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「──また、捕まったんでしょう?」
私は果実に触れながら、背後の彼に問いかけました。
枝の先で、丸いフォルムが宝石のように赤くきらめいています。果樹園に成る果実の中で、もっとも天使たちに人気があるのは林檎なのです。
「ああ……。ふたりとも、屋敷を抜け出すところまでは上手くいったけど、飛ぶ前に捕まってしまったらしい。男性のほうは赤の部屋へ連れていかれた。女性は……えっと、その」
「慰みものにされたのね」
彼は肩を落とすように頷きました。
林檎を枝から切り取って、籠に入れます。ここに成る林檎は絵の具のように純粋な赤色をしていて、黒っぽくはありません。
私はまだ見ぬ"赤の部屋"を思い浮かべます。
楽園の禁忌を破った天使が閉じ込められる場所。神様に可愛がられる上級天使たちの、シギャクシンとかいう欲望を浄化するための玩具となり果てる場所。
きっと部屋一面が赤黒いのでしょう。天使は簡単に傷がつき、簡単に治ります。怪我して、治って、怪我して、治って。天使が死にたいと願うまで、浄化という名の罰は永遠に続くのです。
籠が林檎でいっぱいになると、私は振り返りました。纏っているのはボロ布だけれど、彼の心は本物の天使です。
私たちの身体には、人間の血が流れているのです。
かつてまだ楽園の扉が開かれていたとき、神様に選ばれた心の美しい人間がひとり、楽園に招かれて、林檎をひとつ授けられました。不老不死になるわけではないですが、食べると単に幸せな気持ちになれるのです。
当時、ひとりで果樹園を管理していた女性の天使が、人間と恋に落ちました。そして、どこからか手に入れた秘密の方法で楽園を抜け出して、人間界で子供を産んだのです。
──ところが、ふたりの幸せは、長くは続きませんでした。
戦争です。人間は死んでしまったのです。
天使だって後を追いたかったに違いありません。けれど、彼女の腕の中で泣く赤ん坊が、彼女を引き留めました。
その頃、楽園は大変なことになっていました。
果樹園はもっとも重要な、食料源なのです。長年その管理を任されてきた一族の末裔である彼女が消えたせいで、果樹園にどろぼうが入ったというのです。
どろぼうが天使だったのか、人間だったのか、或いはそれ以外の何かだったのか、わかりません。とにかく、神様以外に触れさせてはいけないとされている林檎が、ひとつ盗まれてしまいました。
そうとは知らずに、彼女は楽園の扉を叩きます。なぜか厳重に閉ざされてしまった扉を。
彼女は捕らえられ、神の裁きを受けました。
天使たちが赦すまで、果樹園の管理だけでなく、ありとあらゆる苦難をその身に引き受けよと。つまり、皆の奴隷になれと命じられたのです。
奪われた赤ん坊の背中には、小さな翼が生えていました。
赤ん坊はある上級天使に引き取られ、物心つかぬうちから母の手伝いをさせられたといいます。
やがて母親も、大人になった赤ん坊も、人手を増やすためだけに子供を産まされました。
穢れた血をもつ私たちには、いつ幸せが訪れてくれるのでしょう。逃げ出そうとした天使たちは、次々死んでゆきます。
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