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「意味がわかったか?」
「はい、文字の並びにはとりたてて意味がないことが。私の生まれた国では六歳頃までには習得する文字に似ています。私だけではありません、学び始めた子どもたちのほとんどが、です」
ムドゥさまが息を呑むのがわかった。
「儂がこの世界に来て、これを理解するのに五年を要した」
すっと立ち上がると、私の背丈とほとんど変わらない。
大蚯蚓が直立して進むとは想像の範囲を超えている。
ムドゥさまは頭と思われる部分にのせている精緻な細工の冠を、壁の一部にくっつけた。
ぐるりと回転した壁の向こうには、おびただしい数の書物が並んでいた。
「本の内容を推測できるか?」
「そうですねえ。題名しかわかりませんしざっと眺めただけですが……。宗教関係、語学に歴史、地理、経済、数学に理学、医学、兵法に法律、美術に哲学に天文学、魔術、他にもありますね。あ、小説や随筆も」
「それならば話は早い。この部屋に自由に出入りすることを許すので可及的速やかに知識を蓄えよ」
「いやいや、無理ですよ!これから文字を扱いこなすのにどれだけかかるか」
「十日間与えよう。そなたは放っておけばいつまでもさぼるに違いないからな」
「どうしてわかるんですか」
「時間がないぞ。きりきり働くがいい」
何故ばれたのかわからない。
「あ、ムドゥさま。一つ聞いておきたいことが」
「手短にな。儂は忙しいのでな」
「アレドさんが言っていたんですが、ムドゥさまがこの世界で始められた商売って何でしょう?」
「そうだな。そなたにもやってもらわねばならぬこと。人材の貸し出しだ。異世界の者はこの世界にない技能を身につけていることがある。元の世界に帰れる手段が今のところはないから、死に物ぐるいで己を磨いて価値を示すしかない。政や商いの知識がある者はそちらで身を立てている。そうでない者にも機会は用意してある。客の多くない結婚式に列席し、葬儀に参列する。新しく開店した店の前に並ぶ。孤独な者の家族のふりをする。ただ話し相手を務める。どんな些細なことにも需要はあると覚えておくがいい」
領主はするすると部屋を出て行った。
うっすらとわかってはいたが、帰れないと思えばあの少々生きづらい世界も恋しいものだ。
私は書架を見上げた。
手当たり次第に読み進める。
本好きにとってはたまらない部屋だ。
「トウゴさん。部屋と身の回りの品を用意してあります。軽食も。足りないものがあればいつでも申しつけて下さい」
「あ、レジェスさん。何もかもありがとうございます」
時間を忘れて没頭していた。
「ふふ、トウゴさん。あなたは旦那さまに似ておられるんです。だからこそお気に召されたのでしょうね」
「え?そうなんですか?あの……似て……いますか?」
「ええ、とても」
「そ……うですか」
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