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さて、どうやらここは異世界である。
通行人が彫りの深い顔立ちをしていて髪が青や緑や桃色だから、いくら鈍い私でも何かが変だと気づく。
うつむくと、私の顔にかかる伸びきった髪は何の変哲もない黒。
短い足は短いままで、腹はグーグー鳴り響いている。
神さまから素敵な容姿や便利スキルを与えられたわけでもなく、空腹は自分で満たさなくてはならないらしい。
そろそろ周りの人々の視線が痛い。
道に裸足でへたりこんでいるからだろうか。
棚の上に置いてあった硯が頭の上に落ちてくれば誰でもこうなる。
軽い貧乏ゆすりの癖が思わぬ災難を招いたが、その程度の衝撃でまさかこんなことになるとは。
貧乏書家である私は、令和の世に逆行するように和服を身に着けているから異世界ではますます珍しい生き物に見えるに違いない。
「あの服は見たことがないな」
「いや、領主さまが着ている服に似てるんじゃないか?」
「ああ、そう言えばそんな感じだな。どこから飛んできたのかな」
非常事態ではあるが、ありがたいことにどうやらこの世界の住人が話す言葉はわかる。
私に似ているらしい領主さまが気になる。
それよりも飛んできたとはどういうことだろう。
いきなり背後からガラガラと音がした。
とんでもないスピードで馬車が迫ってくる。
一瞬だけ、これにはねられたら元の世界に戻れるんだろうかと考えたが、身体は反応して飛び退っていた。
「あ、動いたぞ」
「思ったより機敏だな」
遠巻きに私を見ていた人々を押しのけて、赤紫色の髪と目をした男がのしのしと近づいてきた。
「おい、あんた旅人か?」
「ええ、あの、そんなものです、親切な方。もしよかったら、ほんの少しでいいんですが食べ物と水があると助かるんですが……あ、先に言っておきますが私は一文無しです」
言ってみるだけはタダだ。
歓迎はされないと思うが、対応を見る限り友好的だし、いきなり放り出されたり虐げられたりはしないだろう。
「ほれ。今はその木の実と果実酒くらいしかねえ。あと、ここらの水は生で飲めば腹を壊すぞ」
「何も支払えるものがないんですが……」
「かまわねえ」
神さまがここにいる。
私は木の実と果実酒を黙々と腹の中に流し込んでいた。
木の実はやたら硬かったが、噛み砕くと口中に旨味があふれた。
果実酒はジュースと変わらない代物だったが、渇きを癒すには充分だった。
「おまえ、名は何と言う?おれはアレド」
「伊吹冬悟……あ、トウゴでいいです」
「えらく変わった名だなあ、まあ異界人ならそうだろうな。ついて来な。領主さまに報告せにゃならん」
「え、あの、異界人だってわかるんですか?」
「たまにあるんだよ、この辺りでは。領主さまも異界のお方だから、異界人には住み良いんじゃないかな。他の国なら見世物になるか奴隷扱いされるんだろうが……まあとにかくいいように計らってくださるさ……ああ、靴もないのか。おい、何でもいいから誰か履き物を持っていないか?」
どこからか投げられた壊れかけの皮ぞうりを、アレドはビシッと受け止めて私の前に置いた。
「着くまではもつだろう。履いとけ」
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