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序
迷ようてしまったのか。いや、あてもなく彷徨ようているのか。
朝霧に霞む里山の中。ぬかるみに足をとられまいと女が二人、そろりそろりと、おぼつかない足取りで歩んでいる。
少作りな娘が、いかにも邑育ちの者たちが纏う木綿の衣を褄度って、前を行く光る髪を上品に結い上げ、銀細工のかんざしを幾本も斜めに挿した、薄色の絹の衣に身を包む女を追っている。
身繕いから身分の差が感じられ、血縁があるとは思えない。
主人と、共をする下女なのだろう――。
「あの。どちらまで?」
おどおどと、遠慮ぎみに言葉を発する娘。声を受けて、先を行く女が振り返る。
「そうね。この辺りで良いでしょう」
生温い風が吹き抜けて、女の腰高に結ばれた飾り帯がふわりとなびいた。
ゆっくりその薄い唇が開かれ、なにやら、聞き慣れない言葉が流れ出る。
とたんに、じわりじわりと霧が地面から沸き起こった。
「なっ!!」
娘の顔色が変わった。
幻だ。
夢であれ。
体が動かない。
逃げようと思えども、足が。
掴まれて……。
下草が、するすると伸び上がってくる。否、違う。蒼白な死人の手。幾千本も地面から這いだし、黄泉の国へと誘うように手招きしている。
「いやあ!!助けて!!」
空を切る耳障りな叫び声があがる。
「知らない人に、ついて行くと、こうゆうことになるの」
しかし、女は動じる事もなく、微笑んだ。
再び、風が舞い上がる。
先ほどよりも、人肌のぬくもりが加わったような、嫌な風が過ぎ去ると、不思議なことに、立ち込めていた霧までも晴れ、視界が開かれた。
だが、娘も、女の姿もなく、深々と編み笠を被る、闇のように沈んだ漆黒の衣を纏う若い男が佇んでいるのみ。
地面には、血溜まりのようなどす黒い染みがある。
「これで、よろしいか?」
虚を見上げ、誰に語るともしれぬまま男は呟いた。
答えるかのように、すっとその頬を風が切る。
「ああ、まだ、足りぬと……。そのように、乙女の血ばかりを欲されて……。多少は、がまんなさりませ」
冷ややかに言い放ち、男は踵を返した。
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