は前述通りのふざけた動機である。 「私は旦那様が蘇る様を拝見し、こんなに美しいものは見たことが無いと、胸部に強い圧迫を覚えました。呼吸ができなくなる程でございましたので、肋骨が折れたのかと思ったのですが違いました。怒り狂う旦那様の迫力に心拍数が異常なまでに上昇し、そのせいで苦しいのだと分かりました。これが、心が浮き立つという状態かと。初めて、自分の中に心があると知り、実は大変感動しておりまして。しかし、長らく表に出したことがございませんでしたので、見た目は何一つ変わらなかったかと存じますが」  あの時、執事は感涙にむせび泣くほどの感銘を受けて、瞬時に私への心酔を表現したかったのだと言う。 「命を賭けてお仕えするとしか申し上げられませんでした。賭ける命はもう無いというのに、迂闊な発言であったことを遅ればせながらお詫び申し上げます」  丁寧に頭を下げて、執事は僅かに、ほんの僅か口角を上げた。 「しかしながら、お仕えしてから数百年考え抜きましたが忠誠の他、旦那様に差し出すものが、私にはやはり命しかございません。もしも、旦那様にとって私が不要のものとなった時には、この魂を消滅させて下さい。私は、旦那様以外の方にお仕えすることは終生のみならず、この魂尽きるまであり得ません。お仕えできなければ、生きていると実感もできません。それ故、不要となった際には、私を完全に消滅させて頂きたいのです」  淡々と、しかし優しく熱を帯びた言葉に、不覚にも目頭が熱くなった。私が最も古く付き合いがあるのは庭師であったが、彼とは己のやりたいことと私の望むことが合致しているが故の契約関係である。  だが、執事は違うのだ。執事は、本当に己の身命、魂の一欠片も残さず全て捧げて私に仕えてくれているのだ。 「分かった。お前が不要になった時には、私がお前を消滅させる」 「ありがとうございます」 「だが、その時は私が消滅する時と同義である。それを忘れるな」  執事は、いつも通りの飄々とした顔で頭を下げた。上手く表に出せないようだが、また感涙にむせび泣く程の感銘を受けているのだろう。数百年という短い付き合いであるが、毎日顔を合わせているのだから、分かる。  私もまた、執事の忠誠を信じている。信じているが、好奇心で神を殺すのは頂けない。そこだけは、根に持っているのである。  そんな執事の元へ向かい、問い質す間にも執事は手際良く私の濡れた髪を拭ってくれた。 「旦那様、またお亡くなりに? 私は通常通り、執務をこなしておりました。私のスケジュール内に旦那様を殺害する余裕はないと断言させて頂きます」  答えつつも執事は超スピードでしょうが湯を差し出してきた。自分のことなのだから、証言とは言え信憑性は無い。一番の疑念を抱く相手とは言え、ずぶ濡れであった私はありがたくしょうが湯を飲んだ。 「服を着用したままの行水は推奨致しません。動きが鈍り体力を消耗致しますので死亡確率が高まり、大変危険でございます。何か急を要することがございましたか?」 「いや、例の如く死の直前は記憶が曖昧なのだ」  執事は私に死亡推定時刻を尋ね、己のスケジュールを確認した。 「私はその時間、第十五項目をこなしておりました。メイドにお尋ね下さい。私のスケジュール第十五項目は彼女と仕事を致しました」  基本的に一人で職務をこなすことの多い執事が、死亡推定時刻にだけアリバイがあるのは不自然では無いか?   疑おうと思えばいくらでも疑う余地はあるのだが、執事は命を絶つということに対して当たり前の人間ならば感じる罪悪感というものが存在しない。  故に、最も怪しいが最も怪しくないとも言える。  何故なら、執事は私を殺したのならば殺したことを隠す必要が無いからである。人が殺害を隠そうとするのは罪から逃れるため。  その罪の意識を感じない執事は、アリバイ工作をしてまで己の罪を隠す必要性を感じないのだ。  どちらかと言えば、このアリバイは執事のためと言うよりも、メイドのためであろう。  メイドは、最も私を殺している女性だからである。彼女にこそ、アリバイが必要だ。 「それでは旦那様。私はあと百二十四項目タスクが残っておりますので失礼致します」  完璧な身のこなしで頭を下げた執事は、優雅にしかし足早に去って行った。  おそらく、執事は私を殺していないであろう。最も怪しいが、私を殺したのであれば隠すことなく「私がやりました」と言うに違い無いからだ。  次の対象者に調査を移すべきであろう。私は、はちみつ入りのしょうが湯を飲みながらメイドの元へ向かった。しみじみと温かく、腹の底から温まる。この世にしょうがを生み出した豊穣の神は天才である。まことに素晴らしい食物だ。  先程も述べたが、メイドはこの冥府で、私を殺した回数において他の追随を許さない女性である。華奢な外見に騙されることなく、十分に注意が必要だ。私は、慎重歩を進めた。
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