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沙耶は、偶然通りかかったこの名医のお陰で、命を取り留めた。
一緒だった男は、地面に打ち付けられ、それは、無残な姿で息絶えていたという。
まだ、辛うじて息のあった沙耶は、世龍の屋敷に担ぎこまれ、手厚い看護を受けた。
そして、下働きとして世話になっている。
主人の評判を聞いてか、屋敷には様々な輩が集まっていた。
作男、女中、どれをとっても行く当てがないと、世龍を頼って来た者たちで、屋敷では、何十人も使用人を抱えていた。
今も厨房では、五、六人の女たちが、顔を突き合わせ話しこんでいる。
女が、三人寄れば姦しい。
その倍の数いるのだから、仕事どころか。
屋敷の主、世龍は、才気あふれる独り身の男。
仕える女たちの心は自然踊り、身分に差があるのは分かっていても、あわよくばという女心に蓋はできず。語るのは、主人の噂と決まっていた。
沙耶も、抱く思いは皆と同じだった。
しかし、事故のせいで不自由になった体では、娘らしい思いを口にすることも許されない。
ときめく心を押さえこむしかない自分を恨めしく思いながら、皆とは外れて、一人、与えられている仕事に精を出す。
あの時見た姿……。
薄れ行く意識で見た世龍の姿が、忘れられなかった。
漆黒の衣。なぜ、あのような重苦しい衣を身にまとっていたのだろう。
てっきり、黄泉の国から御使いだと思った。
それに。
あんなに、美しいお方。
あたし……。
みたことない。
蒼白な面持ち。
凛と輝く切れ長の目。
すっと通った鼻筋に、やや薄い唇。
お美しい……お美しい、世龍様。
本当に……。お美しい。
「さあさあ、無駄話はそれまでだ!夕食の準備は、どうなってんだい!!」
女中頭の、華陽がやってきた。
たちまち、蜘蛛の子を散らすように、皆持ち場に戻る。
「沙耶!なにやってるんだ!」
華陽の荒々しい声が降りかかる。
足のせいで、壁にもたれかかって作業するしかない沙耶の姿は、傍目には怠慢に映り、役立たずと言われてしまう。
もちろん、沙耶に口答えは許されない。
人とは違う体だから、傷を負った身だから――。
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