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《第二の容疑者、死を纏うメイド》
メイドは、黙っていれば儚げな美しい女性だ。だが、口を開けば「私など……」と常に後ろ向き。前を向く気が無いのであれば、いっそ目は要らぬのでは無いかと冗句を飛ばしたら、
「そうですね……確かにその通りです。今まで、どうして気づかなかったのか不思議で堪りません。私如きでもお役に立てるよう、眼球を撤去して参ります。乱暴にしては傷が付いてしまうので、良いお医者様を探して参ります」
恐ろしいことに晴れやかに笑ったメイドは足音一つ立てずに立ち去ろうとしていた。無論、私は慌てて止めに入った。彼女は冗句など言わない。全て本気なのだ。だから、恐ろしい。
心は常に後ろ向きで、自己肯定感が低いどころか、無い。皆無だ。憧れの存在は、空気だと仄かに目を輝かせて言う。それも、命が尽きかけた蛍よりも頼りない輝きだが。
「人の目には見えないのに、人の役に立ちますから。完璧な存在だと思います……。生まれ変わったら、私は空気になりたいです」
私は、震えが抑えられない。空気は、生まれ変わり対象のリストには載っていないと、私はまだメイドに教えていないのだ。この僅かな希望の灯火を失ったら、メイドは私の想像を超える何かに変化してしまいそうで恐ろしいのだ。
そう、神であり不死者である、この私にすら恐怖を抱かせる存在。私は、メイドと出会って初めて恐怖という感情を味わった。人は、こんなものを抱いて日々を生きているのか、と少なからず尊敬の念を抱いたものである。
何ということだ、油断すれば恐怖はたちまち心を飲み込んでしまうであろう。そこには絶望という深い闇が口を開いて待ち受けており、それに喰われたら一環の終わりである。恐怖の段階でもすでに死にそうなほど恐ろしいのに、更に深まる絶望からすら、人は立ち上がるのだ。
最弱の種族であるが、人は心と魂だけは恐ろしく強いのである。限りある命故か、その強さは神には無いものだ。
神が絶望すると、壊れるもののスケールが大きいので日頃から注意が必要である。話は反れたが、ともかく、メイドはどこまでも後ろ向きだが常に人の役に立ちたいとは思っている。
そんな彼女の憧れを体現するのが、いわゆる……ニンジャ、だった。人界にある日本だかジャパンだかいう細長い小さな島国に生息していたらしい。どうでも良いが、人が作る国というもの。名称を統一してくれないだろうか。日本のように、自ら名乗る名と周囲が呼ぶ名が異なると、覚えるのが面倒なのだ。どうにかして頂きたい。
またまた話が反れたが、メイドは憧れのニンジャを目指して、独自に修行を重ね、常人離れした存在の希薄さと、立体移動も可能な身体能力を得たのだ。だが、生前の本業は何故か占い師だ。そのままニンジャとしては需要が無かったようである。メイドは恐ろしいほど的中率の高い占い師であった。
死の予言が、できるほどに。
ここまで言えば、メイドの気の毒な末路は大体想像できるだろう。常に人の役に立ちたいと切望している彼女は、
「私よりも生きる価値の無い人など、存在しませんから」
が、持論。どんな人物の未来も的確に占ってきたのだ。
メイドが最後に占ったのは、某国の王だった。的確に、来るべき死を予言してしまった。たいがいの権力者がそうであるように、彼等は権力を長く保つために命を延ばすことを望む。
時には不老不死を願って無茶な術を取ることもある。予言を受けた王もまた例に漏れず、死を拒んだ。その死を避ける為に、あらゆる手段が講じられたそうだ。それでも、王の死は免れなかった。
王が死ぬと、何故か周囲に責任が及ぶらしい。馬鹿げたことだ。人の命は定められており、いつか必ず寿命を迎える。殺意を持って相手を害した以外で、他人に死の責任が及ぶことはない。だが、王となると別らしい。
そして、当然の流れのようにメイドへと責任の矛先が向けられた。
『あれは、予言ではなく呪いだ』
王は、魔女による呪いによって殺されたのだ、と。メイドを守る者も、庇う者も現われず、罪の宣告を受けたメイドはそのまま無実の罪を受け入れた。メイドの身体能力を持ってすれば、難を逃れて遠い外国へ逃げることも可能であったというのに。
哀れにも火刑に処されたメイドは、私の治める冥府へと辿り着いたのだ。
私の元に辿り着く魂は、その輪郭すらも曖昧で頼りないもの。この冥府で生前の姿を保つものは極めて珍しい。だが、メイドは生前の姿そのままで、ほんやりと冥府を流れる川を眺めていた。
影のようにぼんやりした姿のみの亡者達しか相手にしてこなかった川の渡し守が慌てて私を呼び、私はメイドと話をしたのだった。
極めて稀だが、生きているのに仮死状態でここに迷い込んでしまう者がおり、そういった者達は姿を残していることが多いのだ。
私はメイドが、生きているのか死んでいるのか、判別しかねた。それほど、彼女の魂は儚く弱々しく「どちらとも言えない」という曖昧な判定しかできなかったのだ。渡し守達が混乱する訳である。
話を聞けば、彼女は確かに死んでいると確信できた。そのまま、死後の裁きを受ければ彼女は希望に限りなく近い転生先を選べるであろう。己の力を活かして真っ直ぐに生き、しかし不幸にもその力を曲解されて処刑されてしまったのだから。
だが、問題がある。メイドの転生希望は、前述通り「空気」である。私は千年以上続くこの冥府の転生リスト内に、空気を見つけたことはついぞ無い。それを伝えたら何が起こるのか見当も付かず、底知れぬ恐怖を感じたのだ。
なるほど、人は知らぬことに恐怖を抱くもの。私のような神は既に、この世もあの世も全て知識として網羅している故、滅多なことでは恐怖など抱かない。まして、私は他の神が知らぬ死の恐怖を繰り返し体験して知っている。私が恐怖を抱く可能性は限りなくゼロに近いと断言して良い。
その私が、目前で幻のようにふわふわしているだけの人間に恐怖を感じたのだ。この異常性に気づいて貰えるだろうか。私よりも恐怖に対する耐性が低い渡し守達は私の背後に隠れて怯えている。
私も、誰かの後ろに隠れたい。次の発言が、運命を左右する。どうすれば良いのだ、転生先に空気は無いと穏便かつ丁寧に、更に傷つけずに伝えるためには……。
人も神も、伝える技術は誠に大切である。英雄の死因を説き詰めるとトップ五位以内に必ず『失言』が含まれている理由が、私は今、ハッキリと分かった。影響力の強い存在ほど、その発言には細心の注意が必要なのである。
私がモタモタと思考している間にも、メイドはゆらゆら、次第に黒い影を帯びるようになってきた。そう、むやみに待たせてもいけないのだ。私以上に恐怖を感じている渡し守達が懸命に私の背中を叩いて励ましてくれている、もうやるしかない。
「わ、私の所で働いてくれにゃひきゃ……くれないか」
恐怖のあまり縮こまった舌がもつれて上手く喋れない。だが、意味はキチンと伝わったようだ。己の死を語る時すら虚無のように濁ったままであったメイドの目に、僅かな光が点る。
「ありがとうございます。死んでも、誰かの役に立てるのであれば嬉しいです……精一杯、働きますので、宜しくお願い致します」
こうしてメイドは、私の城で働くことになった。
私は、恐怖のあまり逃げてしまったのだ。論点をすり替え、新たな提案で話をそらし、問題を先送りにしてしまった。だが、私は良くやったと思う。メイドとなった彼女が見る間にしっかりと人の輪郭を取り戻し、メイド服を与えると嬉しそうに袖を通して、スカートを翻し、微笑んでいる。
「大切に致します、ありがとうございます」
少なからず、安堵した。メイドには仕事がある方が良いのであろう。実際に、大変良く働いてくれている。私の城は執事が来て以来、少しずつ整っていたが、メイドが働くようになってからは見違えるように美しくなった。
メイドは立体移動も可能な身体能力で、どんな高所にも命綱無しで掃除をすることができたので、曇っていた城の天窓を全て磨き上げてくれた。最早そこにガラスが存在していると分からないほどに磨き上げられた天窓は、淀んだ冥府に僅かながら差し込む光をよく取り込んでくれた。
ひっそりとした見た目に反し、機敏に良く働く。執事は私がメイドを見出したことを過分に褒め称えてくれた。
「素晴らしい人材を見出して下さり、ありがとうございます。非常に優秀なメイドでございます。……一部を除いて」
メイドは、料理が壊滅的に下手くそであった。ただ卵を焼くだけの目玉焼きですら、恐怖の館の如き『何か』に変貌してしまう。私が雇用を始めた第一目標は美味しい食事のためであったが、ひとまずコックを見つけるまでは執事の腕だけが頼りである。
そんなメイドは、常人の三倍以上の速度で掃除を終え、楽しげにチクチクと針仕事をしているところだった。そう、楽しげである。例え背後におどろおどろしい黒い瘴気が立ち上っていても、薄ら微笑む笑みがどの角度から見ても人を呪っているようにしか見えなくても、愛らしいはずの針鼠型の針山が呪いのぬいぐるみに見えても。
普通の針山を使っているのを見かけた際、どうにも呪いの雰囲気が拭えず「可愛い物を使用させれば解消するのでは?」と熟考した上で買い求めた。
非常に愛らしいハリネズミ型の針山なのだが……何故、照明が下から照らされる効果ばかり感じてしまうのだろうか。どれほど愛らしいものでも、ホラーにしか見えないではないか。
むしろ、可愛いが故に何か奥深い業のようなものを感じる。上質なホラー映像を撮りたければ、メイドを一人召喚すれば良い。これが冥府の常識だ。
「メイドよ、聞きたいことがあるのだが」
「はい、旦那さま……まあ、どうなさったのですか、風邪を引いてしまわれます」
持ち前の素早さで、メイドはふわふわのタオルを用意すると私の髪を拭ってくれた。まだしっかり乾いていないのだ。
「すまぬな、ありがとう」
「いいえ、このままタオルをお持ち下さい。魔獣さまは水が苦手ですから」
「……うむ」
私の心配ではなく、私の肩に乗るであろう魔獣を案じての行動であった。素早い訳である。主である私よりも使い魔である魔獣至上主義のメイドに執事との仕事について尋ねると、
「はい、旦那さま。私は確かにその時間、執事さんと共に照明と暖房の調整を行っておりました」
我が城の照明及び空調の動力は、電気ではない。火の精霊に働いて貰っているのだ。照明と暖房の調整とはつまり、精霊との賃金交渉である。
彼等は人の通貨を使用しないが、働く代わりの対価は求める。それは絞りたてのミルクであったり、一欠片の魂であったりと要求は様々だが、火の精霊は総じて温かいものを好む。
ただし、その価値観は人や神と異なるため『温かいもの』の中に人の血肉が含まれることもあり、交渉には細心の注意が必要だ。
不必要に頷く、しっかりとした定めも無く決定するなどすると、命を落としかねないからである。通常、人間は熟練の魔女でも無ければ交渉は極めて危険であるが、メイドがいるだけで非常にスムーズだ。
彼女は、神である私ですら恐れる、不可思議な存在であるからだ。執事の背後に、メイドはそっと控えているだけで良い。時には愛想笑いの一つも浮かべれば、その悪夢の象徴のような光景に精霊達もすくみ上がり、礼儀をわきまえて行動する。彼等は率先して人間の常識を学び、人のルールに則った報酬を望むようになるのだ。
「今回は、コックさんのスープを提供することになりました。火を吹くほど辛いスープを飲んでみたいそうです」
「なるほど。作業効率が良くなりそうであるな」
「はい」
頷くメイドの態度におかしなところは無い。嘘を付いている気配も無い。やはり、二人共真実を述べているようだ。
火の精霊達に証言の裏を取ることも可能だが……。
(やめておこう。むやみに恐怖の記憶を蘇らせるものではない)
恐怖の記憶は何よりもストレスである。繊細な精霊達にストレスを与え続けてしまえば、ストライキどころか消滅してしまいかねないので、そこは省略して良いだろう。
「私共のスケジュールに何か不都合がございましたか?」
「いや、先程、私は殺されたのだ。それについて調べているところなのだよ」
「まあ……。私は特に呪っておりませんが」
「う、うむ、死因は溺死か頭蓋骨骨折のようだから、お前ではないだろう。メイドよ、心当たりは無いだろうか? 私が何か不適切な発言をした、などだな」
すると、メイドはガクガクと細かく震え、大きな目をギョロギョロさまよわせてホラー映画の中盤に登場するようなクリーチャーじみた動きをし始めた。
「だ、旦那さまのように尊いお方に、私ごときが間違いを指摘するなど……」
メイドの許容範囲を超えてしまうのだろう。糸切りハサミと針を構えてブルブル震えているので、私は慌てて宥めに入った。
「よい、よい、不要な発言であった、忘れてくれ」
必死で止めに入るが、むやみに近づくのは止めておく。乱心したメイドが甲高い悲鳴を上げながらハサミを振り回して私をうっかり殺してしまう(前科アリ)かも知れないからだ。
ちょっとした相談事だけでも一触即発である。現世で占い師だったと聞いたが、相談者はよっぽど切羽詰まっていたに違いあるまい……。人も生きることに必死なのだな。
ゆっくり深呼吸をさせると落ち着く、と執事から聞いていたので、そのように指導すると、ようやく落ち着いて針仕事に戻った。さすがに手際が良く、常人ならばミシンとかいう縫い物をする機械が無ければ追いつかないほど素早く縫い上げていく。
「……できました」
メイドにしては目をキラキラ輝かせて(やはり、瀕死の蛍程度だが)誇らしげに縫い上げた服を掲げた。
「旦那さま、執事さんから頼まれていた服が完成致しました。どうぞ、お召しになって下さいませ」
「うむ」
諸々の事情により、私の服を強化する必要性に駆られていたのだ。メイドは諸々の事情により嬉々として裁縫に励んでくれた。
希望通り、肩と腕部分の布地が厚めになっており、なおかつ動きにくくはなっていない。何故か、首周りはファーで覆われてしまったが……。確かに、冥府は常に底冷えする場所なので首巻きなどたまに使用するが、常時首がちくちくするのは頂けない。
「魔獣さまはふわふわがお好きなので……。温かいファーをあしらいました。抱っこされる時に大変喜ばれるかと」
「そうか。ありがとう」
「とんでもございません、早速、魔獣さまにお披露目してはいかがですか? 魔獣さまでしたら、本日は川の付近をパトロールされると仰っておられました」
「うむ」
何にせよ、全員から話を聞くところだったのだ。次は全くもって容疑者から外れている上に、一度も私を殺したことのない超クリーンな容疑者……ミステリーでは最も怪しい容疑者となりうるが……である魔獣にも話を聞きに行くとしよう。
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