一章 売られた日

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沙耶(さや)、達者でな」 別れ際、泣いてくれたのは母親だけだった。 幼い弟と妹は、言いつけられて、母の脇でじっとしているのがやっと。別れに立ち会っていると知らされていないからだ。 他に見送り人はいない。 父親は、床で臥せっている。 かわいそうにと、同情を寄せる邑人もない。 ――すでに、邑は寂れ果てていた。 「どの道、お前さんは奉公に出なきゃならない身。一年、二年早くだされたからと、親を恨んじゃいけねぇ。そのぶん、稼げるんだ。辛抱しろや」 人買いに道々良い聞かされることといえば、家族のためにという言葉。 (年が明けたら、十五になる。十五になったら、お前は、奉公に出るんだ。) 沙耶が、生まれた時からの決まりごとだった。 十五になったらと――。 (仕方ない。女の子だから。間引かれなかっただけでもありがたいと思わなきゃなあ。) (仕方ない。仕方ないんだ。) どうして? 十五じゃないよ。約束が違うよ。十五まで、まだ、あと少し。 暴雨のごとく、大人たちと交わした言葉が沙耶の胸で吹き荒れる。 あと少し――、なのに。 他人からすれば、それっぽっちの話だろう。 しかし、昔からの約束をあっさり覆されて、邑から出された事実は、裏切りに等しい。 都合よく、扱われた。 言ってしまえば、それまでのこと。 ただ、約束を違えた相手は親――。 身を切られるより辛かった。 別れ際の、弟の顔が思い起こされる。 今朝は、機嫌が悪かった。もっと、朝餉を食べたいと、ぐずる幼子に沙耶は自分の椀の中身を分けてやった。 母親は、長旅に備えてと、少しばかり多く沙耶によそってくれていた――。 弟も、妹も、可愛かった。だから、家族を恨んでなんかいない。 ただ、順が変わっただけ。たったそれだけの事――。 口にする呟きは、嘘だ。不満を誤魔化しているだけだ。 だから、本当は恨みないわけがない。 流れる涙が涸れても、許すことができようか。 どうせ行くのだからと、約束をたがえ、あっさり、娘を手放した親のことを――。
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